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夢の場所

子どものころのわたしの夢は、
「夕飯の材料を自転車で買いに行き、魚は魚屋さん、お肉はお肉屋さん、野菜は八百屋さんで買う生活」
でした。
それを聞いた祖母が、「なんてみみっちい夢だ。情けない」と、がっかりして言ったことを覚えています。

祖母としては、孫には世界へ飛び出すような大きな夢を抱いてほしい、と思ったのかもしれません。でも、山と畑と田んぼに囲まれた田舎で生まれ育ったわたしにしてみたら、魚屋さんや肉屋さんが自転車で行ける距離に並んでいる、という環境が「にぎやかで便利な街中」というイメージで強い憧れがありました。
他にも、「コンビニやガソリンスタンドの近くに住みたい」と夢見たこともあります。ガソリンスタンド? まあ要するに、「夜も明るい照明のある場所」=「都会」という発想です。
幼いころのわたしは、とにかく都会で暮らしたいと切に願う田舎娘で、結局20代は東京で過ごしました。

そして現在。
標高1000m超の高原に暮らすわたしは、自転車で魚屋さんにも肉屋さんにも行けません。八百屋さんというか、野菜直売所はかろうじて自転車で行けそうだけれど、そういう話ではありませんね。コンビニはないし、ガソリンスタンドも2キロ先。
夜は明るい照明どころか、深い深い闇とともに謎の動物の鳴き声。

自ら望んで16年前に移り住んだこの場所は、幼い頃に夢見た場所とはずいぶん違います。そして期待と不安を抱いてスタートさせた山暮らしは、想定外どころではない大きな挫折や苦しみがありました。
それでも、「どこでも住めるとしたら」との問いに出てくる答えは「やっぱりここ」です。なぜならここで出会った人々との関係が、かけがえのないものだから。ここでの経験で、やっと自分を思い出すことができたから。
そしてわたしにはまだできないけれど、人と自分ときちんと向き合って、すべてのことを受け入れる覚悟があれば、きっとどこにでも住めるのです。
どこでも住めるとしたら、そんな生き方ができるようになった時。

見上げると、子供の頃見ていたのと同じ、手が届きそうに瞬く圧倒的な星空。
ああ、そうか。夢見た場所とはぜんぜん違うけど、ここは夢のような場所でした。


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