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円形脱毛症から考える
数年前に、円形脱毛症になったことがあります。
洗髪時に両手の指の間に挟まる大量の抜け毛を見て、「やけに抜け毛が多い……っていうか多すぎる」と心配になり、夫に「ちょっと頭を見てほしい」と頼みました。
夫はろくに見もせずに、「大丈夫、髪の毛ちゃんとあるよー」とのん気に宣うので、「お願いだからちゃんと見て」と必死に頼み、面倒くさそうにしている夫に向かって、「こっち側から沢山抜けてる気がする」と、右側の髪をかき上げて見せました。
するとその瞬間に、「あああっ……!」と小さく声を上げながら、両手でわたしの頭を掴んでグッと顔を近づけてきた夫。
その時の、まるでコントのようにコミカルで俊敏な彼の動きを、忘れることができません。
夫の反応に恐れをなして、すぐに自分で合わせ鏡で確認したところ、右耳の近くに500円玉大の脱毛部が見つかり、さらに入念に頭部全体を調べたところ、それ以外に小さな脱毛が数個ありました。
その後半年にわたって常時5~6個の大小さまざまな脱毛が頭部全体に多発して、いっそのこと丸坊主にしちゃおうかな、とも思ったのですが美容師さんに止められました。
そこでターバン等を巻いて過ごしておりましたが、その点はカフェ店主という職業で良かったです。
今思うと、当時はコロナ前で店の席数は今よりずっと多く、貸切やイベントも行っていて、わたしの疲れがピークの頃で、その影響もあったのかもしれません。
さて、脱毛症で何が大変って、自分では直接見えない患部に薬を塗らなくてはならないこと。
まず、洗面所の鏡の前で右手に手鏡を持ち、合わせ鏡で患部を探します。
そして脱毛の位置を確認したら、患部を露出した状態で左手で髪を押さえ、右手の手鏡をヘアクリップに持ち替えて、手探りで髪の毛をクリップで固定します。
次に左手で手鏡を持ち、右手に薬を持って、引き続き合わせ鏡で患部の位置をとらえたまま、薬を塗る……どうです、読むだけでも、ものすごく面倒くさいでしょう?
やる方はもっと面倒くさいんです。
もう1本手があったらどんなに楽かと思いました。
それに、左右がわからなくなる合わせ鏡で狙った場所にピンポイントで薬を塗るって、けっこう難しい。
脱毛部が何ヵ所にも及ぶと、それを何度も繰り返すことになり、かなりの手間と時間を要します。
肩は凝るし首や腕は痛いしイライラしてきます。さらにハゲそう。
でも、有難いことに1日2回塗布するうちの1回は、夫が厭々ながらも薬を塗ってくれました。
頭に薬を塗るって、たぶん皆様が考える以上に本当に大変な作業なので、もし「一人で生きていける」なんて思ってる人がいたら、一度円形脱毛症になってみればいいとさえ思います。
あ。
もしかして以前そう思ったことがあるから、わたしは発症したのかも。
映画『ロブスター』で背中に薬を塗ってもらうコリン・ファレルを思い出します。
自分でできないわけじゃない。だけど誰かに助けてもらえるとものすごく助かる。
そんなことを実感する病です。
じっとしているわたしの髪を掻き分けながら、一つ一つ脱毛部を探し出して薬を塗り込んでくれる夫。
なんだか動物のグルーミングみたいで心地よい。
「頼める人がいて良かった、癒されるワー」と幸せをかみしめていると、夫が言います。
「うっわー、ハゲ、増えてるね!」
自分では見えないだけに、その一言にズーンと落ち込むわたし。
癒しの瞬間から一気に墜落。
また別の日。
今日は黙って薬を塗ってくれているなと思いながら、恐る恐る「少しは生えて来てる?」と夫に問うと、今度は少しトーンを落とした声で彼は言います。
「……これはもう、カツラかもね(溜息)」
……。
「で、でも、皮膚科の先生は一部生え始めてるって言ってたよ」と涙目で小さく反論するわたしに、「オレには見えない。ぜんぜん生えてない」と断言する夫。
こんな調子で、1日1回の癒しを感じて、1日1回傷ついていたあの頃。
あの頃だけでなく、いつだってだいたいこんな感じ。
人生トータルでは、癒しと傷、どちらが多くなるんだろう。
人と関わると傷つくこともイラつくこともあるし、自分ひとりですべて解決できればどんなに平穏なことでしょう。
だけど、いざって時の頼れる存在や、ちょっとしたことを分かち合える相手がいるのはありがたいこと。
人をアテにして依存して生きるのは嫌だけど、誰にも頼らずに生きていくのも不可能。
そうやって円形脱毛症から、「誰かと共に生きること」について壮大に考え込んだ数年前の出来事でした。
ちなみに、半年ほど経過したら髪は元通りに。
とはいえ、現在も1~3個ほどのほとんど見えない小さな脱毛はたびたび発生しているようで、自分のストレスや疲れのバロメーターとして、うまく付き合っていこうと思っています。
「コリン」なら「ファレル」よりも「ファース」が好きだけれど、久しぶりに映画『ロブスター』を思い出した冬の初めです。
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