冒険のすすめ
旅先で食事をする際、利用するお店を事前に調べてから訪れるという人が、今は多いのかもしれません。
わたしも、以前は絶対に「調べる派」でした。
旅行中の「食べること」というのは最大の楽しみで、前もって現地のお目当てのお店をいくつかチェックして、ある程度満足が期待できそうなお店を選んでいました。
せっかくの初めての場所で、貴重な一食を失敗したくなかったからです。
ところが、夫は全然「調べない派」。
行き当たりばったりで、その場で選んだお店に入ります。
と言いましても投げやりなのではなく、気になったお店は通り過ぎても引き返し、何軒も足を運んで店の外から念入りに様子を窺い、意を決して入るのです。
それはもう、選ぶ過程自体を楽しむかのように時間をかけるので、決して「選んだり探したりが面倒」なのではありません。
そして、無難な雰囲気の店は選ばず、わたしならまずハズレと判定しそうな危険な香りのお店に吸い込まれていきます。
で、結果は「その通り。ガーン!」の場合と、「意外や意外、大当たり~!」の場合と、やっぱり半々くらいなのですが、「たとえ大失敗だとしても、それはそれで思い出になる」というのが彼のお説。
初めのうちは、そんな夫の行動に「付き合いきれないよ!」と思っていました。
時間はかかるしお腹は空くし、歩き疲れて体力も奪われます。
でも、いつの頃からかわたしも、その場で自分の感覚を信じて選ぶことを楽しむようになっていました。
「美味しい」かどうかではなく、「楽しい」んです。
「あのお店、美味しかったね!」はもちろんのこと、「あのラーメン、絶望的に不味かったね。だけどオバチャン面白かったね」とか、とにかくやたらと記憶に残ります。
少し前に、いつものように夫チョイスで入ったお店のことも昨日のことのように思い出されます。
かなりアヤシイ店構えの定食屋さんで、営業中かどうかも不明のため一旦は通り過ぎたのですが、5分後に戻ってみるとさっきは無かった「営業中」の看板が出ており、「やる気アリ。期待できる!」と喜び勇んでわたしたちはそのお店の扉を開けました。
が。
入店したとたんに、まず店内にいた初老女性がこちらに向かって驚きの二度見をし、中央のテーブルでパソコンを広げていた息子と思われる中年男性がものすごい勢いでパソコンその他の荷物を抱えて奥へと消えていきました。
隅の小上がりには昼寝の痕跡が疑われる座布団の山、そこに寝ていたであろうご主人がジャージ姿で登場、そのジャージ主人に恐る恐る、なるべく無難なメニューを注文するわたしたち。
完全に営業態勢ではない、一家の居間状態のお店に入ってしまったのです。
心の中で「なぜ『営業中』の看板をわざわざ出したのだろう?」と思いながら、無言のまま店内を観察するなんともいえない待ち時間。
テーブル脇の窓枠に挟まる謎の薄汚れたティッシュを凝視しているわたしに気づいた夫が、小声で「全部の窓枠に挟まってる……」と囁きます。
見渡すと、店内4つの窓枠全てに丸めたティッシュが挟まったままになっており、おそらく結露を拭き取る用に常時スタンバイされているみたい……。
どうやらオーダーを受けてから炊飯器のスイッチが入れられたようで、炊き立てご飯がとっても美味しかったのですが、45分待ったせいかもしれません。
ご飯以外手作り皆無のお料理を素早く完食し、店を出た後に待ってましたとばかりに吐き出すお互いの感想の嵐……などなど、今もありありと思い出されますが詳細は控えます。
このように、入るべきでないお店に入ってしまったとしても、細部まで記憶に残って忘れることのない、それでも楽しい伝説の店の記憶となるのです。
大当たりだった場合の歓喜たるや、いかばかりか。
冒険って大事。
他人の評価や事前の情報は確かに気になるし参考になるけれど、その場で選んで自分で決めるとワクワク感が違います。
失敗する可能性もショックも大きいけれど、それを楽しもうというメンタリティさえあれば、楽しさは何倍にもなります。
というか、成功とか失敗とか、もはやどうでもいいのです。
人生もそういう感覚、大事かもしれません。
若い頃は、最短距離で最適解に辿り着くことに価値があると思っていたけれど、今は、寄り道や回り道、失敗やつまづきで得た驚きや発見のほうがものすごく重要な気がしています。
失敗しないように、美味しいご飯にありつけるように、事前調査を重ねて挑むのは、最初のデートぐらいでいいんじゃないでしょうか。
いや、最初のデートで大冒険できたら最高ですね。
人生で必ず訪れる「予想外の楽しめそうにない事態」を「どう乗り越えるか」「いかに楽しもうとするか」の力量を見極めるチャンスです。
というわけで、当店への冒険はいかがでしょうか。
店主はジャージ姿ではないし、45分もお待たせしませんが、皆様の記憶の片隅に残る店でありたいと思っております。
お待ちしております。