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ベテラン夫婦の極意

実家に帰省した時のこと。
金婚式をとっくに過ぎた両親が、茶の間で何やら揉めておりました。

ちょうど隣の部屋にいたわたしは、(いつもの小競り合いだなー)と思っていたのですが、そのうち母がピシャっと何か一言放ったようで、それを機に空気が一変しました。
普段は温厚でのんびりしていて、母に小言を言われてもまったく口調が変わらない穏やかな父が、珍しく少し間を置いた後に言ったのです。

「どうして、そういう言い方をする……!」

けっして大声ではないけれど、ゆっくりと、強い口調で、襖越しにもキッパリと響く父の声。
子どもの頃、父のこの声色が出るとハッとして恐れおののいたものです。
久しぶりに耳にしたその声色によって「小競り合い」では済みそうもない険悪な戦いのゴングが鳴った気がして(ああマズい……)と隣室でヒヤヒヤするわたし。
すぐさま母の声も聞こえてきて、

「だって当たり前でしょう! 〇〇なんだから△△で、◇◇だから!!」

と、それまでよりもトーンを3ランクほど上げて応戦するものだから、(うわー、マズいよマズいよー、これ、ウチだったら余裕で2週間コースの案件!)とわたしは凍り付きます。
我々夫婦ならば、いったんこの雰囲気になるとさらに本格的壮絶口論に突入するか、あるいはどちらかが席を外して距離を置くか、いずれにしてもなんとも居心地の悪い冷戦期間は少なくともこの先2週間は継続決定間違いなし。
さあどうなる! 両親。
さっき感じたヒヤヒヤがヒリヒリになって、引き続き隣室で心配しながら耳を澄ませます。

するとすぐに、何やらお菓子の包みをガサガサと開ける音が聞こえてきました。
襖を隔てた隣室には他に誰もいないしペットも飼っていないから、父母のどちらかが、コタツの上のお茶菓子に手を伸ばした模様。
え?
このタイミングで?
この震えあがる空気の中で?

驚くわたしをよそに、さらに続けてポリポリと何かを齧る音、そして父の声が聞こえてきました。

「お……。コレ、旨いな……」

まったく自然な、ついこぼれてしまった感溢れる父のとぼけたつぶやきに、隣室で呆気に取られるわたし。
そして間髪入れずに母の声も聞こえてきました。

「アッハハ! そうでしょう、それ美味しいの ♪ 」

これまた素直な笑いと、嬉しそうな母の声。

す、すごい。
なんなの、この速さ。
諍いの原因を置き去りにしたまま、対立から和解へ至る恐るべき速さ。
怒りをいつまでも引きずらない、水に流す速さ(父)。
相手が水に流したら、それに乗っかる速さ(母)。
速い速い速い!

嗚呼おそらくわたしは(夫も)、即座に水に流すことも乗っかることも、そのどちらもできていないのです。
言い争った時に、和解に向けて行動を起こすにも相当な時間がかかるし、相手がその行動を起こした時にも、直ちに乗っかることができずに意地を張ってしまうのです。
だから不愉快な時間を無駄に長く過ごしてしまう……。

だいたい、時間をかけてじっくり議論したところで、喧嘩の原因になった問題なんてたいてい後から忘れちゃうようなどうでもいいことだったり、もしくは永遠に解決し難い問題だったりします。
そして、完全に分かり合えることなんてまず無いのが夫婦(だけではない人間関係)というもの。

「対立してもすぐに水に流す」
「相手が水に流したら、即乗っかる」

わたしにとってはまだまだとても難しいことだけれど、限られた時間を楽しく気持ちよく過ごすために、大事なことだなあと痛感いたしました。
おそらく夫婦喧嘩だけでなく、いろんなコミュニケーションに通じるのかもしれません。
「忘れて許す」って大切。
自分がとくに苦手としていることだからこそ、そう思います。

普段の動きや反応は、会うたびに遅くなっている年老いた両親ですが、この和解への転換の速さは衝撃的で、ベテラン夫婦の極意を学んだ瞬間でした。
すぐに習得できそうもない熟練の技、いつの日かマスターしたいものです。

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