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傷ついたって言えたなら

小学校の頃、教室で突然泣き出す女の子がいました。
授業中に、本当に唐突に。
当然、先生も周りのみんなも心配します。
「どうしたの?」と。
「何があったの?」「いじめられた?」「忘れ物した?」「怪我した?」
ひとしきり皆からの質問を浴びながらしくしくと泣いていたその子は、「具合が悪いの?」という質問を受けて、ようやくコックリと肯きました。
どうやら、お腹が痛かったようです。

その時、近くの席に座っていたわたしは大いに驚き、そして心の中で思いました。
「お腹が痛い」と言えばいいんじゃない? 
どうして黙って泣くんだろう?
「先生、お腹が痛いです」とすぐに言った方が、その後の処置がスムーズです。
周りに余計な心配をさせないし、自分が痛みと不安を感じる時間も短くて済むのに。
そもそも、自ら意思表示をせずして、他人に配慮を期待するのは傲慢ではないか?

もちろん、小学生だったわたしが、そこまで言語化して考えていたわけではありません。
でも、当時とってもモヤモヤしていました。
早く素直に言えばいいのに、と。
何でもハッキリ思ったことを口にしてしまう子供だったので、引っ込み思案で周囲におもんぱかってもらえるタイプの子の立場になって想像することが、まるでできなかったあの頃のわたし。

そして、大人になったわたしは、あの女の子の気持ちが少しわかるようになりました。
自分も同じようなことをしていることに、気づいたからです。
お腹が痛い時に人前で黙って泣く、ということではありません。
こんなおばさんがそんなことをしても、怖がられるばかりで誰も相手にしてくれません。

わたしの場合は、泣けばいい時に怒ってしまうのです。
映画やドラマなどを観るとすぐに泣いてしまう涙もろい性分のくせに、自分が傷ついて悲しい時は、泣くどころか、恐るべき速さでその感情が怒りに変換されてしまいます。
自分が受けた「心の傷」=「打撃」を、相手に悟られぬ速さで怒りに転換して戦闘モードになってしまうのです。
これでは相手は、こちらを「傷つけた」のではなく、「怒らせた」と取ります。
はたから見ても、勇ましくファイティングポーズを取るわたしは(比喩です、念のため)、傷心しているとは見えないでしょう。
そのうち自分でも、怒る前に実は傷ついていたのだ、ということがわからなくなってしまいます。

もし、すぐに涙を流して、「悲しい」「傷ついた」という感情を素直に表現していれば、相手にもそれが伝わります。
相手はそれを見て、「自分は何らかのダメージを与えた」という実感を持ち、満足なり反省なりをするのでしょう。
その後のやりとりが戦いになろうが和解になろうが、この方がコミュニケーションとしては対等でスムーズだと思うのです。
でもそれができない。
できなかったなぁ。

自分の受けたダメージを悟られたくない、弱味を見せたくない、負けたくない、被害者ヅラしたくない、というわたしのこの気持ちは、結局のところ己の懐の浅さから来ている気がします。
懐が浅いので、相手の言動を受けて一歩引き、「ワタクシ、今傷つきました」と表現できない。
下がるべき自陣の奥行きがないので、ただただ前に攻めようとしてしまう(中・高、剣道部でした。得意技は「小手払い面」)。

結局、いい年をして、自分の感情をうまく伝えることができずに、自ら面倒なことをしているみたい。
小学校の頃のあの女の子と同じです。
素直に伝えるひと手間を怠っておきながら、他人からの配慮を期待しているのです。


ご近所の、ゆるふわなのに辛口の友人に言われました。

「nakazumiさん、いつも怒ってるね ♪ 」

あらやだ、そんなにいつも怒ってる?
それはね、多分わたしがいつも、傷ついてるってことなんですよー。
プリプリと怒って見せて、実は友人たちにも「慰め」という配慮を期待する傲慢なわたし。
傷心くらい自分で処理できるようになりたいものです。

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