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足ふきマット
ある晩のこと。
夫が先にお風呂に入って出た後に、わたしが入浴しようと脱衣所に行くと、いつものタオル掛けにわたしのバスタオルが、ない。
おかしいな、お風呂を洗った時に洗いたてを掛けておいたはずなのに。
夫が間違えて使ったのかと思ったけれど、夫のタオルはちゃんと使用済みになって置かれている。
仕方がないので別のバスタオルを出して、さあ入ろうとバスルームのドアに手をかけた時に、気づいた。
ドア前の床に、足拭きとしてぐちゃぐちゃっと敷かれているタオルが自分のバスタオルだということに。
さっきお風呂から出た夫が、足拭きマットが出ていなかったために手近なところにあったわたしのタオルを足拭きマット代わりにしたのだ。
ひどい!
洗いたての、まだ使う前のわたしのバスタオルを!
足拭きマットとバスタオルはサイズも色も所在も違う。だから単に間違えたとは考えられない。わたしのタオルと知ってのこの所業か、あるいは何も考えずにただ近くにあったから使ったのか。無残に足元に敷かれたままのマイバスタオルを眺めてしばし考えるわたし。
そして風呂上がりに憤慨しながらこの出来事を友人KにLINEしたところ、「ちなみに私はこっそり使って元通りに戻しておく派」との返信をよこすなかなかの悪人K。無断で人様のタオルを足拭きに使用しておきながら、使った痕跡を残さないように工作する友人Kに比べたら、夫の「どうぞアナタもコレお使いくださいな」的に出しっぱなしの方がまだマシなのか?
もしも自分なら、湯上りに足拭きマットが無いとなれば湯気立ち込めるバスルームで全身をタオルで拭き、最後に足の裏を片足立ちして丁寧に拭いた後、拭いた足から脱衣所へと足を踏み入れ、さらには体から床に水滴が落ちないよう細心の注意を払ってそろりそろりと移動しつつ足拭きマットが収まっている引き出しを開ける、という行動に出るだろう。すでに足拭きマットなんて必要ない状態であるにもかかわらず。そして一連の動作は当然ながら素っ裸であり、なんとも滑稽でみみっちい行動に思えてくる。床に雫が落ちたところで気にするのは自分一人なのに。
そもそも、まずお風呂に入る前に、足拭きマットが無ければその時点でわたしなら気づいて出すはず。そういう先のことばかり気にして備えるところも、無駄に神経を使って器が小さい。夫や友人Kの無配慮な行動の、なんと図太く自由なことか。
そんなことをつらつらと考えて、あらためて自分が些細なことを気にするものすごくチマチマした小者なのだと痛感する。
床に雫が落ちるとか、他人のタオルかどうかとか、わりとどうでもいいことなのかも。なのかも?
清潔に対する認識や諸々エチケットへの感覚は、つくづく十人十色と知る日々だけれど、神経質であればあるほど意識高い系に見える時もあれば、超小者に見えてしまう時もあり、人だけでなく時期によってもそれぞれ。
どんな時代になろうとも、小さなことなんて気にしない、大胆で豪快な、そして他人に対して寛容な大物人間になりたいと願うこの頃です。