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カマドウマ

肌寒くなるこの季節に、水回りを中心に出没し始める山ではお馴染みの昆虫、カマドウマ。
彼らを室内で見かけるようになると、「ああ、いよいよ寒くなったんだなあ」と思います。

カマドウマは、大きさはだいたい1cm~4cmくらいのコオロギに似た褐色の虫で、エビの様な柄で長い触角を持ち、後ろ足がやけに逞しくて、想像を超える跳躍を見せてこちらの意表を突きます。
この跳躍による可動域が広いので、捕まえるのにも一苦労。
ちなみにわたしはカマドウマなら素手で捕獲することができまして、そのまま手のひらで囲って窓の外へ出します。

さて、そんな秋のある日にご近所の友人Mから、「頭を踏まれたので…」というタイトルのメールが唐突に届きました。
謎のタイトルに戸惑いながらメールを開いてみると、その本文には3つの句だけがしたためられていました。

わがぬかを三歩で渡るカマドウマ

同衾の跡残しけり足一本

カマドウマ打つは夫の室内履スリッパ

友人M作

就寝中に一匹のカマドウマに襲われた顛末が見事に表現されており、わたしはてっきりどこぞの文豪が過去に残した作品かと思ってしまいました。
しかも、前置きも説明も一切なく、ただ自作の句だけをいきなり送り付けてくる友人M、最高です。

それぐらいカマドウマは山の住人にとって共通項で、しかも誰もが忌み嫌っています。
まず見た目が気持ち悪いし、頻出場所は湿気の多い薄暗い場所で、別名「便所コオロギ」なんて呼ばれていてイメージが悪いです。
気密性の高い昨今の住宅事情も関係なく、「どこから入って来た?」と思うようなスペースに、なぜかある日突然登場します。
あるご近所様の目撃情報によると、ドアと床のわずかな隙間を、体を横に折りたたんですり抜けるとのこと。
その柔軟性といい、跳躍力といい、恐るべき身体能力だけれど、その瞬間を目撃するご近所様もスゴイ。

そんなわけで、秋も深まってくるとご近所さん同士の会話には、「カマドウマ、出た?」「出たよ出たよー」が挨拶のように交わされます。
実際、カマドウマの古名「いとど」は秋の季語らしいです。
三島由紀夫は「歌になるものは悪ではない」と小説の中で書いているので、たとえ嫌われる昆虫であろうと、季語であるからには「悪」ではないはず。

実際蓼科の役目は聡子を悪から護るためにあった筈だが、燃えているものは悪ではない、歌になるものは悪ではない、というおしえは綾倉家の伝承する遠い優雅のなかにほのめかされていたのではなかったか?

三島由紀夫『春の雪』(豊穣の海・第一巻)より

どんなに嫌われても、醜くくても、人々が眉をひそめる物事であっても、「歌になるものは悪ではない」という視点にハッとさせられます。


梅雨時の「アリ、出た?」、秋本番の「カマドウマ、出た?」、時期を問わない「カメムシ、出てる?」は、当店周辺では「山の三大虫挨拶」となっておりますが、昆虫たちがウロウロする季節もあと少し。
当店内も薪ストーブが始動しました。
植物も昆虫も、次の季節への準備をしているようです。

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