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商品と代金のあいだ

京都にある自家焙煎珈琲店カフェ デ コラソンのマスターです。
このnoteでは珈琲屋をしてきた経験や気づきを中心に書いています。まだまだ学びの途中で考えながらの日々なので、参考になるものではないかもしれませんが、よければご一読を。


先日、久しぶりに街中でお昼を食べてきた。時間もなかったので一人でさっと食べられそうなお店を探していたらカツ丼屋さんが目にはいる。わたしはカツ丼に目がない。

さっそくお店に入ると30席ほどありそうな店内は観光客や昼休みのサラリーマンなどでごった返している。席が空くのを少し待たされカウンターに通された。
スタンダードなセットを注文し、本を読んでいると隣の席にわたしの次に待っていたおじさんが通され、ほどなく同じセットを注文していた。

10分ほどで届けられたセットを美味しくいただきながら、カウンター内の様子を眺めてみる。厨房に店長らしき人と補助的なスタッフが1人、ホールはアルバイトらしき女性が2人。

(4人で回すのは大変そうだな)

うちは8席しかないカウンターを2〜3人で回している。

(そんなやり方をしているから、いつまで経っても利益が出ないんだな)

そんなことを考えていると、隣のおじさんが忙しそうなホールスタッフを呼び止めてなにやら言っている。

「頼んだやつと違うんだけど」
「え・・・、すいません」

ホールスタッフはすぐに下げて、店長らしき人と伝票を確認して他のお客さんのところへとそれを運んでいった。

わたしは美味しくいただきながら、なんとなく隣の人の気配を感じ取っていた。間違えた物を下げてから5分くらい放置されたままだ。

(イライラしてるかも)

ようやく届けられたときに怒った声で「わたしより後の人のほうが先に出されてるじゃないか!」とホールスタッフに向けて憤慨している。

(やっぱり)

そう思っていると、今度はレジで会計をしていた男性が「オプションで頼んだものが出てこなかった」と別のホールスタッフに怒っていた。

(大変だなぁ)

明らかにホールスタッフはアルバイトで、謝ってはいるが責任を感じている風ではない。ここに気立ての良いパートのおばちゃんでもいれば状況は違うだろうけど、そんなお店ではなさそうだ。

しかし、隣のおじさんを横目で見てみたがクレームを言いそうな人には見えなかった。多分だけど、うちで同じことが起こっても憤慨するということはないだろう。

いったい何が違うのだろうか?

サービススタッフや責任者の対応の仕方が違うのはもちろんだが、そもそもお客さんの意識も違っているように感じる。

言い方は悪いが、こういったお店でわたし達は消費者として扱われる。お店と消費者は商品とお代という一本の線だけで繋がっている。消費者には権利があり、代金に見合ったサービスが受けられない場合は怒りを店側にぶつける。

もしもうちなら不手際があったとき、責任のある立場の人が直接謝りにいくだろう。そして作り直しに時間がかかる場合はそれを伝えて再度お詫びする。
しかし、それ以前にお越しいただいた方と商品と代金だけの関係にならないように配慮する。お代は商品との交換価値ではなく、商品を含めたここでの時間の価値と捉えているからだ。

うちはサービスに気を使っていると自慢したいわけではなくて、飲食店といっても提供される価値は様々だということを改めて感じさせられた。

お客さんというのは無意識にどういったお店なのかを感じ取る。
感じ取って消費者として振る舞ったり、お客さんとして振る舞ったりする。

食べ終わってお茶を飲みながら、先ほどのホールスタッフの表情を見てみた。当たり前だが、楽しそうには見えない。謝っている様子からもよくあることなのだろう。

(たぶん辞めるだろうな)

わたしが思うに商品と代金の間には、やっぱり人間が挟まっていないとダメなんじゃないだろうか?

取引ではなく商い。

でも、そんなもんが挟まっていると儲からないし。

両立ってできないものなのかなぁ・・。

悩みはつづく。

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