コーヒーカップ

特技は魔法とありますが? はい、魔法です(第5話)

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第1話      第2話      第3話      第4話
第5話(イマココ)  第6話      第7話      第8話
第9話      第10話(制作中)
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 学園前の大通りに出る直前、小路の向こう側から鋭い殺気を感じて宗士は立ち止まる。刹那、見知らぬ女子高生が交差点の向こう側から飛びだしてきて勢いよく宗士の目の前を横切った。
「わっ!?」
 少女は宗士のすぐ目の前をかすめるようにして通り過ぎ、肩を宗士の鼻先にかすながら無言で駆け抜ける。そのまま走って行くかと思えば少女は、だいぶ勢いがつきすぎていたのかそのまま前のめりになって道路に倒れ、体の全部を勢いよく地面に叩きつけた。
 倒れた拍子にびたーんと大きな音もしたので、だいぶ痛そうだなと宗士は思った。泣かないのはさすがと言うべきか。 
 その拍子に、少女のかぶっている金髪のかつらがずれて地毛が見えた。
「……んんっ?」
 倒れた少女は声もあげずうつぶいたまま。しかしずれたかつらから覗く、日焼けした黒髪はどこかで見たような髪だった。むしろ肌とか顔とか、さっき見たような姿だ。
 少女は顔もそのままあげず、四つん這いのままずりずりと歩いていって近くの路地裏に消えていった。
「……ふーむ」
 今し方目の前を通り過ぎ間一髪で体当たりを避けた宗士は、道路に残された食べかけの食パンを見て眉をひそめる。
 そして時刻は、午前中とはいえすでにかなり遅い時間だ。
 よく見れば表通りには不自然な形で、あちこちにゴミ箱や郵便ポストも見えた。
 こんな所に所狭しと、それこそ十メートルに一つくらいの感覚で何らかの障害物が置かれている。
 見上げれば青い雲……ではなく、辺り一帯を一望できる高い建物が一つ建っていて、それ以外の建物は比較的低い。
 絶好の尾行ポイントだ。やろうと思えば狙撃だって楽々できそうな場所でもある。むしろそこに人影がいる。
 人影は今朝の少女三人組の一人、根暗な感じのする三番目の少女だった。
 建物の上に陣取って、少女は宗士をじっと見つめている。
 視線を下げて目を細めれば、道路の足下近くには所々細いワイヤーが縫うように張り巡らされていた。
 極めつけは、道路の先々に設置してある工事中の看板と、無造作に置かれた違法路上駐車の列。大量に設置された障害物とトラップの先に、宗士が通ういつもの学園正門がある。
 正門までの距離はおおよそ百メートルくらいか。正門にはいつも警備員がいる。あそこまでたどり着ければ、宗士の身の安全はおそらく補償されるだろう。だが問題は、そこまで宗士がたどり付けられるか、である。
 振り返ると先ほど宗士とぶつかろうとしていた少女が、なにかを期待する眼差しで物陰から宗士を見ている。名前は確か……ナントカ萌とか言ったか。
「でもよく考えたら、これってぜんぶ夢みたいなものなんだよね?」
 そう思って宗士はもう一度、学園正門の方を見る。
 道ばたには大きなポリバケツ型の青いゴミ箱が左右均一に並んでおり、赤い郵便ポストの数はざっと見ただけでも二十以上。中には壁に対して横に生えているポストや、これでもかといった感じで謎の電柱が集中的に生えている場所もある。表面が剥げてセロテープで直されているのもあったりするが、おそらく全部偽物だ。
 その中にあるゴミ箱の一つが、フタが半開きになったまま中身が見えていた。もしかしなくても中に入っているのは人間だし、その目と顔も美月と名乗る、さっき見た変な少女のものだ。
 宗士は今みた変な人たちや変な世界をふふんと鼻で笑い、すこしだけ心に余裕を持って一歩前に踏み出そうとした。が、目の前には明らかに不自然な形でワイヤートラップが仕掛けられている。
 分かってはいるけれど、ここまで堂々と目の前にひかれている罠は、やっぱり踏み込めない。
 虚構なのか夢なのか現実なのか分からない世界を前にして、優柔不断な宗士の背中にふたたび先ほどの巨漢が現れる。それも、ほとんど前兆なく。
 足音も一切ない。気づいた時は、宗士は完全に背中を彼にとられていた。
「どうした。ビビッて前に進めなくなっちまったか?」
「そっ、そんなこと……!」
 宗士はノリでそのようなことを背後の男に言ったが、体は宗士の威勢のいい言葉とは別に、正直に目の前のトラップを踏めないままでいる。
 踏もうにも踏み込めず、上げた片足はしばらく宙に浮いたままだ。
 宗士は上げたゆっくりと足を引っ込めると、意を決したように後ろを振り返る。見なくても分かるとおり、そこに立っていたのは今朝のあの大男だ。
「あなた、いったい誰なんです。どうしてボクを追いかけるんですか? ボクを追いかけて、いったいあなたに何の徳があるって言うんですかッ!」
 精一杯の度胸と、男として最後のプライドをかけて胸を張って宗士は言った。
 だが、いかんせん相手の目線は宗士の身長の二倍くらいはある。無理して威勢よく言っている風にしか見えないのは、言っている宗士にも充分に分かっていることだった。
 あと相手の顔は強面の、明らかに戦士の目つき。サングラスをしているが、隙間から傷口が覗いて見える。
「……ですよ?」
 なので、最後に無駄な言葉を言って語尾を訂正することにした。だめ押しの笑顔でニュアンスをごまかそうとするが、残念ながら宗士の顔は引きつっている。
 褐色の大男は振り返った宗士を見て眉を開いた。なので、二人の間に一瞬だけ無言で見つめ合う時間が生まれる。
「それにですよ。ボクはここにいるけど、ここは変なところじゃないですか。おじさんだって、今朝あんなことしてたのに今だって無傷でしょう。この町だって何もなかったみたいにずっと平和だし」
 何も言わない大男にちょっと安心した宗士は、今度はもう少しだけ余裕を持って大男に詰め寄った。大男の方は驚いた様子で宗士を見下ろしている。耳に付けたイヤホンを外すと、イヤホンの向こうで誰かが騒いでいる声が聞こえた。
「ボウズ、面白いことを言うな。つまり何が言いたいんだ?」
「おじさんって、実はボクの夢の中の人……」
 宗士がそこまで言いかけると、大男は宗士の胸ぐらをつかんで勢いよく宙に持ち上げた。
 男の外したイヤホンが、聞こえないくらい小さいボリュームなのにきんきんと何かを叫んでいる。胸ぐらを掴まれた宗士は苦しい思いをしながらも、男の腕を両手でつかんで自重を支えた。
 男の顔が、宗士の顔の目の前に迫る。
「オレはオマエの夢でもなんでもねえよ。オレ様の名前はヴァシーリー。てめえを殺すためにやってきた。この世界が夢だってんなら、その体で痛みをしっかり味わいな」
 男はそう言うと、宗士の胸ぐらを掴んだまま大きく背中に振りかぶって、宗士を勢いよく大通りに投げ飛ばした。
 飛ばされた宗士は世界が目の前で大きく回り何がどうなったのか分からなくなる。だが体の方がなぜか大地の方に足を伸ばして、障害物や危険な角も自然と体をひねってうまく避け切り、道路を一回転して無事に着地を済ます。立ち上がり際に投げられた大型ナイフも間一髪で避ける。ナイフの刃先が頬をかすり傷から血がしみ出す。宗士は頬の痛覚にはっとしたが、同時に自分自身の身体能力にも驚く。自分の知らない自分が一瞬見えた気がした。
 だが驚愕している暇はない。男が投げたナイフが切ったのは宗士の頬ではなく、その後ろに仕掛けられていた一本のワイヤートラップだった。
 その何気ないトラップの一本が投擲ナイフによってざっくりと切られ、そこから順にトラップが発動していく。
 よもやどこかで何かが爆発するかと思えば、目の前に飛び出てきたのは一つの小さなビー玉だった。
 目の前にころころと転がってきたビー玉は、最初は不安定な動きで左右に揺れていたが正門前通りの僅かな傾斜に沿って徐々に態勢を整えていくと、ブロック敷きの歩道の隅に沿って進み始める。
 最初の難関は、道ばたに無造作に投げ捨てられた新聞の束と雑誌の山だった。
 新聞や雑誌の間にわずかにつくられた隙間にビー玉は入り込むと、進路をふさがれ先ほどの勢いを失う。だが隙間の幅は限りなくビー玉とおなじ幅でできており、何度も雑誌の下をくぐりぬけたり脇をすり抜けていくことで難関を通過していく。
 積み上げられている雑誌には、なんだか見慣れない文字が書かれていた。ビー玉はそれらの活字の脇をすり抜けすいすいと進んでいく。
 玉の進んだ先は、路肩に乗り捨てられた一台の中古自動車。その手前には緑色の木箱やら配線板やらが規則正しく設置され、ビー玉がやってくるのをただひたすら待ち構えている。
 青いビー玉がころころと転がり木箱や板に触れると、振動測量計が動きだして赤い明滅文字の数値がぐっと高い数値をはじき出す。
 さらにそこから伸びた赤と青の長いケーブルが木箱と木箱と、紙クズで溢れかえりフタをされた緑色の木箱に達して、チキッと小さな発火音を鳴らす。
 ゴミ箱の中から顔を一個だけ覗かせわくわくした目で見ているなんか変な少女の方を見て、それから車の下に置かれたたくさんの木箱やら電子版やらを見て、それが一体何なのかを宗士は頭の中でゆっくり判断した。
「……トラップ」
 小さな色つきビー玉が車体の下に隠れてみえなくなると、それに合わせてゴミ箱の中の少女がわくわくした表情でゆっくり顔を持ち上げる。
 路上駐車の古い車は、このあたりではよく見るバンタイプの小さな車。それが突然ガタガタと動きだし、ナナメに落ち込んだりヘッドライトを光らせたり上下に跳んだり左右にふるえたり、車らしくない動き方で派手に暴れ出す。
 唖然として見ているとそのうち車の動きは静かになるが、しばらくするとシューという音と共に前後左右のドアの隙間から煙を漏らしはじめる。
 車の妙な動きに宗士もやばいと思ってその場で身をかがめたが、その瞬間をまるで狙っていたかのように車が小さく飛び跳ね、爆発した。
 大きな爆発音。一瞬遅れてやってくる衝撃波と熱波。
 はじける金属片のかちゃかちゃと響く音。それがどうして聞こえてきたのか分からない。
 ただ気がついたら、大量のビー玉やらはじけた金属片が宗士の周りを覆い尽くし、四方八方へと飛んでいた。
 町は破片だらけ。中から破裂した車両の金属部品や殺傷力を強めるために中に仕掛けられていたブービートラップの中身が周辺を埋め尽くし宗士を中心にして小さなクレーターを残す。
 宗士は、ずっと目をつぶっていた。遺憾ながら目の前で何かが爆発するのを分かっていて、その場で何もできなかった。だがなぜかどこか頭の片隅に「たぶんだいじょうぶ」という謎の意識があったのでそのままでいられたのだろう。どこかで誰かの小さな悲鳴が聞こえたとしても、宗士はしばらく目をつぶり続けた。
 そうしてしばらくしてから目を開けると、想像通りの惨状が目の前に広がる。
「……うわあ」
 言葉はでなかった。
 破裂したミニバンの跡近くに先ほどの少女が倒れており、ついでのようにもう一人の少女も中身をさらけ出したゴミ箱と一緒に路上に伸びている。
 今朝の騒動では美月と名乗った背の高い方、ゴミまみれの少女はうつぶせの形で腰を上げたまま幸せそうな顔をして気絶していた。
 少女の顔に一抹の不安感を宗士が抱いている脇で、背の低いもう一人の方の少女が頭を抱えて起き上がる。
「いたたた……」
 何が起こったのか分からないといった感じで頭を振りながら、少女の方が周りを見渡す。こっちの方はたしか、萌とかなんとか言っていた気がした。
 建物の上ですべてを見下ろしていた黒が実の少女が飛び降りてきて、身軽そうな体でまるで空を飛ぶように着地する。
 さらさらの髪が背中にまとわりつき、軽やかに壁沿いを飛び跳ねる様はまるで黒い天使か何かのようだった。だが、見れば壁沿いの小さな突起や屋根や段差を利用して段々に降りてきているだけだ。
 卓越した筋肉と身体能力のなす軽業だが、長い黒髪に華奢すぎる全身、とがった印象の目と耳鼻、人を安易に近づかせない冷たい印象が彼女を際だたせる。
「あーあ、またこんなことしてくれちゃって……」
 降りてきた少女が呆れたように周りを見渡し、倒れているちっちゃい少女の方を引き起こす。
 宗士は足を一歩引き、警戒しながら少女たちを見守った。
 黒髪の少女に引き上げられたちっちゃい方の少女は、青い顔をしていた。朝見たときは変なヘルメットを被っていたので詳しい顔立ちもよく見えなかったが、今なら見える。
 日焼けした薄茶色の黒髪をバランスよく前後に流し、後ろには少し長めのセミロング。顔元は幼く元気そうな雰囲気ではあった。だが、すでに彼女はなんらかの限界を感じているようだった。
「私、もうかえる」
「だめよ、まだタスクが終わってないわ」
「もうやだこのチーム……」
 背の低い、萌と名乗る少女はへなへなとその場でへたり込んだ。
 長身少女の方が萌を引っ張り上げる。その隣では、焼けた火薬で髪をちりちりにしている三人目の少女がゆっくり体を横に転がした。

 少女は三人いる。この三人が、今朝から宗士を追いかけているうちの一つだと宗士は理解した。さらに言うとさっきあった肌黒い大男の方はこの少女たちと何の関係もない。関係ないどころか、おそらく敵対関係か何かなのだろう。
 宗士は少女たちを視界にいれながら、背を建物側にむけつつゆっくりと横に移動する。
 彼女たちを刺激しないように。できるだけ、ゆっくりと。静かに。
 だが少女たちがふっと顔をあげ、不運なことにふたたび宗士と目が合った。
「そう思うでしょう隊長?」
 少女の顔がぱあっと……はっとした顔になる。
 地面に膝をつく、萌と呼ばれる少女を背にして、背の高い方が宗士と対峙した。
「はじめまして。加藤宗士さん。わたくしの名前は、川端理香。よろしくお願い致しますわ」
 深々と丁寧に、ばかに行儀の良い形で理香と名乗る少女は宗士に対してお辞儀をした。
 それに対して宗士も慌ててお辞儀する。だが心の中では、宗士はまた今朝みたいな事が起こるんじゃないかと怯えていた。
 ちらと少女たちの方をみると、理香はまだ深々とお辞儀している。その隣では、背の低い日焼けした少女の方が、ぎょっとした顔で理香を見上げていた。
「な、なにしてるのリカ」
「なにって、ただの朝のご挨拶ですわ」
「気をつけなよ萌っちー」
 二人が固まっているその後ろで、さきほどまで気絶していたもう一人の方の少女が二人を振り返った。
「リカリカのバカ丁寧な挨拶は、決闘前のいつものあれ……」
 だが途中まで言いかけると、少女は横目で宗士をちらりと見る。
「……あれ、でございますわよ、ほ、ほひひ」
「えっ。あっ」
 途中で明らかに口調が切り替わった変な少女に突っ込みもせず、萌と呼ばれる小さな少女が警戒色も露わにして背が高い方の少女と宗士の両方を見る。
「えっ」
 宗士はよく分からないまま、三人の少女たちそれぞれがそれぞれの格好で宗士を取り囲んでいる図を凝視した。
 もう何度目だろうか。三人の彼女たちに追いかけられるのは。
 そのうち少女たち三人組の特徴が掴めてきた。一人はリーダー格ではあるみたいだがそこまで実力があるとは思えない、背の小さな少女。桜庭萌。宗士のことを宗士隊長と呼んで慕うらしい、オールマイティな空飛ぶガンナー。
 もう一人が日焼けしたミドルロングな黒髪が特徴の女の子。岩崎美月という名前だった気がするが、それ以外があまりにも特徴的すぎてよく覚えていない。空飛ぶ爆弾使いで、独特の信仰心を持つ変な子。この町にトラップを仕掛けたのもたぶん彼女だろう。特徴は……特徴は、変な口調。あと、たぶんドM。
 そしてもう一人が……バカ丁寧な口調の、目の鋭い女の子。
「わたくしの名前、覚えていらして?」
 大きくお辞儀をしていた構えから、どこからともなくゆっくりと太刀を引き出し目の前で大きく構える。
「きみは……」
「わたくしの名前は、川端理香。ウィザーズで、隊長に救われ、隊長に導かれてきた、この中でもっともあなた様をお慕いしている者ですわ」
 理香は名乗ると黒光りする大太刀をゆっくりと逆刃の構えに直し、横にゆっくりずらして牙突の構えをとった。
 二人の少女が不安そうに宗士達を見守り、宗士も三人とは距離をとって身構えている。
 宗士は逃げることを考えていた。
 目の前には学園の門。走って百メートルもないかもしれない。
 道ばたにはバリケードのように瓦礫の山が積み上がり、まっすぐ走っても校門にはたどり着けない。
 宗士はいかにして少女をくぐり抜け学園の中に逃げ込めるかを考えていたが、立ちふさがる少女の鋭い視線と気迫に圧されどうしても前に進めない。
 また、今朝のように町中に灰色のモヤが漂い始める。
 このモヤには不思議な何かがあるようで、町中にいた建物や名もなき人々がまるで魔法にでもかけられたようにきらきらといろめきだし、一体となって三人と宗士たちの周りを囲み出す。
 それは生き物のようだった。輝く灰色の妙なモヤは、宗士を包み込み、地に座り込む二人を覆い、そうして最後は大太刀を握る三人目の少女の肩、首、剣先にかかって徐々に絞めていくような。
 その存在を、灰色の中に押しとどめて消し去ろうとする何者かの意思のような。そういった類の目に見えない何かをもって、煙はこの世界と異世界からの侵入者三人を隔離し覆いはじめる。
 だが三人目の大太刀の少女は呼吸を整え喝を入れると、大きく太刀を一回転させた。
 ふううう……と少女は小さく息を吐いて、可愛さ満面でにっこり笑う。
「隊長を救うのは、このわたくしでございます」
 もう一人のエセ丁寧語とはまた別のしおらしさ。刹那。キンと耳の奥に触れる鋭い音が聞こえたかと思ったら、宗士の首筋に迫っていたモヤの腕が二つに斬られていた。
 見れば周りの風景は今朝あのときとそっくりな状態になっており、町は輪郭を失い町をゆく生きた人々の姿は見えない代わりに町の反対側の方、宗士と三人の少女たちのいる場所からやや離れたところに、今朝みた得体の知れない群衆たちが列を作り機械的な隊列を組んでまっすぐ歩いていた。
 地に座り込む背の低い方とうるさい方、萌と美月が互いを抱きしめ合ってぶるぶる震えている中、背の高い川端理香がゆっくりと太刀をかざす。
 剣先が宗士へ向けられたかと思うと、少女はふと眉間のしわをゆるませ大太刀を下に降ろした。
「加藤宗士隊長。わたくしが知っているあなた様は、ウィザーズでもっとも勇敢で、お強うございました。どんな戦場でも、絶望の底でも、わたしたちに希望を示してくださいました。どんな地獄であってもです」
 悲しそうな顔をする理香と名乗る少女の後ろで、地面に座り込む萌がハッとした。
 そのあとなんらかの意を込め腕をあげ抗議しようと立ち上がるが、それを美月の方が羽交い締めにして抑えこむ。
 太刀を持つ理香は、自分の後ろで起こっているもみ合いをスルーした。
「隊長。こちら側に帰ってきてください。あなた様は強い。あなた様は、ご自身の手で未来を掴むことができる。いまのあなた様は、平和な偽りの日常世界に飲み込まれすぎている」
「うそだ」
 自然と宗士の口から言葉が漏れた。
 なぜそのような言葉が出たのかは分からないが、宗士は心の底から少女の言葉が嘘偽りだと思った。
「きみは……いや、ちょっとまって」
 宗士は言葉を言いかけて、何かが頭のどこかに引っかかるような違和感を感じた。
 知らないはずの彼女たちを思い出しかけるような、変な錯覚だ。それからこの世界にいた頃の記憶を、今まではそれが当然だと思っていたが、思ってはいてもまったく現実感の無いような矛盾。
 すり込まれたような、あるはずのない記憶。こうであると繰り返し言って聞かされてきているのに、実際には何もしていないようなふわふわとした感じ。
「ボクは、きみたちと……」
 そこまで言いかけたとき、ふたたび世界が大きく揺れる。先ほどまではまだ近くにいなかった不自然な群衆たちが、町中からちらほらと顔を覗かせ隊伍を組み、足音を踏みならせすぐ近くまで迫ってきていた。その足音は、地鳴りのようだった。

 足音の地鳴りに合わせて、宗士の心に電撃が走ったような気がした。
 この世界はMMICSが創った物だという。
 そうすると、今朝に宗士が見た夢とつじつまが合った。夢の中でドクターと名乗る人たちは自分に、きみはこれから夢を見ると言っていた。
 宗士は自分の手のひらを見た。それはそっくり現実味のあるものだし、今見ているこれが夢であるとはとうてい思えない。
 足音が近づいてくる。群衆にして都合が良すぎる。その出方も、列の作り方も、それに町全体を覆う不気味な煙も住宅街にそびえる建物群も、冷静に考えればあまりにも奇妙だ。
「隊長。こちら側に来てください」
 太刀を手に取り理香が手をさしのべた。宗士は見ていた手のひらをじっと見つめ、自分の鼻、頬、唇に触れてその触感を確かめる。

 この世界は、MMICSが自分に見せている夢だ。
 夢であるからこのような不自然なことが平然と起こる。起こっても誰も不思議に思わないわけである。ここは普通の世界ではない。
 だがそうと思う心とは別に、さきの電撃とはまた別の何か釈然としない思いが心の中で頭をかかげているのを宗士は感じた。
 それがいったいなんなのか分からない。夢の中で、名前も顔も分からない男たちが自分に言った逃げろと言う言葉とはまた違うなにか。
 なにか、自分がしなければならないことがあるような。
 そんな気持ちがあるからか、宗士は三度足を退いた。
「隊長?」
 その様子を見て理香は目を丸くした。
 なにか言いたいことがあるのに口元を抑えられている萌とその後ろで萌を抑えつけている美月も、宗士を見てはっとした。
「隊長、なんで?」
「ぼ、ボクはきみたちの隊長なんかじゃないよ」
 さらに濃くなるモヤと群衆の足音を耳にしつつ、宗士は焦る心を懸命に抑え込みながら答えた。
「ボクはウィザーズでもなんでもないし、ボクはキミたちの仲間なんかじゃないよ。ほ、本当だよ! ボクは学園に行かなくちゃならないんだっ!」
 そういうと宗士は、校門目指して全速力で走り出した。
 迫りつつあった得体の知れない群衆、町の人たちも宗士に合わせて露骨な形で走り始めた。その双方を見て少女たち三人組も慌てて走り出す。
 走っても走っても煙が、人が、群衆が、町全体が宗士たちを追いかけ始めた。
 それは終わりの見えないマラソンの始まりにも思えた。
 ただし、ゴールはある。目の前の正門の中。そこには警備員がいて門を守っている。
 宗士は目の前に築かれたバリケードや破壊され積み上げられた自動車の残骸や燃えるタイヤを乗り越え正門を目指す。体は自然と障害物を乗り越え、その身は軽く、まるで前にもこのような場所を同じように駆け抜けていたかのような感覚を覚える。
 もしかしたらその通りなのかもしれないが、今、宗士にとってそんな記憶はどうでも良いことだった。
「くそ! みんな早いな!」
 後ろを振り返ると三人の少女たちも負けじと宗士の後についてくる。みんなすました顔だった。だが三人の顔つきはただ宗士を追いかけていると言うよりも、宗士を捕まえようとしている感じだった。
 特に、一番背の小さい萌隊員の顔が一番印象的だ。
「まってー! ちょっと待ちなさいって、たいちょーっ!」
「待ーたーなーいーっ!」
 宗士を追いかける三人の中で、いちばん表情が出ているのが萌だ。その隣で理香がすまし顔で萌に続き、二人から少し遅れた形で美月も後に続く。その後ろには、町中から出てきた謎の人々だ。
 途中、騒動を観察している今朝の三人組を見かけた。肌黒の巨漢は腕を組んでじっと宗士を見ているし、残り二人は何か互いに激しく話し合っている。だがそんなこともどうでもいい。
 宗士はその隣を駆け抜けた。
「隊長を逃がすなーっ!」
 また後ろで声がする。吹き飛んだ廃車の上を宗士が両手を使って飛び越えると、後に続く少女たちは身も軽やかに両足だけで飛び越える。
「理香っ! なんとかならないのっ!?」
 さっきから聞いていれば叫んでいるのは萌だけである。あとの二人は宗士を追いかけるのにそこまで積極的ではないようで、こと黒髪の理香は事あるごとに脇道を見て何かの機を見ているようだった。宗士について走る萌は、ウィザーズの隊長宗士を捕まえることに一生懸命のようだった。だが三番目のウィザーズ隊員美月には、なんとなくだがそこまで走る姿に真剣さが感じられない。
「べつにこんなことしてもねー」
 さっと脇道に逸れる理香を横に見ながら美月は廃車バリケードを飛び越え、やる気なさそうに普段語をしゃべった。
 先ほどまで話していた気取った丁寧語とは、だいぶ雰囲気が違う。
「誰かを追いかけて自分が走るのは、あんまり好きじゃないかなー」

 追いかけてくる群衆は多種多様で、それこそこの町に住んでいるあらゆる人々が集まり何かの意思をもって追いかけてくるような、謎の狂気をはらんでいた。
 町を覆う灰色のしょう気の色も濃くなる一方、目の前にあるはずの正門は、走ってもいっこうに近づいている気配が感じられない。
 群衆の足音はどんどん近づいてくるし、道に並ぶ高さも距離も横幅も違う障害物を宗士はいつも通りに乗り越え続けた。
 それでも群衆の気配はどんどん近づいてくる。ちらりと後ろを振り向くと、部下の少女たちがが平然と後に続いてくるすぐ後ろに暴徒同様の狂気を含んだ人々が武器も持たず素手で迫ってきていた。
 暴徒と違うのは、彼らは何も叫んでいないし目も怒りに満ちていない。
 まるで普段通りか、無表情なのだ。誰かの大きな意思を感じるほどに。
「ひっ」
 小さく悲鳴を上げる暇はない。かつての記憶と今の記憶が混在し、障害物の影にうまく張られていたワイヤートラップに気づくのがすこし遅れた。
 足先が触れてワイヤーがブツンと大きく弾ける。今まさに手をついていた中古車両が爆発し、勢いで道脇に設置されていたゴミ箱も連鎖するように爆発した。
 爆発は道に沿って相次いで続き、宗士はその場で飛び込むようにして道に伏せた。だがそこで足止めを食っている暇はない。群衆の足音はすぐそこまで迫っている。
「隊長だいじょうぶ!?」
 すぐ近くに倒れていた萌が宗士の手を取り立ち上がらせる。だが宗士は反射的に、自分の手をつなぐ少女の手を振りほどいた。
 萌は驚いた顔をした。宗士も驚いて手を引くが、少女はふたたび泣きそうな顔をしている。
 自分の頭の中で、いろんな記憶の断片がわき起こり混乱するようだった。
 泣きそうな顔をしている萌の後ろから、小麦色に焼けた美月が現れ黙って首を振る。
「こんなことって、こんなことって! こんなの、ぜったいあり得ないよ!」
 宗士は叫んだ。
「どんなことでも簡単に起こせるんだよ! この世界はッ!」
 返すように萌が叫び、その後ろで美月があきらめ顔で首を大きく横に振る。
 さきの爆風であたりが吹き飛び、近くにいたはずの群衆の足音は聞き取れなくなった。代わりに濃い霧と粉塵があたりを覆い、よく耳をすますと、キーンという甲高い耳鳴りの向こう側にかすかに人の動く気配が感じられる。
 ビル風が吹き抜け粉塵が薄くなると、群衆はすぐ目の前まで迫っていた。
 美月が小銃を構えて振りかえる。萌も群衆から宗士を守るべく、宗士を背にして後ろを向いた。
 少女たちの小さな背中を見ながら、宗士はまた一歩引いた。萌も美月も、宗士の動きをちらとも見ない。
「キミたちは、いったい誰なの。敵なの? それとも味方?」
「味方だって言って、隊長信じてくれる?」
 美月が群衆の方を向きながらこたえた。そこには、朝聞いたおちゃらけた様子の丁寧語は感じられない。
 萌の方は答えなかった。
「こ、これ……町ぜんぶの人たちだよ、ね」
 町に広がる不気味な沈黙のなか、宗士はひきつった声で誰ともなくつくやいた。
 そんななか、どこからともなく不自然な電子音がどこからか響く。
「?」
 何がどこで鳴っているのかわからない。その不自然で単調な電子音は、しかも宗士はどこかで聞いたことのあるような音だった。とりあえず自分のスマートフォンかとおもってポケットをさぐったが、特に着信もメールも何もなかった。
 代わりに動いたのが。
「この着信音、きらいよ」
 両手を広げている萌が片腕をおろし、どこの拾いものか分からないセーラー服のスカートのポケットからハンディタイプの無線機を取り出した。
 ちなみに、群衆の中には半裸の女子高生はいない。
「もしもーし」
 萌がそういい無線機に耳を当てる。萌のすぐ近くに宗士はいるが、無線機が誰かの声を拾っている様子には思えなかった。聞こえてくるのは低音と高音の入り乱れた、ほぼノイズ音にしか聞こえないランダム暗号通信だったからだ。
「……」
 萌はしばらく真剣に無線機に耳を当てていた。
 乱れがちな音波状況と間延びを繰り返す暗号通信だったが、途中でぶつっと切れて音が途絶える。
 萌は無線機から耳を離すと、表情を変えることなく無線機を地面に落としてかかとで潰した。
「ダメ。通信チャンネルも限界みたい」
「そう。もうダメなのかも……やっかいな事になりますわねっ」
 わざとらしく言い直して美月が振り返る。その言い方に意味があるのかと宗士も思ったが、それより目の前に迫り来る群衆たちの方が気になった。
「この人たちは、何者なの」
「知りたい? おほん。お知りになりたいかしら? この人たちはわたくしたちの、テーキっ」
 やや楽しそうに美月が答え、小銃を彼らに突きつけて撃つ真似をする。宗士たちを囲む人々の反応はない。
「この人たちはロボットよ。意識なんかない、与えられた命令だけを全うするある種の自律人工無能型の疑似生命体」
「でも朝までちゃんとしてたよ?」
「朝まではね。わたしたちが助けに来なければ、隊長このひとたちとずーっと日常ごっこ送ってたんだよ!?」
 一対二対多数の包囲網の中。萌がそう言うと群衆の方に反応があった。
 しばらくすると町の人々の包囲が解けて、人々の一角からあきらかに普通ではなさそうな人たちが現れた。
 それは、全身黒ずくめで中肉中背。上半身ほぼ全裸あるいは全裸に真っ黒な薄いスーツを着ているようにしか見えないが、それ以外になんの特徴も持たない真っ黒な三人組だった。
 顔にも特徴がない。むしろ目も耳も鼻もない。それらしい突起はあるけどそこには何もなかった。
 見ようと思えばスーパーマンっぽく見えなくもないが、雰囲気は正義の味方とはとても思えない。
 三人のうち二人は女性型。大きくくびれた足腰と特徴的な胸。
 真ん中の男性型は発達した筋肉の質感を露骨に表現し、発達した大きな脚を見せている。全員が典型的な男性像女性像をなぞってはいるが、個人を象徴するような特徴は一切無い。
「なに……この人」
 宗士はどん引きしながらそう言った。だが、前に立ちふさがる萌と美月は何も動じなかった。
「魔法の国の住人ね」
「魔法の国?」
「どんな無茶ぶりでも絶対できるからって意味かなっ……これ隊長が言ってたんだよ?」
 萌がそういって振り返ると、おなじタイミングで真っ黒な三人組は美月と萌の前に立ちはだかり腰に手を付け右腕を小さく掲げた。
「侵入者に告ぐ。あなたたちはこの世界の日常を乱している。今すぐ降伏するか、この世界からすみやかに出て行きなさい」
 非情に機械的な音声だった。
「ことわります!」
 萌は元気にそう答えた。それから宗士を振り返って
「この人を返してもらうこと。それから、今すぐあなたたちの管理者は機能を停止しなさい。できないのなら、わたしたちが実力で強制停止します!」
 黒塗りの男女たちに、小さな背中の萌は毅然とした態度で答えた。その言葉が何の意味を持っているのか、最初宗士は意味がよく飲み込めずぽかんとしていたがが、すぐにその意味が分かり始めてはっとする。
 今までもやもやとしていた疑問は直感を通して事実のように認識され、自分は今どこか、自分でもわからない異世界のような所に住んでいる事実を認識させられた。
 では、ここはどこだろう。目の前の少女たちは自分の仲間で、元いた場所に自分を連れて行ってくれると言っている。
 黒塗りの男女や群衆を前に毅然とした態度を取る彼女らは、宗士の価値観に言わせれば非常識そのものだった。
 対する黒塗りの男たちも現実的にはあり得ない姿格好だし、今こうやって少女や自分たちと対峙している間、彼らはじっと動かなかった。
 呼吸の動きもない。肩の揺れ、目の動きも一切ない。
 それこそ、ロボットか何かのようにじっと止まって、宗士の目だけを見ている。
 人間ならどこかとその全体をぼんやりと見ているものだし、動きだってゼロとイチみたいに明確ではない。
 彼らは今でこそ人間離れしている雰囲気だったが、宗士はその違和感に今朝まで気づかなかった。
 周りに立っているごく普通の町の人たちもおなじだ。
 町全体に、何らかの大きな意思を感じる。
「なんなの、これ」
 町中には静寂が広がり、宗士のうめきに似た声が通りの中で空虚に響いた。
 微動だにしない黒塗りたち三人組のうち、端に立っていた女性型の一人が動きだす。
 萌の動きをそっくり真似ると、両手を腰に当てて胸を張った。
「いますぐ、あなたたちは、機能を停止するか、この世界のルールに従いなさい。しないのならば、私たちが実力であなたたちをデリートします」
 所々不自然な音調ではあったものの、前に一歩踏み出た黒塗りの彼女は萌に警告を発した。そして声はあからさまに人工音声だったが、心なしか実在しそうな誰か声に聞こえなくもない。
「ダメ、ですわね。隊長どうします? あ、ちがった」
 小銃を構える美月が宗士を振り返り、てへぺろといった感じで小さく舌を出す。
「隊長代理の萌ちゃん?」
「むー。ところで理香はどこにいっちゃったの?」
「さあー?」
 もう一人いたはずの隊員を気にして萌が左右を見回すと、遠く群衆とも離れた路地の一角でじっとこちらをのぞき見ている人影がある。
「あっ、あそこにいる人じゃない?」
 理香と呼ばれる彼女がそこにいるし、しかもすぐ後ろには今朝方争ったあの肌黒の大男が立ってこちらを見ている。むしろ、理香を探すより男の方が目立っていた。
「裏切ったとか、かな?」
「く、くうーっ! あーいーつーめーまた勝手なことをッ」
 萌はその場で地団駄を踏んだが、彼女の様子を見ても、美月が相変わらず小銃を構えていても、目の前の群衆や黒塗りの男女たちはいっこうに動じる様子を見せない。
 静かに、挙げていた腕を下げて、胸を張った。
「再度警告します。この世界から立ち去るか、その機能を停止しなさい」
「お断りしますッ」
 萌は両腕を腰の後ろに下げた両吊り式のホルスターにかけ、ホックをはずしてゆっくりと拳銃を抜いて構える。
 黒塗りの男そのいちと、黒塗りの女その2その女3はまったく動じない。それどころか、声も出していないのに後ろの町の人たちの方が動き出した。
「くうっ! そうやって数で調子にのっちゃってェ! それ以上近づくと撃つぞ! 撃つぞ撃つぞ!!」
 だが萌は撃たない。
 心なしか拳銃の先が小さく震えているように見える。宗士はそれをみて、彼女も怯えているのに気がついた。
 自分の手のひらにも汗がにじんでいる。この汗は緊張からか。それとも、嫌な何かを感じてのことか。
 少女の背中には今朝弾を撃って空になった対戦車ランチャーの、ランチャーの部分だけが背負われている。美月も小銃を撃たずに弾倉だけ交換して構え直した。道路に落ちた弾倉には、弾は一発も入っていなかった。
 じりじりと人々の包囲網が狭まり、萌と美月、それから宗士はじりじりと交代していく。
「逃げよう!」
 宗士は萌に向かって提案した。
「……わかった。煙幕なら、あと一発くらい」
 そう言って萌がホルスターにくくりつけた炸裂弾に手を掛けると、前に立つ美月が急いで下がって萌の手を抑えつた。
「それ、最後の煙幕だったんでしょう?」
「そうよ。美月は火薬のにおいが好きなんだっけ?」
「それを使って次はどうする気なんですの?」
 美月が振り返り、ものすごい形相で萌の目をにらみつける。
 萌も負けじと美月をにらみ返す。
「これで敵の目をごまかす。風のない町中での使用なら、百メートル四方が約六十秒間煙幕で覆われる」
「その次は?」
「ここから逃げるのよ!」
「ここからどこに逃げるのよ! それに、こんなになっちゃった隊長も連れて行かなきゃいけないんですのよ!?」
「隊長なら頭から下はしっかりしてる!!」
「そんなんじゃ意味ないじゃない! 隊長は専攻してMMICSの停止スイッチを手に入れてどこかに潜伏している。その潜伏先を探し出して合流し共同してMMICS、インテンデンツの暴走を止める! 完璧じゃないの! それ以外の作戦がどこにあるの!?」
「じゃああなたが止めてみなさいよ!」
「どうやって! 隊長がいないなら私たちだけで任務を遂行しなきゃいけないのにそんなバカスカ弾使って任務が遂行できると思ってらっしゃるの!? あんたバカじゃないの!?」
「バカバカうっさいこの変態猫っかぶり!!!」
「あンたに言われたくないわよタイチョー代理見習いのちっちゃいの!!」
「うるさいうるさいうるさいッ!!!」
 顔を真っ赤にして叫びながら、萌は半泣きになって右手の拳銃を構え直し美月の頭に狙いを付けて、発砲した。
 空気の衝撃が宗士の鼓膜をゆらし、軽い発砲音が町中に響く。
 そのあと、町には白紫色の硝煙がたちのぼった。
 弾は美月のすぐ近くを通り過ぎ、後ろに立っていた黒塗りの男の胸に命中した。
「!!!」
 萌に胸を撃たれた黒塗りの男は撃たれた衝撃で小さく震え、しばらく立ち続けたあとに大きな音を立ててその場で倒れる。
 それを合図に周りの群衆が大きく動き始め宗士たちを完全に囲む。
 残りの女達もまたすぐに群衆の中に紛れて見えなくなったが、一瞬だけ群衆の後ろで何事も無かったかのように立ち上がった黒塗り男の姿が見えて、群衆にまぎれた。
「こっ、こんなの相手にどうやって勝てって言いますの!? そうだ、さっきの通信でSQ本部はなんて?」
「緊急事態発生につき、しばらく連絡は不能。各員は以後高度な潜伏を継続、任務を続行せよ。次の」
「次の?」
「……そこで終わり」
「隊長?!」
「隊長ッ!!」
 美月と萌二人が宗士を振り返り、無言の群衆が一気に襲いかかってくる。
 人が波のようになって動き捕まえてくる手を宗士は振り払い、懸命に前に進んだ。
 そこには学園があり、正門があって、その先には、偽りだろうが何だろうが自分が通う安心安全なセーフティーゾーンがある。
 そうして記憶の隅には、逃げろと言う言葉。それよりも何か心に引っかかる、何かを成し遂げなければならないという謎の焦燥感。
 知ってか知らずかあとの少女ふたりたちも後に続いた。
 迫る大量の腕、人々の顔、名前も知らないし会ったこともない平凡そうな人たちが一斉に宗士たちにつかみかかり、宗士は手に持っていたカバンで人々を押し返した。
 宗士の手足に腕という腕が迫り、宗士が押しのければ人が倒れ、倒れた人もまた宗士の脚にしがみつこうと這い寄ってきて誰かに潰され、潰した人がさらに宗士に迫る。それを繰り返し群衆は波のうねりのようになって宗士に覆い被さろうとした。
「隊長こっち! つかまって!」
 そこへ、どこに隠していたのか分からないフライトバックパックを背負った先ほどの萌と美月がやってきて、空の上から宗士を引っ張り上げた。
「うわあッ!」
「暴れないで隊長! 落ちる!」
 ぼぼぼっという心許ない排気音をとどろかせ、萌のバックパックは翼を展開し空を飛ぼうとする。しかしバックパックは出力をあげて高度を取るどころか、町の群衆のすぐ上を跳ねるようにして萌と宗士を引きずることしかしない。
「くぅっ! お、重い!」
「おおお、落ちるよ萌ちゃん!」
「こなくそーお!」
 宗士はこの空飛ぶ少女の名前を叫んで、心の片隅でちょっとだけ違和感を感じた。だがそんなひそかな考えも迫る群衆を足で踏みつけ飛び跳ねる恐怖には勝てない。
「わ! わ! わ!!」
「これに掴まるのよ隊長代理!」
 高めに空を飛んでいる美月がワイヤーを垂らし、萌に掴まらせる。萌は宗士を片手で引き上げもう片手でワイヤーを掴むがその下にぶら下がる宗士は、ただただ二人を信じて人々の真上を飛び跳ねることしかできない。
 目の前には、学園の正門がある。
「あそこに落として!」
 宗士は正門を指さした。
「なんでッ!?」
「あそこはここより安全なんだ! キミたちの話はきっと正しいとおもう。けどそんなことより、ボクにはやらなきゃいけないことがあるんだ!」
 宗士は真上の萌に叫びながら、自分の足下にしがみついてくる名前も知らない群衆の頭を蹴った。
 セーラー服にフライトバックパックを担いで、萌はさらにブースターの出力を上げようとする。だが出力は上がらず、宗士と萌はどんどん高度を落としていった。
「早く! ボクを離して!」
「た、隊長!」
 宗士は萌を、この空飛ぶ謎の少女に感謝の念を込めて見上げた。
「ボクはまだ逃げちゃダメなんだ。ボクには何か、まだするべきことがあるんだ」
「何かって、何を……」
「隊長ー! 隊長代理ー! もう、ダメー!」
 一番上で二人を縦吊りにしている美月が、腕をぷるぷるさせながら必死で叫ぶ。山のようになって宗士の下に集まっていた群衆の一人が、宗士の足を引っ張って力を入れる。
 宗士と萌と美月はがくんとその場で止まり、高度を落とした。
「さあ離して!」
「ッ!!!」
 宗士は懇願するように萌に叫んだ。萌は自分を見下ろし、また泣きそうな顔をしている。
 上では別の意味で泣きそうな顔をしている美月が、顔を真っ赤にしていた。
「今さらこの手を離せだなんてっ! そんなのわたしにはムリッ!」
「今さら何してンだコラァー!!」
「だってわたしたち、ずっと隊長のこと探してきてて! 今までずっと! 今までっ! ずっとずっと、この世界の中でッ!!」
「大丈夫!」
 気づけば宗士の頬に、ぽたぽたと誰かの水滴が落ちてきた。それは誰かの悔し涙かそれとも、ふとした拍子に感情が高ぶって湧き出てきた悲しみの涙なのか。
 それともワイヤーのいちばん上で歯を食いしばりながら二人を引っ張っている、美月の汗か。
 一瞬どの水滴なのかなと余計なことを考えたりしたが、宗士は余裕の構えで萌に合図する。
「大丈夫!! ボクを信じて!」
 その余裕がどこから沸くのか自分でも信じられなかった。宗士は学園の中でも地味な存在だし、運動だって勉強だってできない方だ。そういう自覚があるし、そういう記憶も持っている。
「っ!?」
 誰かが足をつかんで強く引っ張り、宗士を地面に向けて激しく振った。
 宗士は自分から萌の手を離し、萌も掴みきれずに宗士の手を離す。宗士は勢いよく地面に落とされ、バランスを崩した萌と美月は群衆の波の中に墜落していった。
 だがすぐに噴射剤を駆使して人々を蹴散らすと、彼女たち二人はすぐに翼を開いて空を飛んだ。
 宗士は空飛ぶフライトパックなんか持っていない。
 そもそも、そんなまか不思議なものはこの世界に存在しない。
「いててて……」
 顎と頬に強い痛みを感じる。皮膚もすり切れ血が出ていたが、正門はすぐ目の前だ。
 振り落とされた宗士は這いずるように立ち上がった。だが、足を道路に打ったせいか痛みで前に進めない。
 宗士は歩くのをやめ、自分を追いかける人々の方を振り返った。
「隊長っ!?」
「たいちょおおおおー!!!」
 空を飛ぶ不思議な少女たち。二人が、宗士を見て、絶叫を上げる。すると、ワイヤーを持っていた美月の方が、ワイヤーを捨て、翼とブーストを広げ宗士の方に猛然とダッシュしてきた。
「たいちょうあぶなああああいっ!!!」
 両腕と翼を広げ、美月が懸命に助けにやってくる。おなじくらい、群衆が宗士に迫り腕を伸ばす。
 美月の手。
 群衆の腕。
 爆裂するブースターと輝くアフターバーナー。
 どちらが先に宗士に触れるか、それを見届けられるほど宗士の心に余裕はなかった。
 だから宗士は顔をひき腕をかかげて目をつぶったが、次の瞬間なぜか鈍い音がして。

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