存在意義 2022/04/08
今日はピザハットの特うまプルコギを食べた!
やめて! 撃たないで! 話を……! ……話を聞いてくれ!! わかる。わかってる。あなたの言いたいことはわかってるって! 昨日私は「ダイエットします」という日記を書いた。そう、確かに書きました。
痩せない理由が無くなってしまったのでいい加減ダイエットします、という内容の日記を1500文字くらいかけて書いた。確かに書いた。それは認める。
待って! 撃たないで! 「じゃあなんで次の日からピザ食ってんだこの肉人形が。地獄で鬼にムチ打たれろ」と糾弾したくなる気持ちはわかる。しかし、私にも理由があるのだ。
今日も私は、夕方にボロボロのシューズを履いてジョギングに出かけた。「肥満走りてヒザ壊す」という言葉もある通り(ない)、急に思い立って走り始めた太っちょは己のヒザに負担をかけすぎて痛めるというのは良くある話だ。私はそれも考慮し柔らかい公園の土の上を30分くらいすたこらさっさと走り回っていた。いや、本当は疲れて半分くらい歩きだったが、それでも運動を継続するというのは偉大だ。我ながら、なかなか頑張っていると言えるだろう。
そして公園でひいひい言いながら走り回り、シャツが汗で湿ってくる頃に私はふと思いついたのである。天啓と言ってもいい。とにかく、私は悟ったのだ。
「ダイエットは自らの存在をこの世から削る行為である」と。
我々はこの世界に存在しているが、それを証明しているのはこの肉体に他ならない。霊や思念体が科学的に証明されていない以上、私という"個"を証明するのはこの現実の肉体なのだ。ソーマ(肉体)とプシュケー(魂)でいうところのソーマこそが我々の証明だ。そして、生物はやがて死に、死骸となったモノの大部分は灰になったり他の生物の血肉になることで、消える。そう、消えるのだ。
そしてダイエットとは、自らの脂肪をこの世から消す行為。仮に私が全体重の10%の減量に成功したとしよう。そのとき、私の存在はこの世から10%削られているのだ。死が生物の100%の終わりならば、ダイエットは10%の終わりと言えるだろう。
私はダイエットを通じ、10%死ぬのだ。
これに気づき…………私は頭を抱えた。私は死が怖い。自分の意識がこの世から消えてなくなるのが怖くてたまらない。しかし、ダイエットはしなければならない。まるで電気椅子を前にした死刑囚と同じ気持ちだ。
真偽は定かではないが、死刑囚は死の直前に望めばタバコを吸わせてもらえるらしい。死という最大の恐怖へと向かう、最後の餞別なのだろう。それを吸うことで精神が落ち着くのなら…………気持ちは痛いほどにわかる。
しかし私は喫煙者じゃない。
じゃあピザだろ。
これから10%死ぬんだ。ピザハットの特うまプルコギを食べずに死ねるかよ。むしろ食べずに痩せたら化けて出るよ。私から居なくなった脂肪が幽霊になって枕元に現れるね。脂肪が死亡で幽霊? ってこりゃやかましいわ!! ガハハ!!!
やっぱ特うまプルコギが最高! 生地はクリスピー! 宇宙一美味しいぜ!
死ぬ前だと思えば、スーパー・シュプリームもいっとこう。「シュプリーム(supreme)」とは「最高」という意味。その名の通り、具沢山で豪華な"ザ・ピザ"とも言える最高のスタンダード・ピザだ。こちらも激ウマ!
ついでに和風タツタチキンも注文だ。こちらは初めて食べたけれどなかなかGoodだった。衣がちょうどよくクリスピーだし、骨が無いから食べやすい!
そりゃあポテトも食べるよ。死ぬんだもん。私がおめおめと泣きながらダイエットフードでも食べていると思ったか? ピザハットのポテトは独特のカリカリ感があって美味しいんだ。私が外すわけないだろう。
ジョギングから戻って、シャワーを浴びて、ピザをパクリにポテトもむしゃり! 最高の一日だ! これこそこの世に生きる意味だ! どうだ参ったか!!
やめて! 銃を降ろして! 撃たないで!!!
終