古民家から読み取る日本の思想
暮らしや生活に着目する中で、私たちがかつて生活していた住居から、以前の私たちの考え方がどのようなものであったかが示唆される。
それは、環境問題がよりフォーカスされる中で、より永続性や他の生態系との共存のための示唆となるだろう。
そのような考えで、かつて私たちが住んでいた民家に関して現地で聞いた話を記していこうと思う。
屋根は葦、萱、藁、といった植物が扱われていた。
葦に関して言えば、海水と淡水とに混じり合う地域で生えていた葦は屋根に扱うと屋根の耐久性が高いという。両方の水質に適応しているためか、水をよく弾くのだそうだ。
これは考えようによっては、私たちの生き方に対する示唆のようにも受け取れる。つまり、多様な環境を経験することは生きる上では不可欠なことかもしれない。それは環境だけでなくとも、領域でも、経験でも、なんであれ。少なくとも、長生きはしやすい。
そんな葦を屋根に使用した古民家はその構造のそのもの自体にすら、自然対する適応として、自然の状況を受け入れるという考えが内包していると言えるだろう。
例えば、地震に対する対応方法として、地震に耐えるための構造というものではなく、地震とともに揺れる。言い換えれば免震構造の仕組みになっている。仮に耐震の構造だと、ある一定のレベルに達すると崩壊してしまう。頻繁に地震が起こる地域においては、度重なる地震によって崩壊してしまう可能性がある。そのため、免震構造の住居としてかつての民家は建てられた。これは自然に対抗する構造というよりも、受け入れる姿勢が垣間見えると言えるかもしれない。
こうした免振構造を組み立てるうえで、釘は使用されていない。
全て組み木で構造を組み立てている。屋根構造の設置には紐を結んで組み立てる。なぜなら地震が起こった際には組み木のために構造が揺れにあわせて稼働しやすく、紐による固定もまた、地震によって柱同士の接合部が稼働するため、振動を軽減させる。力が分散することで地震に耐えるのだ。
そして構造が傾くか、構造の組みや紐が緩んだら元に戻す。そうすることによって、家は長持ちする。
この古民家の構造は石に木材を乗せた構造だったが、免震させる工夫により、地震に対応した。
こうしたつくりは地震という人が制御できない状が発生した際に対抗するということではなく、むしろ揺れる。言い換えれば、揺れることを受け入れるという自然に適合する考えが内包しているように見受けられる。
それだけではない、うまく適応するためには、自然からもたらされる害にも注視しなければならない。その点でいえば、民家の構造における床を地面から浮かした構造も、そうした対応の一つだと言えるだろう。
床は位置を地面から浮かし、通気をよくした。なぜならここに湿気が多いと白蟻が発生する。構造に虫が住み着き、足場から倒壊する。すると全てが倒壊してしまう。そのため、床下は通気をよくしなければいけなかったという。また、蚕や家畜は湿気に弱いことも、家屋の通気性が高さに影響している。
しかしながら、これは家屋の暖房能力の欠如を意味する。
したがって、寒い冬は家畜を土間に入れ生活した。暖をとる際は家畜を利用することもあった。組み木構造のため通気性が高い日本家屋においては、冬場の寒さが厳しい時期は家畜を利用するか、身にまとう物を利用して寒さをしのぐ考えだった。家畜は寒さをしのぐもう一つの手段だった。もちろんのこと、囲炉裏も使用する。囲炉裏を使用していれば、煙がたち、屋根の茅葺きに虫が沸くことはない。
あらゆるものを利用し、適合し生活する。
気候変化が多い環境のなかで、言い換えれば、変化の多い環境のなかで、それに対抗するのではなく、ともに変化していく、あるいは状況を受け入れる。
かつての日本人がその環境に住まううえで蓄積された自然観がその環境に対する姿勢にも現れているように見受けられる。
こうした自然に対する姿勢は、変化が激しい状況、とりわけ現代に対しての示唆に富むと言えるだろう。
過去の暮らしや民族の生活に触れ、暮らしの中における価値を探っているが、その過程で日本文化にも触れるようになった。
江戸の循環システムや水道システムに関してもそうだが、改めて知恵や仕組みを知っていくと、そのシステムの精度に感嘆する。
土台さえ生き残ってさえいれば、多少傾いても元に戻せる。状況の変化にたじろいだのなら、振り返ってもいい。優れたものは意外と身近に存在しているかもしれないから。