余生を生きる
今このとき、私の心臓が止まったなら。
私は喜んで死ぬだろう、と思う。
結婚をした。
子どもも産んだ。
生物としての役割はもう終えたと思っている。
今の私は、余生を生きている。
子どもたちはまだ幼いが、彼らは産み落としたその時からひとりでたくましく生きている。
乳をやったり人間界のルールを教えたりなどしているが、これは産み落とした当人でなくても、誰がやっても構わないことだ。
いま私が死んだところで、とくに誰も困らないだろうな、と思えるほど、私は大したことをしないで生きている自信がある。
そんな生き方が楽しいのか、と問われれば、私以上に人生に満足してる人間はそうそういないと胸を張ってこたえるだろう。
私は私の人生に満足しているし、今よりもっと楽しいことが未来に待っているとも思っていない。
未来に期待をしていない。
だから私は、いまの一番楽しいこのときに、サッと刈り取られるように生を終えたいのである。
その、生を終わらせることのできる大きな何者かが、私の目の前に現れる気配が全然見えないおかげで私は、昨日の私より今日の私が幸せであるように努力し続けなければならないのだ。
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