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話しやすさ
「話しやすい」と言ってくださる方がいる。
「何でですか?」と訊ねられ、答えはしたものの自分の中で「はて、何でだろう」と思った。
意識はしてきていたので、「話しやすい」と言われるのはとても嬉しい。そうということを前提にしてちょっと考えてみたい。
病院勤務時代のことが大きく影響しているように感じる。
報連相をするためによく話しかけねばならないのだが、その時々の気分などで話しかけると嫌な顔をする人がいた。
内容を伝えてもその後は否定、叱責。
そもそも私が話伝えることは、前提に至らないところがあるとでもいった様子で聞いていたように思うし、その人以外にもそういう人がいた。
段々と話すことが怖くなっていった。
どう思われているのだろうと怯えるようになった。ちゃんとしたいのにそうしようとすればするほどできず、別病棟の話ができる人に口癖が「駄目だ」になっていると言われた。
できて当たり前。が、できない。駄目。
自分も自分を責めに責めて精神が病んでいった。
以前の記事でも書いたが蕁麻疹が朝晩出るようになり、引っかき傷で腕や足は蕁麻疹とは違った赤になった。休みの日に一駅でも職場方面へ向かうことを身体が全力で拒否をした。当時の彼女にもそれは隠しきれずに出てしまうこともあった。
「話しにくい」
ただそれだけのことが、人をこんなに苦しめるのかと気付いた。
だから私は、話しにくさを与える「この人たちのようになりたくない」と強く思ったのを覚えている。
その人たちのようにならないために、失敗は何度でも教えればいいと考えるようになり、常識なんてものも生活の仕方で知らない人もいるだろうし驚くことなんかせず、ただただ教えてあげればいいだけじゃないかと考えるようになった。
否定しないことを大事にしたり、急かさないことを大事にしたりしようとも思うようになった。
自分だってそうしてもらったら気持ちが楽だから。
そういったことから更に、ゆっくりでいいよ、まとまってなくてもいいよという気持ちで聴くようにもなりだした。言葉で伝えることもある。
この人なら話せると思ってもらえるように、忙しくても手を止めて耳を傾けること、そもそも聞くことは勇気がいることだから、聞いてくれたらよくぞ聞いてくれたって思う。だから話の最後には聞いてくれてありがとうって言える時は言う。またなんかあったらぜひ!とか、きいてね!って言う。この人にきいてよかった、話してよかった。そう思ってもらえるように。
このように振り返ってみると、臨床心理学的なカウンセリングマインドやインプロの「Yes and」のマインドが背景に強くあるなぁと感じる。
最近も無意識に近いところで話しやすい人を目指して心がけていることがあった。それは表情を明るくすること、口角を上げること。
そうすると不思議と気持ちが軽やかで明るくなる。笑顔も増えるし他者との関わりが楽しいものに感じられてくるのだ。
反対に目を細めて口角を下げると世界がネガティブにみえるから不思議だ。
と、こんなことをやってみている。
まだまだ意識してきていたことや既に無意識にやっていることなどがあると思うが、定点を打っておいたほうがその後の思考がしやすいので、とりあえず書き残しておく。
早速浮かんでくるものがあるので最後にひとつ。
自分の気持ちに素直で在り、かつ、率直にそれをその場で配慮と思いやりを込めた言葉で伝え返すということ。
そのようなことも大切にしている。
正直でわかりやすい人であろうとしているのかもしれない。
独り言だが、
暴かれてぇ、って、そりゃなるか。