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自分のためではなかったある人たちの夏。映画、「ホットサマーナイツ」を見て。

いつになっても夏は色々な顔を見せてくる。

「じゃあね!」とまたいつか会えるかのようにカラッとしていたり、
じっとりと、1人で座り込んでいるように重くまとわりついてきてみたり、色とりどりの思い出を連れてきてくれたり。
「夏」と言う単語に対して、色々な思い出が人それぞれにあるように、実は多面的な顔を見せてくる。
みんなが抱くイメージばかりじゃない。

映画、「ホットサマーナイツ」を見た。

舞台はアメリカのマサチューセッツ州の東端にある海辺の小さな町ケープコッド。そんな田舎街での一夏の若者たちの物語。
避暑地らしく、夏の間だけ、街にやってくる人がいる。その反面、人生の大半、と言うかほぼ全てをここで暮らし、
街の中でのコミュニティや出来事が世界の全てだったりする人も、ここから出て自分の世界を広げていこうとする人も。

制作スタジオであるA24が前回送り出したのは、閉じきった空気と気持ちのサクラメントからNYへと自分らしさを求めて抜け出そうとする少女、
レディ・バードの物語だった。それは、狭い鳥かごから抜け出そうともがく姿を自分の窮屈な日常に重ね合わせて、応援してける1本だった。
(超名作!)

しかし今回は、いつまでもここから抜け出すきっかけさえもつかめない若者たちのそれぞれの「夏」があった。

人生でどちらが正解かなんてないと思うけど、きっと、当事者たちは、「その瞬間」には間違っているかいないかなんて、わからないと思う。

登場人物に自分自身を照らし合わせることなく、淡々と、夏の出来事を眺めていく。
これはそんな1本だった。

それでも、重くならないのは、閉じた生活を潤してくれるための、90年代初頭の町の人たちへの精一杯の娯楽を見せてくれるから。
遊園地、ホームパーティ、ドライブインシアター、ダイナー、スポーツカー、ドラッグ。さりげない街中の施設の1つ1つが、全力で夏を追いかけようとするかのように、
いろい鮮やかなネオンで彩られている。

僕らは、それを「あの夏の出来事:として、全身で感じ取り、多ジャンルを横断したサウンドトラックとともに、ただ、「彼らの一夏」を見守るのだ。

とにかく、このサウンドトラックの選曲が素晴らしい。

この映画に登場するのは、「まだ何者でもなく、何者かになるにもどうしたらいいかわからないから、とにかく与えられた環境で生き続ける人々。」

その心情は1つのキーワードで片付けられるものではない。

そこを彩鮮やかな選曲でコーティングしているということはつまり、登場人物達の感情を、サウンドトラックで表現されているのではないか?と感じた。

レディ・バードは、「彼女から見たあなた自身の物語」。

でも、ホットサマーナイツは、「人々の日常の物語」。

それぞれの立場があって、事情があって、世界が成り立っていた。

映画館の帰り道、線路沿いを歩くシャツにはじっとりとした汗が滲んでいた。

2019年の夏は、まだ自分にとってスッキリとはさよならしてくれないみたいだ。


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増田ダイスケ
新しいzine作るか、旅行行きます。

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