雑記・書簡(誰に?)-最近はわりと舞台を見ているって話題とかカロリーの高い意見だとか。

(タンブラーから移動中ですので重なるけどここでは新譜!)


何か記憶が途切れないうちに残しておきたいなってものが、時々あるんだ。
それは、思い出だったり、忘れたくない出来事だったり。
写真に撮影したり、今は手軽にSNSにアップしたりするけれど、それは記憶でも記録でもなく、たぶん今の時間にスタンプを押すようなもので、
振り返ったり、誰かの心に残してみたりするものとは何か、空気が違うなって感じていて。悪いことでもなんでもないけれど、だからこそここ数週間に自分の中に
考えて残しておこうかなぁって思った出来事についてこんな時間に不用意に綴ってみたりするわけです。雑記・雑文。そんなものだけど、いつか役に・・・たたないな!
テーマはあるけれど、恐ろしく脱線します。でも、これはメモなので 笑。間に受けなくてもいいです。どっかの現場で討論したいわけでもなくって。


■わりと舞台を見てる


最初はそんなに好きでもなくて、なんか近づきがたい世界だったんだけど(ステレオタイプな!)、去年くらいでしょうかね。
ふらりと新宿で、なんとなく偶然に、劇場の前でチラシを見て、まさに今から1時間後に始まるなんてタイミングだったから飛び込みで見たの。
それは、よくわからなかったけれど、学生のサークルの研究発表的なステージだったんだけど、その日常を切り取って、ある出来事を研究対象にしていながらも、人間は老後、制度に守られていくのか、それとも自分たちで誰にも邪魔されない生きる空間を作るべきなのか?を、住民、政治家、しがらみがありそうな地元の企業、役所の人、東京からあるその地方都市に進出してきたい企業の担当者という全員、その街でのこれからを虎視眈々と自分のポジションを確保するために会議という名のもとに、心理的な駆け引きをしていくとても素晴らしい内容だったのさ。


もう、誰もが正しいの。間違いなんてなくて、練りに練られた正論をそこで展開して、そして誰の考えとも親和性がない。おそらく10人生きていれば大体は10人が違う意見を持つし、全く同じ人生なんて歩めないんだから、本来、そういう場所で何かを決めて、一つの結論を出さなきゃいけないなんて、不可能に近いと思うんだ。


でもね、それでもね、僕らの生きる世界は奇跡的なバランスで、何となくみんなが距離感を持ってね、成り立っているの。何でだろうと考えたね。考えたよ。普段は、コミュニケーションをどう作るかを仕事にしている身としては考えざるをえなかったね。


結論・・・なかった・・・。そのバランスを保てる要因として思い当たるものって、「教養」「思いやり」「自分を守る」。そのキーワードしか思い浮かばなかったんだ。もし、高名な哲学者だったらどうなるかはわからないけれど、自分にとっては、その3つがあるから、うまくいくような気がしていて。

「教養」


改めてこれ、すごく大事なんだなぁと最近まざまざと感じていて。それは、学校の成績とかではなくて、点数化はできません。


たくさん本を読んでみたり、音楽聴いてみたり、出かけてみたり、仕事で成果を出そうとしたり、家族のために何か作ったり、いろいろなんでもいいのだけど、そこで感じることをそのままにしないで、自分の中に経験値として積み上げることができるかって、本当に教養であり知性だと思うんだなん。なん。なん。


それはなぜかというと、その経験はした段階ではメモみたいなもんなんだ。メモ帳どころか、付箋に見たものがバラバラと書き並べられているのと同じで。
それを自分の中で噛み砕いて、言語化して、まとめて、編集して、次に繋げたら経験値になる。それは、いつか必要な時に頭の中の引き出しから取り出して、出せるようになる。


DJ作業でいうと、自分のアーカイブから今のフロアの状況を見て、一番適切なものを選び出して、それを何曲か繋げて、プレゼンテーションするのと同じで。


ここで大切なのは、単体をポンって出すんじゃなくて、ある程度つなげる位の二、三個のものを出してくることなんだ。特に伝えるべき相手がいれば尚更だよ。


そのために必要なのは語弊力。何でか?なーんでか?
自分の何かにたくさんある気持ちはクリアに見えていて、言葉にされているわけではないのです。それはね、絞りだそうとする瞬間に、何か普遍的な言葉に置き換えないと伝えられないから。


そのためには僕らはできるだけ多くの表現方法と、言葉、つまりは単語を知っていなければならなくて。


天才でも、単語を脳内で作り出すことはできないのです。自分の中に辞書がないと、それはでてこない。機械と唯一違うのは、自分で忘れることもできるし、必要分だけ入れることもできるし、不規則に並べ替えて誰も見たことのない世界を作ることだと思うんだけど、とにかく、言葉の力は言葉の数に比例していく気がしてる。何かそれは間違いない。


それをさらに多くの人に伝えるためには、400文字の原稿用紙に10くらいの段落で書いたとしても、すべての書き出しと感想が同じ表現だととても読みづらい 笑。
だから、接続詞も形容詞も同じものを連続では使えない。そのためには類語を知る必要がある。


脱線しました。そこでね、積み上げるための教養があるかは、いかに普段、インプットを意図的にしていて、それを言葉に置き換えられるかを訓練しているかに尽きるのです。


結果、いい本を読むだろうし、いい映画を見るだろうから、とテーも知性が積み重ねられていくのです。なんだ、悪いことないじゃん。


時間だけは平等にできている世の中っぽいので、その入れる時間だけ・・・かかるけれどね。でも、何かに触れている時間は楽しいし有意義なことだから
OKなんだな。
それ、最終的には何をするにも一緒でしょう。誰かに気持ちを伝えるだろうが、思いついた何かをアイデアから企画にして、誰かに説明して、形にして、世の中に見てもらう。だろうが同じ。
それが乏しくなれば乏しくなるほど、今度は世の中の多様性が失われてしまう気がするのだよ。だって考えてみてみ?


1人として同じ人はいなくて、さらに人種が分かれていて、信じる神様も違っていて、制度の違う国に属していて、文化としきたりが違う街に所属しているんだもん。

それは贖えない結果だもん。生まれる場所、選べないもん。
同じになればなるほど、管理する側はとても楽だと思うけど、生きる側は同じ世界を見ていなきゃいけないよね。それで、少しでも違うものが来たら怖いよね。
だから、優しくなれないよね。ギスギスするよね。バランス崩れるよね。って気がしているのです。


だから、表現は多岐にわたっていればいるほど、いいなぁなんて思うから物語をなぞるよりは、自分に置き換えてみたりして、単語一つでも入ってくるといいな。
間違わないで欲しいのは、これは、暗記ではないからね。記録と記憶は別物だからね。


「思いやり」


大前提として、偽善は嫌い。あんまり知らない人から心がこもっていても「わかるよベイビー」なんて言われても嬉しくもないなんていうとてもスレた人間なんですけど、それをするような思いやりなら捨ててしまえ!街に出ろ!なのです。


ここでの思いやりって何かって言うと、「適切な対象との距離感」なんだよね。詰めすぎると邪魔で、遠すぎると何も始まらなくて。とてもとても難しいことなんだけど、その距離って、ともて大事な気がするのです。
何も、いろいろ思いやりを持って過保護のように心配してねってわけじゃない。それは、親親族家族恋人キスフレ添いフレにでもしてもらえばいいいです。


むしろ、離れる距離感の方が大切で、「これ以上近づいたらこの人嫌だろうな」って感じることができるのかなってことだなぁと。10人いればみんな違うから。そして、普段は距離を保っていればいいんだけど、いざという必要とされていそうな時には、普段よりも一歩、二歩?気持ちだけ寄せる。まだ行動には移さない。それは、必要とされたらでいい気がしていて。まずは気持ちだけいつもよりほんのすこし先にゴールラインを設定してみる。
そうすると何がおこるのでしょーーー。多分、ささいな相手の嫌な部分をやり過ごせて、許容できる魅力的な部分だけ見えやすくなってくる気がする。それは適切な距離感に通じていて、もし社会全体がそれができたらマジで平和になるんじゃないかってくらいに思ってみたり 笑。ユートピアだねー。


「自分を守る」


別に難しいことはないんだけど、危なそうなところには血月付かないとかはまぁそういうもんなんだろうけど、近づかなすぎると家から出なくなっちゃうから、まぁ無理して同意したりしなくてもいいんじゃね?
ってことにも近くて。どうせ自分のクローンじゃないのだから。まだ今の時代では。嫌なものを無理してやる美徳はとりあえず置いておこうかなぁなんて思ってみたりしていて。


まとまらないな!でも、大事だよ。自分。もう、先に述べたように他人には一歩近づいて気持ちを寄せているのだから、あとは自分を大事にしてみよう 笑。


で、ドウデモイイ話が続いたけれど、演劇にはそういうのを気がつかせてくれる要素が満載だったとですよ。


3000円とかで、90分とかで、それに気がつかせてくれて、なおかつお話を見るので面白いし、何かしらテーマはあるのだし、いいんじゃないかと思い出してきて・・・。


通いになりました。


映画でもいいんだよ。でも、あれはお金をかけて作り、ロケをしているので世界も変わり、やり直しも聞くので完璧にしてあり、なをかつ時間も長くできるので、いくらでも見せられるので。
(否定とかじゃないよ。映画大好きだよ!→ウディアレンのミッドナイトインパリと、スターウォーズと、ハイフィデリティが一番大好きだよ!)

舞台は、準備はものすごくされているのを前提に、その場勝負だし、何よりテーマがあれば、それを制限時間内で、狭いステージの中で置ける最低限のセットで伝えなきゃいけないから、どうしても同じシチュエーションの中で表現されているし、そこを広げるためには、セットのアイデア、シナリオの流れ、セリフの多様さ、役者さんの演技のアクション、演出で勝負していくしかないのです。


限られた範囲で無限に挑む・・・ではないけれど。そういうところが自分に一番合っていたのです。直球で考えるべきポイントを投げかけてきてくれるんだよな。


普段さ、制約のない案件なんてないのですよ。日常で。締め切り、予算、しがらみ、DJの持ち時間と持っていける音源の限界、ほしがられるページ数、制作時間・・・。日常の起きる出来事、多分全部制限のない条件なんてないんだぁね。


だから、そこで何か伝えられるものを表現するためのヒントって舞台の中にたっくさん入っている気がするのです。


あ、もちろんそんな難しいこと考えながら見ていないです 笑。笑いたいし、泣きたいし、感情移入したいし、役の中の誰かになりたいし。基本はそこだよっ!


でも面白いな。どれを見てもなんだけど、必ずしもわかる人にはわかる小ネタを挟んでくるんだもん 笑。そういうのが回毎にアドリブでもなんでもできちゃうのも好き。


二度と同じものがないのもそういうことだね。停滞してない。


1.動物電気/タイム!魔法の言葉

ただ、近場で観れるというだけで入りました・・・。
2回見てしまいました・・・。あまりにも・・・自分にとって斬新すぎて・・・心に焼き付けておきたくて。
開演前のBGMがJens Lekmanだった時点でもうね・・・大丈夫な気はしていて 笑。

演出、ストーリーとは1mmも関係なかったので、誰かの趣味なのでしょう 笑。

あれだけ仕込んだら、わざわざ劇場まで舞台を観に来る人たちだよ。だいたいなんかに引っかかる。


だから、クスッって笑えるポイントが多分、お客さんの数だけ用意されているんだ。それが大ネタでもなんでもないし、別にあってもなくてもストーリーは美しく成り立つので、余計に際立つんだよな・・・そして詰め込まれすぎていないのでその小ネタのカロリーは別に高くはないし、きちんと物語に集中できる。


そういうのができるって、ものすごい引き出しを知っていて、かつそれに夢中になった過去があって、自分化されていないとできないよあんなの。


だから、とてもアカデミックで知性と教養を感じた。おそらく台本が下ネタでもそう感じることができてしまった気がする。


肝心の物語自体は、ある下宿にプロレスラー夫婦が引っ越してきたり、売れない漫画家がダラダラしたり、ニートっぽい大家の弟が未来が見えなかったり、すぐ仕事辞める料理人が言い訳しまくったりする1つ屋根の下の人間模様に、なぜか宇宙人がやってきて、ネガティブな思考の人を別の時代に送りまくって混乱するという少しめちゃくちゃな内容なんだけれど、前途した小ネタ満載により、それがキチンとしたストーリーとして進行されていくのですよ。
本当に面白かった。誰も不幸にならないやつだった。


だから、王道みたいな設定を無茶苦茶にして、それを円滑剤のように入れていった小ネタで物語にしちゃうという構成力と表現に衝撃を受けたのです。
何度でも見たいよ。これ。


宇宙人と戦おうとする下宿の漫画家、頭にヘッドライトつけて、散弾銃持って、ブリーフ姿で出てくるんだぞ・・・。それ・・・大元を辿れば元ネタって・・・。あれだぞ・・・。


時間移動をする話だったので、その戻り方、入れ替え方もバランスが完璧で秀逸だったのです。すごかったな・・・。本当に素敵だったな・・・。


2.Dotoo!/捜索隊、南へ

そこでもらったフライヤーのデザインが気に入ったという理由だけで見に行きました・・・。


最初、なんか誰かを探したりして寺家ん解決でもするのかなぁって思いました。そういうイメージだよ。初見で。
そしたら、山小屋の中で、たくさんの登場人物が入れ替わり立ち替わりに出てきて、ある人はいなくなったペットを探しに霊能者と出てくるわ。
行方不明になった親を探しに出てくるカップルはいるわ。その行方不明な親は大学教授でそれを探しに来た同僚と学生がなぜか同僚教授の愛人と出てくるわ、怖そうで悪そうな2人組は出てくるわ、山小屋あたりの消防団員は出てくるわ、何かを捜索している刑事が出てくるわで、とにかく狭い空間にたくさんの登場人物が出てくるのです。


それがみんな、目的も違うし、主張もスタンスも違うもんだから、その小屋の中に現れる人物グループが誰かによって基本的には違うストーリーが展開していくのです。


だから最初は断片的な各人のシチュエーションを見ていて、それが時間ごとに小屋の中にいる人物は違ってくるので、積み上げられた断片的な出来事、事情は少しずつ完璧なシナリオからほころびを見せてくる。


その段階で初めて物語はスタートするようなもので、ばばばっとばらまかれて散らかっているエピソードが描かれた付箋のようなものが一枚、また一枚とカテゴリ分けされていって、共通項の中のフォルダに入れられていく。
進んでいくうちに、僕らはそのフォルダの中身を覚えているもんだから、違う登場人物たちが絡み出しても、自然とつながる部分を見出していくことができる・・・。


最終的には、その森で起きた殺人事件とその元になった宝石強盗事件に絡んできて、1本の線になるんだけど、そこだけでは終わらなかった・・・。


もちろん事件性のあるものに関しては法に触れてしまうので、刑事の元で自分が捕まらないように、怪しまれないようにアリバイを話していくんだけど、嘘をついていたら必ずたくさんのエピソードに照らし合わせられると、ほころびが出ていて、ごまかしていることがバレるのね。完璧なアリバイなんてだいたい成立しないと思うので。


その人間模様があまりにも秀逸に描かれていて。途中から本題というよりは、その各人のエピソードを楽しみ出して。でも、それぞれみんな生活があるもんだから、最終的には落とし所を見つけて、当たり障りのない関係性の中で元の居場所に戻っていく。


これ、ものすごく高度な世界だと思った。あれだけ違うジャンルさえ別なんじゃないかっていうパズルのピースをばらまいて、普通はそれが完成したら、はい。行方不明者見つかりました。こいつが悪いの逮捕です。


めでたしめでたしなんだけど、その余韻を不幸に見せないようにしつつも、エンディングは全くそこを描かれていなかったんだ。


その中にいた人間たちの関係性をゆるい接着剤でつなぎ合わせて、共通項を少しだけ見せることで、全員が安心感を覚えて、さらりと日常に戻る。そのなんだか知らない幸福感の余韻に包まれて、最終的な本題は結論付けられていなくて観客の想像の中に置き去りにされるのに、全体的な空気感でだいたいを察することができる。


すごい構成だった。アイデアと、演出だけで、ここまでバラバラのものを同じ空気の中に置くことができるなんて・・・。


ある意味ジャンルレスで。同じハッシュタグの付けられたものでまとめることでトレンドと空気を作り上げる。


それと全く同じじゃないかって!!!


ナウいです・・・その手法・・・ナウいです。サニーディサービスの配信限定の新作だとか、今のヒップホップと同じです・・・。


と、まぁ一番記憶に残った作品を自分としては真面目に考えてみたんだけど。
こういうメモをすることでもだいぶ見て良かった気になるのです。


相変わらず劇団のお名前も、役者さんのお名前も経歴もわかりません 笑。
でも、気になる方は他の作品も見に行こうかと思います。


そしてその場でいただいたチラシを見てまたカレンダーと相談しながらふらりと劇場に足を運んでみようかなぁなんて思うのです。


雑文、長くなりました。まだまだ書いていないことはたくさんだよ。


■AI時代にレコード屋でわざわざ買うことはなぜなのか。それはカッコつけているではなく明確な理由があるのさっ!
人工知能には絶対にできないと信じていたいカルチャーとの接し方と表現について

■AKB総選挙2017を見て最終的にはまゆゆの卒業コンサートは絶対に見なきゃいけない案件だと思ったなう

→ケンドリックラマーのあれはどうでもよくて単に思い入れ。インディロックよりも熱く話すのでめんどくさいかもしれない


■Dirty Projectorsではもうないのに1番Dirty Projectorsだったレコードの話

とか書ける話から書けない話まで色々あるんだけど、なんかどっかで会って聞かれたら話します。


あ、でものんびりマイペースなのでわーって話したりしないですからね 笑。


DJしてるときにでも優しく「これ、誰ですか!?」て声をかけてください。

それだけでプラス1時間頑張れます 笑。


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増田ダイスケ
新しいzine作るか、旅行行きます。

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