きっかけはほんの1曲から - 音楽年表が自分史になった出来事の日々(前編)
年の瀬になると、何か振り返りグセがついている気がしてならない。
それは、昔からずっとで、意識的にしているわけではなく、1月から12月というカレンダーが生まれてこのかたずっと染み込んでいるから自然とそんな思考の癖がついてしまっているんだろうな。
としか思えなくて。
もちろん、そこで振り返り「こんな1年でしたね」で終わらせることは簡単で、日記帳やインスタを見返せば終わってしまう。
だから、じゃあそれぞれの出来事について、どう感じたか?を考えることがより大切になる。
別にそこに対して自分は解像度の精度はそこまでは求めてもいなくて、「次に繋がる」程度のものがあればいいと思っている。
何かをするときに1つの「大好きなこと」が原動力になることがある。
僕の場合は音楽。
きっと誰かにとっては、映画かもしれないし、仕事かもしれないし、家族かもしれないし、本かもしれない。
それがないとは言い切れないけれど、自分はとにかく音楽。
なぜ音楽に目覚めたのか。
はっきり言って自分から求めて行ったことは幼少期の体験を意識しても思い当たらない。
気がついたら好きだった。
1つだけ言えることは、「周りに音楽がめちゃくちゃ好きな少年の心を持った大人」がいて、「たまたま楽器ができる友人がいた」からでしかない。
巻き込まれ巻き込まれ巻き込まれいつの間にか自分ができていた。
偶然、ご縁から「出会った本」から自己形成を振り返ることがあったので、自分を見返してみたんだけどじゃあ、きちんと音楽と向き合っていないよね。
と感じてしまったので、改めて振り返ることにした。
今、自分を取り巻く環境が大きく変わりつつある。ちょっといくつかの選択肢に迷ったりもしている。
なので、この機会に「しておかなければならいこと」のリストの1つなのではないか。そう感じてしまったのです。
音楽からの影響について、1つずつ振り返るのはありかもしれないな。と思ったので開始します。
CDショップも、音楽雑誌も手に入らない田舎の1少年がレコードを買い、音楽の仕事に関わり、DJを始めたりするまでの自己回想録。
ここで振り返らないと、これからの自分はないと思うので、まぁ1つの暇つぶしに、一席お付き合いください。
つまり、自分の中に「音楽が降ってきた日」の回想録。そして、これからの向き合い方。
子供の頃、まぁ幼稚園とか小学生とかなんだけど、特に音楽を聴くということは意識して行動に移していたわけじゃないんだよね。
「Let It BE」
合唱コンクールのメンバーに選抜されたり、なんだか音感があったのか楽器で好きな、思いついたフレーズを弾いたりすることは好きで、良くやっていたんだけど。
なんか、小学4年生の時の担任の先生が、ストーンズとビートルズが大好きで、良く西新宿でレコードを買っているって言う話をしていて、先生の家に遊びに行ったときになんかたくさんレコードがあったのは覚えてる。その時は、みんなでモノポリーをやっていて、レコードを聴いたり意識したりはしていなかったんだけど。先生の飼っている鳥と遊んだりとか、みんなで電車に乗って、夜中にダイエーの前の集合写真機で写真撮ったりとか。意味が分からなかったw でも、その先生のおかげで、世の中にビートルズとローリングストーンズというすごいバンドがいる事は知る事ができた。音は全く聴いていないのに。だって、家に遊びに行ってもレコードは触らせてもらえないし、なぜか聴かせてもらえなかったから。
ただ、その先生は学校の演奏発表会でビートルズの曲とかを小学4年生に演奏させられたんだよね。だから、洋楽の原体験としてはそこ。そのとき初めてビートルズを聴いた。曲はイエスタディだった。なんか暗い曲だなぁという印象が最初のイメージ。もっとハードデイズナイトとかプリーズプリーズミーとかを聴いていたら印象は変わっていたんだけど、とにかく厳しい先生で、イエスタディを合奏するので精一杯だった。あとはなんだっけ・・・何曲か60年代の曲を演奏したんだけど曲名は忘れちゃった。うろ覚えなんだけど、サイモン&ガーファンクルとかだったかなぁ。とにかくいろんな音楽を聴かされたりして必死に練習してた。
その頃は、もう少し後なんだけど、確か5年生の頃に、チャゲ&アスカのスーパーベストが大流行していた時期で、なんか借りて聴いていた。従兄弟が大ファンで、ビデオ渡されたりCD渡されたりしているうちに自分もだんだんはまって行って一時期そればっかり見ていたかも。なんか、メロディが本当に良くって、「良い曲がたくさんあるなー」っていうのを覚えてる。日本武道館公演のビデオなんて毎日見ていて。家で聞いていたら祖父から「お前も大人の音楽を聴くようになったんだなとか言われて。特に「太陽と埃の中で」って曲が一番大好きだった。近所のカラオケ大会で「はじまりはいつも雨」を飛び入りで歌ったり。後は、光GENJI(笑)。毎週ミュージックステーション見ていた。T シャツも着てた。毎週衣装のプレゼントがあるんだけど、母親に頼んでプレゼントに応募してもらったり、まねしてローラースケートで遊んだりしてた。CDプレーヤーなんて、ないからテレビの音をラジカセで録音したり従兄弟のテープをダビングしたりして聴いていたような気がする。とにかくそれは聴き込んだなぁ。
で、そのまま中学に進学するんだけど、まだ音楽は生活の一部を占めていないんだよね。全然。なんか友達から借りたBzを親の車の中で聴くくらい。後は本当、母親が聴いていた五輪真弓の歌しか覚えてない。うち、本当に親も音楽を聴かないんで、全くと言っていいほど音楽が家で流れていない生活だったの。だから、よくミュージシャンの話とかで「家では親がビートルズを流していてなんたら・・・」とか一切ないの。サッカー部に入部してJリーグが開幕した1993年だっていうこともあり、とにかくサッカーに夢中だった。
でも、お年頃なのでやっぱり洋服とかに興味を持ち始めて。当時はBOONっていう洋服雑誌があって、それを友達と回し読みをするんだけど、たまたまコーネリアスがインタビューに出ていたの。小沢健二とフリッパーズギターをやっていたなんて知らないんだけど。どっちも元々ソロミュージャンだと思ってた。
コーネリアスに興味を持ったのは、なんか69/96っていうアルバムを色々なフォーマットで出すって言うから面白い事する人だなぁっていう感覚で。特にCD買おうとか思っていなくて。結局初回限定版のビニールジャケットのCDを買うんだけど、その前に何故か洋楽を買っているんだよね。コーネリアスのCDを買いに行くのが、渋谷のタワーレコードの初体験。すっごく緊張した。と、いうか人生初めての渋谷。お小遣いでは買わずに親に買ってもらった。
後は、サニーディサービス。夜中の音楽番組で「東京」ってアルバムが紹介されていて買ってきた。別に、茨城県内で親が良く行くデパートにWAVEが入っていたから、買う事はできたんだろうけれど、雑誌の影響で、その2枚は渋谷で買う事に意義があるかという(笑)。それが何かのステータスだったんだろうね。オシャレというか。服装なんてすっごいダサい田舎の少年だったのに。タワーレコードはとにかくCDがたくさんあったんだけど、緊張してその2枚だけを買って、当時地下にあったタワレコカフェでなんか食べるだけですぐに渋谷から帰ってきた。なんか渋谷は怖いイメージがあったし。原宿に初めて行った時はぼったくりの店に連れて行かれて怖いお兄さんに何か買うまで帰らせてもらえなかったし。
しばらくはその二枚を聴いていたかな。学校で流したりして。当時はXとかみんな好きで、もちろん情報共有できる仲間なんていなかった。みんなからは「教室で何流してんの?」みたいな感じで見られてた。みんな、昼休みは外で野球とかサッカーしてるんだけど、1人でその2枚を教室にあったラジカセで流してベランダで聴こえるような音で。ぼーっと聴いてた。サニーディはいい音だなぁって思ったけど、コーネリアスはちよっとそのときの自分に取っては前衛的すぎるというか。単にビニールの初回限定のジャケットが好きだったから、なんとなく持っていたかっただけだったんだよね。聴いていたら女子にどん引きされて。だって周りはやれYOSHIKIだHIDEだばっかりなんだもん。よく、友達とレコードを回して買って、テープに撮って回し聴きするとかできなかったから、本当に1人で聴いているしかなかった。
「Who’s Next」
その後、どこでどう出会ったのか本当に記憶がないんだけど、「ロック名盤500」とかいう本に出会ったの。なんで買ったのか、どこで買ったのかは未だに覚えてない。とりあえず持ってた。CDも買わないのに読み込んで。それでレッドツェッペリンとかビーチボーイズ、The Whoとかの存在を知ったんだよね。あとジェフベックも。この本の冒頭に昔のいろんなバンドの来日公演の写真が載っているんだけど、ロッドスチュワートとかジェフベックとか、ブライアンフェリーの写真がとにかくかっこ良くて毎日眺めてた。音も知らないのに。こんなきらびやかなコンサートが昔は行われていて、いい時代があったんだなぁって思ってた。
ただ、近所のCD店は田舎だから洋楽なんてあまり扱っていないから買えないし、なんとなくその本を読むだけで知識だけが音も知らずに増えて行くという(笑)。
ここで中学2年生の時に偶然担任の先生がビートルズのカヴァーバンドをしていたの。先生が学園祭で演奏していて、たまたま見たの。多分真面目にビートルズの曲を色々と知ったのはそれが最初だったと思う。そこで「Let It Be」とか「Get Back」とか本当に良い曲だなぁって感じて。で、その先生の家に遊びに行かせてもらったら、たくさんレコードとライブビデオがあって、ビートルズはもちろんエアロスミスとかU2とかストーンズとか色々聴かせてもらった。後々高校に進学した後に、先生と連絡を偶然取り合って、僕がストーンズのチケットを2枚手に入る事にしていたから、先生がお金を出してくれてアリーナ席で見に連れて行ってくれたんだ。その日の事はすごく覚えてる。水道橋まで田舎から連れて行ってくれて、東京ドームの近くでカレーを食べて、先生とTシャツ買って。先生が「なんだHappyやらないのかよ」って言っていて。で、良く行く洋服屋さんの店長さんが、ストーンズマニアで、ビデオをたくさん貸してくれて、初来日かなんかのビデオを見て、曲はある程度知ってた。でも、Happyは知らなかった。後々、大人になってからHappyを聴いて、なんて良い曲なんだろう。キースリチャーズってかっこいいんだろうって思った。ソロアルバムも聴いたよ。
で、自分の小遣いでも何か買おうと思って。ビートルズは先生が聴かせてくれたし。まぁ、いいやと思って。いろんなところで流れているし。その名盤ガイドを持って、隣町の小さなスーパーの中に入っているCD屋さんに行ったの。そこは少しだけ洋楽も取り扱っていて。そこで出会ったのがThe WhoのWho's Next。なぜかというと、そのガイドブックでThe Whoで一番のおすすめって書いてあったから。後はThe Whoが最初の頃のページに掲載されていたのも買うきっかけだったかも。あえて、ビートルズやストーンズ、ツェッペリンを買わずに、何番目か後に載っていたWhoを買うのがかっこいいだろうって思ってた(笑)。帰って聴いてみると、なんだかすごそうなんだけど、ディスクレビューにあるようなすごさは感じなくて衝撃ってほどではなかったんだよね。まぁ、中2に理解しろといってもできないと思うけど。
でも洋楽の入り口は先生の存在と、洋服屋の店長のビデオとそのガイドブックで揃っていたんだろうね。今思えば、そうすると初めて買ったCDはWhoなんだけど、ストーンズが入り口の役割を果たしていたんだろうなって思った。ブラウンシュガーとかサティスファクション、スタートミーアップとかかっこいいなって思ったし。
でね、もつと自分から色々と聴いてみたくなったの。たまたま例の隣町に洋楽を多めに扱っているレンタルCD店があって、そのガイドブックに掲載されているCDを片っ端から借りて行ってテープに録音して聴いてた。で、聴いたCDはそのガイドブックに○をつけて、聴いていた事を確認して。色々なバンドをとにかくチェックした。レンタルで手に入る物は全部といっていいくらい。もちろん、80Sポップとかは知らないからガイドブックに載っている60s、70sのバンドばっかり。で、テープに録音して。ひたすら聴いては返して、また借りての繰り返しだった。
この段階では、特に何が好きだとか、何かに衝撃を受けたとかなくて、本当、ガイドブックに聴いたCDには○をつけて埋めて行く作業が楽しかったんだと思う。なんとなく洋楽いいなぁと思いながら歌詞の意味も理解しないで聴き続けてた。特にかっこいいなと思ったのは、ビートルズのライブアルバム。全然スタジオ録音よりもアグレッシブでかっこいいじゃんって思って。
その当時一番好きだったのがジェフベック。もちろん、味だとかはわからないよ。ギターの。でも、なんだか心に引っかかってた。いわゆる三大ギタリストって呼ばれる人たちの中でも、ソロであえてやっていて、孤高の存在見たく言われていたのがかっこいいなと思ったんだと思う。後は、ガイドブックに載っているギターを弾いているジェフベックの写真がとにかくかっこ良かった。ストラトキャスターをボトルネックで弾いているんだけど。ちなみにディスクユニオンで初めて買ったアナログレコードはジェフベックのワイアード。レコードプレーヤーと一緒に買ってきた。
で、中学時代友達とBUCK-TICKのコピーバンドを学園祭でやるために初めてのバンドを組んだの。親にねだりにねだって、ベースを買ってもらった。ジェブベックと同じく、ベーシストとしてはポールマッカートニーがかっこいいと思っていた。フレーズとか、ギターとベースではもちろんちがうけど、単にテクニックを追求するっていうんじゃなくて存在で音色の味を引き出すって言うことにひかれたのかなー。うーん。思い出せない。
バンドはすごく楽しかった。ちよっと普段とか違ういわゆる学校でもイケてるグループで組まれていて(ヤンキー)、何故か誘われたから入ってみたんだけど、放課後にドラムの家に行ってみんなで曲を合せるっていう事がすごく楽しかった。学園祭本番では好き勝手やって、持ち時間を30分以上オーバーしてやって怒られた。ステージではXに影響を受けたドラマーのドラムソロの時間がほとんど占めていたという・・・。そいつがカッコつけて投げたスティックが意図していない女の子に拾われたのは笑い話として覚えてる。あいつ、がっかりしていたけれど、メンバー全員でとにかく大笑いしていたなぁ。それをきっかけにメンバーがいたイケてるグループとは急速に仲良くなって行ったの。音楽をやる時だけだけど。
でも、当時はプレイヤーとしての自分に重きが置かれていて、今みたいなリスナーとしての自分じゃなかった。他は洋楽ばっかり聴いていたから、日本の音楽シーンなんてメインストリームも含めて全然知らなかった。それでも一個転機が来たんだ。たまたま見ていたNHKのポップジャムっていう番組で、スパイラルライフって言うバンドがMaybe Trueってを演奏していて。洋楽ばっかり聴いていたんだけど、初めて邦楽ですごいいい曲!って思って、すぐに買いに行った。例の隣町のCD屋には置いていないから歯医者で毎月通っていた千葉の柏の新星堂買った。メロディが美しくって、歌詞もなんか抽象的ですんなりと体にとけ込んでくるみたいで、その曲ばかり繰り返し聴いてた。日本のバンドとの本当の出会いは本当に衝撃的だった。日本にこんなかっこいいバンドがいるんだって!
でも、中3の冬に解散しちゃうの。横浜アリーナで解散ライブをやるんだけど、その日のチケットが朝からプレイガイドに電話しまくっても取れなくて、その代わりに余っていたチケットが布袋(笑)だから、布袋が人生初ライブ。なんだか特に印象はなかったかな。なんか、待ちきれずにそのBUCK-TICKのコピーバンドをやってたメンバーで行ったんだけど、みんな待ちきれなくてライブは7時から開演なのに朝集合して大宮に着いちゃって、ソニックシティの前でただ何にもする事なくてたむろしていたっていう(笑)。ちなみに布袋の曲は全然知らなかった。
そうこうしているうちに中学を卒業して。高校に進んで。いわゆる超まじめな進学校。色々と音楽は聴いていたけれど、スパイラルライフ以降本気で夢中になるバンドもいなくて。でも、スパイラルライフを見て、なんとなく今度はベースじゃなくてギターが欲しいなって思ってた。だけど、中学のバンドメンバーはみんな高校がバラバラになっちゃったから少し疎遠になっていて、教えてもらうにも教えてもらえないし、貸してもらえなくて。
そしたら、偶然って重なるもので、入学式で隣に座っていた牧野君が熱狂的なビートルズとヴェルベットアンダーグラウンドのファンで、ギターも弾いていたんだ。ギブソンのESを持っていて。とにかく学校にギターを持ってきてビートルズを弾いてた。
彼は軽音楽部に入るって言うんで、それなら自分もギターを買って軽音楽部に入ろうって思って入部した。なぜか初めて買ったギターはフェンダーのジャズマスター。お金を握りしめて、1人でお茶の水が楽器屋がたくさんあるって聞いたから、片道二時間半かけて買いに行った。未だにそれを最初の一本に選んだ理由は謎(笑)。もしかしたらスパイラルライフの車谷が持っていたからだったのかなぁ。だってさ、ジェフベックとかストーンズが好きな奴はストラトかテレキャスター買うでしょ。ジャズマスターでジェフベックをコピーしている奴なんていないでしょ。
で、ジェフベックと言えばいわゆる3大ギタリストというわけで、ジミーペイジのいるレッドツェッペリンとエリッククラプトンを同時にコピーし始めるの。特に演奏していてはまったのはクラプトン。Creamとかもあるんだけど、なんか、ソロ時代の曲とかにハマって。多分、クロスロードっていうソロ時代のライブを集めたBOX SETを買ったのが大きいと思う。とにかくコピーして、チョーキングやビブラートの指の使い方までまねした。スケールもブルースでアドリブが弾けるくらいとにかく練習した。後、時効だから言うけれど、タバコをネックの先っぽにさして弾いてまねしてみたり。
だから、そういうことばかりして、古いロックとか借りて聴いていたから、1996年時点でリアルタイムの音楽とか、90年代のNirvanaとかも知れないわけ。
ある日、交換留学生でバンドマンのアメリカ人が来て、セッションしようって事になったんだけど、もちろん16歳のアメリカ人なんてNirvana好きでしょ?でも、俺は知らない。使っていたジャズマスターを改造したギターをNirvanaのカートコバーンは使っていたんだけど、そんなジャズマスターを持っている奴がNirvanaを知らない(笑)。アメリカ人には本当に「?」って顔をされた。でも、曲は教えてもらって、その日1時間で曲を覚えてセッションした。そんなきっかけでNirvanaはCD買いに行った。完全なブルースと古いロックしか聴いていなかったんで体の中に全然入ってこなかったけど。こーゆーのはやっているのかなぁ。って感じだった。もちろん、世間的にはカートコバーンは死んでいたし、ネバーマインども1991年の話だったからだいぶ遅れていたんだけど。
まだ、ロッキンオンとか情報誌は読んでいないんだよね。だから最新のロックなんて知らない。
プレイヤーとグターマガジンでテクニックを磨く日々なので、ディスクガイド以外にはハードロックの知識しか増えてこない。Bay FMで伊藤政則先生のラジオを聴いていて、それで紹介される曲ばっかだもん。情報源なんて。
その頃はレンタル店でとにかくHRとHMばかり聴いてた。速弾きすげーって(笑)。
もう、ジェフべックのすごさとかわからなくなって、「なんだ、遅いじゃん」って思うようになって。完全に味わい深さが理解できなくなって。まぁ、15、6歳にその味をわかれったって無理だよね。
「Rock’n Roll Star」
で、一大転機が訪れるわけよ。クラスで少し目立たないけれど、ショートカットでちよっとかわいらしい女の子がいたのね。それで、同じ軽音部に入っていて唯一の女子部員でなぜかドラムをやっていて。話をしているうちに好きになっちゃったの。それなりに仲よくなって。毎日電話でたわいもない話をして。本当に彼女との電話が日課になっていて。
そしたら、その子がoasisが好きだって言っていて。もう、HR/HMに染まっていたから当時のブリットポップムーブメントとかわかんないし、ロッキンオンとかも読んでないし。
でね、oasisを聴けばその子と話が合うんじゃないかって考えたの。で、何故か上野に遊びに行った時にアメ横の演歌専門店で「oasisありますか?」って聞いて、ファーストアルバムを買って帰って。
帰ってからCDプレーヤーに入れて、1曲目の「Rock’n Roll Star」が流れた瞬間本当にぶっ飛んだ。もう、目の前の世界が完全に変わる位。何か分からないけれど何かが自分の中で変わって。「今夜俺はロックンロールスターになる」って宣言めいた歌詞も本当に衝撃的で。だって音楽なんてラブソングしかないと思っていたし、他のバンドの歌詞なんてちゃんと読んだ事なかったから。そこからもう全てが変わった。頭の中はoasisとロックンロールでいっぱいになった。で、好きな子には「oasis?わかるよ。いいよね」ってカッコつけて。
本当はその子のことなんてどうでもよくなってた。でも、毎日電話はしてた。
少しやっぱり好きだったんだろうね。でも、突然その恋は終わりを告げた。
「少し相談があるんだけど」って言われて、「僕の友達を好きなんだけどどうしたらいいか」って。その時、仲良くなり過ぎるのもなんだかなって学んだ(笑)。
そこで毎日の電話は終わった。思い切って告白したら見事に撃沈したもん・・・。
でも、頭の中はoasisでいっぱい。完全なるノエルギャラガー信者。高校で提出する自由課題の作文も全部oasis。卒業文集もoasisの凄さについて書いた。髪の毛を切る時はノエルの写真を持っていって、「これと同じに」ってしてた。これは今でもそう。だから、髪型本当にあまり変わっていない。今振り返ると、その子との恋愛が上手く行くよりも、ノエルギャラガー信者になっていて本当に良かったと思った。
でも、その子以外にそんな想いを共有できる仲間はいなかったんだよね。みんな当時の流行りのビジュアル系に夢中で「洋楽?マニアックだね」とか言われて。すごく悔しかった。
世界にはこんなに素晴らしい音楽があって、自分の人生観を完全に変える位のパワーがある曲があるのに。本当は、そんなビジュアル系の音楽よりも世界中にはもっと多くの人がoasisの素敵さを共有できるのがいたのに、自分の周りを取り巻く世界は高校の中だけだったから、狭い世界だったんだろうね。それにはまだ気がつかった。ただ、1人、悶々とoasisを聴いてた。ギターを弾いていた事もあって、ミスチルとかGLAYとかは完全にコード進行がメロディに合わせてあって、なんか弾き語りをするのも難しいんだけど、oasisは違って。単純なコード進行なのにすっごい美しいメロディが歌われていて。「これは何か違うな」って感じた。
後は、シングルCDを聴いたらライブ音源があって、みんな大合唱してるの。日本のバンドのライブに友達の付き合いで言った事もあるけど、本当に何万人という観客がみんなでバンドの演奏に合わせて合唱しているなんて信じられなかった。現地ではこんな事が起こっているなんて。それも衝撃的だった。学校の昼の放送でリクエストカードが置いてあるんだけど、毎日「oasisを流してください」って買いても、ずーっと無視され続けてた。
そこで、ロッキンオンやSNOOZERっていうわりとリアルタイムの音楽を扱う雑誌を読み始めたんだよね。神保町の書泉ブックマートをうろついていたら、音楽雑誌コーナーに平積みになっていて。なんとなーく手にとって。「なんだ、自分の好きな音楽を載せている雑誌があるじゃん」って気が付いて。とにかくむさぼり読んだ。知らないバンドの話も全部、それこそ全ページ読んだ。で、オススメされているCDは買った。ひたすら。
地元は田舎だから売っていないんだけど、ちよっと大都市に出た時とか、親が東京に行く時とか、メモを渡して「これ買ってきてくれ」って。その時の雑誌を読み始めた影響はかなり大きい。これまではリスナーとして音を楽しんでいるだけだったんだけど、インタビュー記事を読む事でアーティストがなんでこんな作品を作って、こういう理由で歌詞を書いているとか、評論という物があって、なぜその作品は時代性に合っているかという考え方を知る事ができたから。
CDを買いに行くのは、たまたま学校は近隣では一番大きな街の柏から通っている人が多かったから、スクールバスで駅まで行けて、柏に行きやすかったの。柏には当時、ヴァージンメガストアが出来たばっかりで、そこに行けば視聴もできるし、欲しい音はとりあえず手に入った。シングル盤も。で、そこでディスクユニオンの存在を知るわけ。中古CDもたくさんあるし、ヴァージンメガストアに売っていないような新譜もたくさんあるし。それで、相変わらずむさぼり買った。当時買っていたのはとにかくUKロック。リアルタイムで聴いていたのはステレオフォニックスのデビューアルバムとか、MOVERとか。で、そこからUKロックの系譜を昔々にたどっていくの。
プライマルスクリーム、ジーザス&メリーチェインとかマイブラとか。クリエイションレーベルが多かった。oasisもクリエイションだったし。でも、スミスとかニューオーダーは知らなかった。情報なかったし。ストーンローゼズを買ったのも、なんか名前がローリングストーンズぽいからだったし。本当の歴史的意味とか凄さはまだ知らなかった。
もちろん、ディスクガイドに沿って昔のバンドも片っ端から聴いてた。
「CISCIO/Higher Than The Sun」
で、日本のロックシーンに一大事件が起きて。1997年にフジロックが開催されるの。高校2年の時。富士天神山スキー場だったから行けなかったんだけど。情報共有できる仲間もいなかったし。でも、WOWWOWで放送されたからテレビでは見た。ビデオに録画して台風の中のフェスを何度も何度も見返した。なんかすごいのが始まったなぁってのが率直な感想。なんか、フジロックってイギリスのグラストンベリーフェスティバルって何万人も集まって、ステージがたくさんあるフェスを参考にして日本でも開催したって聞いて。「あー、イギリスに行けばそんなのがあるのかー」って海外への思いが強くなってった。いつか行ってみたいな―って。
1997年に高校の修学旅行でロンドンに行けたの。で、行った時にちょうどoasisとblurのライブがあってダフ屋からチケット買おうと思ってホテルを夜抜け出そうとしたら先生に見つかって連れ戻されて、結局は部屋でクラプトン聴いてた。でも、ロンドンでは大きな出会いがあった。Qマガジンって言う向こうの音楽雑誌があるんだけど、ロンドンに行ったのがちょうど12月だったから、97年年間ベストアルバムって言う特集で。
レディオヘッドが表紙で、彼らのアルバムが年間評価チャート1位だった。もう、そこに載っているバンドほとんど買って帰った。ロンドンのピカデリーにあるHMVだったかタワレコで。そこでプライマルスクリームとThe Verveに出会うんだよね。どれだけすごいかはまだ理解できなかったんだけど。なんだか一番UKロックを体現しているバンドらしくて。その後聴きまくっていたらだんだん好きになってきて、一番好きなバンドの一つなった。来日が本当しなくてファンの間で署名運動までしたんだけど来そうな気配がでたタイミングで解散しちゃって。本当にショックだった。ちなみにレコード評が初めて雑誌に掲載されたのはこの時でVerveの凄さを書いた記事だった。嬉しかったなぁ。Verveのステッカーもらえて今でも宝物としてとってある。
で、翌年の1998年。高校3年生の時。フジロックが東京で開催されたの。前年の天神山が台風で2日目が中止になったから、なんかそこで開催されなくて。
大好きなプライマルスクリームも来るし、これは行くしかないでしょって思って。
受験生なのに、予備校さぼって行った。
でも、相変わらず学校では情報を共有できる仲間がいなかったから、1人。
でも、誰か行かないかなーって思って手当たり次第に声を掛けてみたんだけど、かなりウザがられたと思う。
結局、Whtas’inかなんかの文通コーナーを見て「誰か一緒に行きませんか」っていうお兄さんを見つけ出して会場で待ち合わせして行った。
もう、8月の炎天下。訳が分からない位に暑くって。日陰もなくて逃げ場もなくて。
でも、ロックフェスなんて行ったことないし、ペース配分もわからないからとりあえず全部見た。グリーンステージに陣取って。無謀だよね。体力の限界を超えるんだもん。
で、当時は日本のバンドなんて馬鹿にしていた訳。「洋学なんてマニアックじゃん」って言っている同級生と同じ。逆の発想だったなんて子供だから気が付かないし。
そこで登場したのがthee michellegun elephant。もう、完全に海外のバンドを食ってやるぞっていう気合いで。「俺達が日本のミッシェルガンエレファントだ!」ってチバが叫んだ瞬間、鳥肌が立った。とにかく、すごかった。ステージもだけど、1曲目のCISCOからもう観客がだーって前に押し寄せて。将棋倒しが起こって、ステージは1曲終わるごとに中断して。正直、すごい興奮と恐怖の両面の感情が渦巻いて、なにがなんだかわからなかった。実際、これが初めてのオールスタンディングライブだったし。「えっ?オールスタンディングってこんなに怖いの?」って。でも、とにかく心臓のドキドキが止まらなかった。本当にミッシェルの4人のステージがカッコよくて、日本にもこんなにすごいバンドがいるのかって。大興奮した。未だにこのステージの30分間が人生でもベストライブ。多少思い出補正されているんだろうけれど。この30分を超えるステージは何百回も見ているライブ経験で見た事がない。
で、暑くって疲れて、夕方に目的のプライマルスクリームのステージが始まるの。
すごく前の方に見に行って。本物のボビーギレスビーが目の前に現れて。「うわっ!ボビーと同じ空間に俺いるよ。ボビー本当にいるんだ!」って。もう、本当にロックスターみたいだった。中学のときに写真で見たロッドスチュワートとかミックジャガーみたいでかっこ良くって。もし、自分が柵を乗り越えてステージに上がればボビーに触れるくらい。同じ空間にいたって意識した。
当時は97年にバニシングポイントが出た後だったから、それが中心のステージなんだけど。途中、あまりにも喉が渇いたから飲み物を買いに行ったの。でも、暑すぎて需要と供給が追い付かなくてフルーツ以外の水分が売りきれてた。
で、オレンジをかじりながら少し後ろの方に行ってステージを俯瞰で見ながら座っていて。
そこで、プライマルズはHigher Than The Sunを演奏し始めたの。ゆっくりとしたビートで自分の身体が浮かんで行くような感じだった。それで、夕暮れの太陽が沈んでいく光景と重なって、本当に自分が太陽よりもゆっくりと高くなるような感じ。目をつぶって聴いていて、ふわふわとした感覚と音がふわふわと体中を通り抜けていくような感じ。
景色と相まって本当にあの光景は一生忘れないと思う。もう、トリのプロディジーのステージとか覚えていないもん。とにかくその日はミッシェルとプライマルズで頭がいっぱいになった。
「Danny Go」
そこからですよ。ミッシェル詣でが始まるのは。とにかく東京で開催されるライブは全部行った。そしたら、Gear Bluesが発売されたの。また鳥肌が立った。本当に。「日本でもリアルタイムで世界に通用するロックンロールアルバムが出た!」って思って。
で、横浜アリーナでもライブが発表されたの。もう、革命。1万人規模のアリーナでオールスタンディングライブを開催されるなんて本当に信じられなかったから。
今でも覚えてる。1999年の1月17日。もう、まさにセンター試験の日。
これは絶対に行かなきゃ一生後悔するって思って、受験辞めた。もう、年内に推薦で入れる所を決めちゃってセンター試験を受けなくて済む口実を作ろうって思って(笑)。推薦入試の前日は、東京に出られた嬉しさでとりあえず西新宿のレコード店に行って、シャーラタンズのアルバムをLPで買った。
で、なんとかチケットは取れて、いざ、当日になったの。その頃になると一回ミッシェルのライブに誘った妹も完全に同じ音楽趣味にハマっていて。ジーザス&メリーチェインのサイコキャンディを目ざましにしている位。つらいよー、毎朝あの音で目が覚めるの。
で、横浜アリーナまで行って、ライブを見て。1万5000人が大熱狂してそこで演奏されたDanny Goで、「振り返らず錆びた風は続くだろう」ってチバが歌って、みんなで手を挙げて。客席は後方のほうだったんだけど、逆にそれが会場中を見渡せたからすっごい光景でサビの部分で会場の明かりがばーってついて。みんなの手を挙げる光景が一気に見えて。とにかくその瞬間に感動した。「日本が変わった」って思った。
もう、とにかく子供の発想。その瞬間に体中の血が入れ替わるように自分の思想が変わって行く(笑)。
バンドは軽音楽部でやってた。でも、周りは日本のビジュアル系ばかりで一応バンドはやりたいからそこに入ってた。でも、本当につまんなかったGLAYのマネをするっていうか。衝動がない。感動がない。たまたま顧問の先生がジャズドラマーで、あとは誰ともバンドを組まない、高校を卒業したらニューヨークにジャズ修行をしに行っちゃう大和田君って言う超技巧派ベーシストがいたの。彼らと一回だけスリーピースのバンドを組んだ事がある。やった曲はジミヘンのfireと、Creamのクロスロード。高校二年の学園祭でやった。誰にも受け入れられなくて、一人だけ先輩が「おおっ!」って声を上げてくれた気がする。その先輩は、クーラシェイカーが好きで今思えばもっと話をしておけば仲間ができたのかなぁと思った。バンドはひどかったよ。練習三回くらいしかしていないから。曲が途中で終わるの(笑)。歌詞も全然覚えられないから適当に歌って。これはもてないなと。
で、バンド人生はここで終わり。ギターはかなり練習していたから、かなり余裕でクラプトンを弾けるくらい上手くなっていたんだけど、何度チャレンジしてもオリジナルの曲が書けなかった。
今でもつきあっているのは中学時代にBUCK-TICKのコピーバンドをやっていた時のギタリスト。そいつ、プロのミュージシャンを目指して上京していて。住むところがないからと言ってうちにしばらく居候してたの。ツヨシっていうんだけど、すごく気があって。高校時代はスクールバスを降りて、家に帰る途中に彼の家があるんだけど、毎日一緒にギターを弾いてた。どこから金を引っ張りだしてきたかわかんないんだけど、高校のときに1959年レスポールのレプリカを80万円でお茶の水の楽器屋に一緒に買いにいった。で、すごかったのよ。見せるビデオとか聴かせるCDとか全部簡単にコピーしちゃうの。でも、僕にはそのやり方を教えてくれない(笑)。結局ミュージシャンにはならないで今は自営業やってる。それなりに上手くやっているみたい。
「マーキームーン」
恋愛はそれなりに。まぁ普通の高校二年生的にあった。といっても特殊な出会いで。僕の住んでいた街はとにかく田舎で電車に乗るためには車で1時間近く行かないといけないの。で、ちよっと用が柏であったから、電車に乗るために1時間に1本しかないバスを待っていたら、時間通りになってもなかなか来なくて。もてあましていて。「まだ来ないだろう」って思ってバス停の反対側にある本屋で立ち読みしていたら、まさかのタイミングでバスが来ちゃって、見事に乗り過ごしたの。で、また一時間待ち。だから結局本屋に戻って立ち読みしていたら、見事に二本目も乗り過ごして。もう、出かけられなくなっちやったの。呆然とバス停で立っていたら。後ろから「お兄さん、また乗り過ごしたねぇ」って声がして。振り向いてみたら、NirvanaのTシャツを着た女の子がフリマをやっていたの。で、「そうだよ」って事の経緯を話しているうちにNirvana Tシャツの話題から音楽の話になってそれなりに盛り上がって。話を聞いていたら偶然にも僕の友達の同級生だってことがわかって、仲良くなって連絡先を交換して。で、また毎日の電話大会が始まる訳。彼女は、近所に唯一あるアート先攻の高校に通っていてとにかく知らない世界の話をしてくれて本当に毎日の電話が楽しくて。で、まぁその流れでそういう事になって。初めてのデートで柏のディスクユニオンに一緒に行く事になったの。高2のカップルが中古レコード屋に行くのもまた凄い話なんだけど、そこでお互いに好きなレコードを交換する事にして。僕は彼女にThe Jamのレコードをあげて。彼女からはTelevisionnのマーキームーンをもらったの。結局、その後はしばらくして向こうから消えてしまうんだけど、未だにマーキームーンは一生手放せないレコードになってる。本当に青春で大切で大切で仕方ない1枚だから。たとえ中古でマーキームーンをもう一枚買ったとしても、その1枚とは価値が違うと思ってる。もう、ジャケットも盤もすごいぼろぼろなんだけど本当に本当に大切にしてる。そしてとても気持ち悪い!と友達からは言われるのです。
あと、高校時代には保健室になんでも書いて良いノートがあって、そこに同じ趣味のロックが好きなやつがいたらしくて、なんかディスクレビューみたいなことを書いてあったの。だから、「これは!」と思って、交換日記みたいにやり取りが続いていて。ただ、名前を書いちゃ行けないルールだったから、結局それは誰だかわからなかった。もし、出会えていたらちょっと人生は軌道修正されていたかもしれない。
で、ここまでが大体の10代の記憶。
その後、DJを始めてロンドンに行って・・・となるお話はまたの機会に。
※最近はzineに夢中です
※後半はそのうち書くか誰かに話します