サブスクリプションの毎日で、自分は何かを選びながら過ごしていくのだ。
ずっと見ようと思いながら惜しくも劇場に行くタイミングを逃してしまった映画、「37 seconds」がNetflixにあることを知り、ようやく見ることができた。
生まれた瞬間に。37秒間呼吸ができなかったことにより、脳性麻痺となった女性の日常の出来事。
「障害がある」。と言うことで、母親からは過剰な心配と、干渉を受け、友人からは才能を搾取され、存在を隠される。
毎日が、行ったり来たりの連続。同じ風景を見ている中で、持ち前の想像力で、漫画という作品を創造する。
しかし、「世の中のみんなが経験できていない」ことがあることで、リアリティの無さを指摘されてしまう。
それは事実上、名前がなくて、存在が無に等しいような立場となっていく。本人の心の中でも。
そんな中で彼女は偶然の出来事で、「個々にいる1人」として接してくれる人に出会い、自分の中での想像を、行動に変えてみていく。
少しづつ試しながら。
他の人となじような経験をしていないからと言うレッテルは、いつか、自分自身で消化していった出来事の中で、「自分にしかない現実とリアル」に変わっていく。
今、僕たちは、当たり前が当たり前でなくなってきている。価値観を変えるべきなのか、維持するために抵抗するのか、諦めるのか、気づいてくれるまで、待つのかを試される日常にいる。
綺麗事を言えば、「自分から飛び出してみなよ。きっと何か起きるよ。」だ。希望を見出すポップミュージックにはそんな言葉が溢れている。
しかし、きっと個人個人それぞれに事情があって、選択することになるのではないかとうっすら思っている。
相手に対して、何かしようとしても、受け手が「してくれた」と感じなければ、それは単なる押し付けで、贈り物にさえなりやしない。
かといって、対価を求めたら、そこに感情のキャッチボールも存在しなくなるだろう。
単なるエゴになるのか、それとも行為として成立していくのか。それは自分と他者次第だ。
世の中全体で、当たり前だった価値観が変わらざるを得ないかもしれない中で、1つの「選択していくこと」のある事例が詰まっている。
つまりそれは、「自分が思ったようにして、相手を抱えすぎずに生きていく」ことにも繋がるのかもしれない。
このタイミングで見ることができて、僕は泣くとか、力をもらったとかではなくて、「じゃあ明日からどうするよ」と問われた気分になった。
思いやりとか、頑張りとかでもなく、単に「選択肢があるよね」と教えられたような気分。
ちなみに、描写、感情の表現、素晴らしい作品でした。
自分たち個々が選ばなければいけない中で、1つ、何かを探すきっかけになるような映画だと思うのでした。
かく言う今日は、飽きた。本気で在宅リモートに飽きた。
気分転換は料理です。いいな。料理。いいぞ。
そして、サブスクリプションサービスで文化に触れ続けているので、自分自身のキュレーションと向き合う毎日の中で、手紙を書くことが「本来レコメンドされなかったものとの出会い」になっている。
そんな中で見つけたnote。
悲しいときにたまたま手に取った本が、処方箋になったり、迷ったときに開いた一章が、一歩を踏み出す着火剤となったことも多々あった。
偉人が長年かけて見つけた知恵や知識を、毎日のように摂取していると、新しい価値観が立て続けにインストールされ、考え方にバリエーションが増していった。言葉には、人生を豊かにする力があるって気付き始めたのもこの頃だ。
書店って、偶然に出会うことが許される場所の1つで、大好きな場所だ。昔から、歩き回ることで知らない情報を勝手に覗き込むことが合法的に許される場所。価値観との道の遭遇。誰かの書店体験は大好きだ。
個々にあるものの中で価値観を見出していく。素敵です。
コミュニケーションの選択の自由を教えてもらえた気がした。
好きだからやりたかったことを初めていく。すごくかっこいい。
明日は何が起きるのかなぁ。同じように代わり映えがしないのも幸せだし、何か予期せぬことが起きる偶然も、それは幸運だ。
予測できないからどうしようは簡単だけど、予測してもまぁ、生きていられるよね。もある。
まぁ、適当に用心して暮らしましょうよ。
こちら、いくつか応募とやりとりありがとうございます。
手紙を書きながら知らない人を想像するなんてこんなに有意義な時間だと今噛み締めています。本気でSNSも見ずに知らない方とやりとりするなんて素晴らしいですわ。ありがとうございます。引き続きやりましょう。募集中です。それがサブスクリプションではない情報との接点かも。