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バンドを始めるのは社会での関係性を始める第一歩だったのかな。
バンドっていいなって最近になって改めて感じる、
別に今、バンドを組んでいるわけではないんだけど、「友達でもないけれど、同じ目的に沿ってそれぞれの能力を発揮する」。
このもしかしたら出会うことがなかった人たちが、個性と情熱をぶつけ合って、世の中に作品を届けていく。
この組織体のあり方が大好きだ。
思えば、自分がバンドを初めて組んだことを思い出すと、中学2年生頃。
学園祭出演したいクラスメイトの少し目立つグループ(彼らは幼馴染)が、ベースが足りないというので、なぜか誘われた。
理由は、うちの中学のクラスは、席順が自由で、たまたま僕の遠い親戚にあたる幼馴染が、彼らのグループの彼女たちと仲が良かったから、
僕もその座席グループに入った。
もちろん、1mmも昼休みに遊ばないし、他所の中学との抗争(こういう時代ですから)にも参加するわけではなく、単にサニーデイ・サービスとコーネリアスとスパイラルライフが好きで
みんながサッカーをグラウンドでしている昼休みに、教室でファッション誌を眺めながらラジカセで流している程度だった。
そんな時、「ベースがいないんだよ」と突然伝えられた。気がついたら、僕はお年玉でベースを買い、この中でも一番裕福な家の書道教室の部屋(めっちゃ広いのです)で、
みんなで楽器を持って集合していた。
なんというか、不良グループでもないので、良からぬことをしている中でも、僕は1人で彼らの趣味とは違う音楽を聴きながら、本を読んでいた。
でも、魔法ってあるのね。課題曲をいっせーのせっ!!!!!!と鳴らした瞬間、僕たちのこれまでの出会ってからの2年間はまるでなかったかのように1つの塊となった。
それは、魂が共鳴するというか、言葉にできない感情。ボロボロだったその曲が終わる頃には、「なんか、すごいよね。なんだろうねこれ。」って全員の顔が紅潮していて、
「なんか始めちゃった瞬間」を僕たちは明らかに共有していた。
それから、学園祭まで毎日1人は受験に失敗してしまうくらい、練習に没頭した。それ以外は特に話もしないのだけど、一緒に音を鳴らす時だけ、僕たちは生まれる前から繋がっていたような関係性になっていた。
同じ目的。その時は学園祭に出ることだったけれど、この関係性は今思えば、社会に似ている。
チームで偶然同じ、近しい環境にいた人たちで、共通の目的に向かってバラバラだけど1つの軸の元に進んでいく。会社じゃん!これ。
そのバンドは、学園祭きりだったけれど、僕たちは高校が違ってもなんとなく繋がっていた。その繋がりは、共犯意識みたいなものだった。
大人になり、DJを初めて、またバンドに参加した。今度は信頼できるDJ仲間から、「僕たちも海外のインディダンスみたいなことをやりたいから歌詞書いて!」というものだった。
そして、完パケした曲も何もないまま、デモに合わせ歌詞だけを持ってレコーディングスタジオに集まった。
もちろん友人以外は初対面。でも、同じ目的があった。「イギリスだとかフランスで起きていることを日本でもやりたいよね」だった。
その場で思いついたフレーズをみんなで重ねながらレコードを作った。
そして、なぜかメロディが浮かんで仮歌を入れた僕の声が1stEPで採用されてしまった。
そのバンドは仕事の都合で最後まで参加できなかったけれど、宝物のような思い出。レコードショップでアルバムが並んでいることを見て、信じられなかった。
義務とは違う共通意識に向かって人が集まる。それは社会。
とても素敵なことだと思う。
もちろん、幼馴染とかが集まったストーンローゼズや、兄弟のoasis見たな関係もいいなと思う。
でも、僕はこうしたバンド活動でものすごく大切なことを学んだ。
目的さえあれば人は心で繋がることができる。そして、適度な距離感でそれぞれの得意分野を発揮する責任感が生まれる。
今、演劇に関わったり、お仕事で様々なプロジェクトに参加し、友達とも親族とも違う人たちと活動できるのは、間違いなくバンドというものをしていたからだ。
だからなのか、バンドのドキュメンタリーが大好きです。
なんとなく思い出したので書いて見たけれど、ゴールを目指していく集合体の素晴らしさ。これは忘れないで行きたいな!
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