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映画「私の小さなお葬式」 - いつかは死ぬので結局。

※少しだけネタバレするんでまだ見ぬ方はそうっと閉じてください。

それは、ロシアの田舎街での出来事。自分の「死」を見つめる元教師で真面目に暮らす老婆が、お葬式の準備をする映画です。

そのまんまです。

まぁ、予告が面白そうなので見てきたんですけど。

死ぬことについて。少しだけ考えたことがあって。

一体、自分はどんな風に人に見送られるのだろうか。と。

それで、いつかはくるであろうその日まで精一杯生きちゃってますか?自分、とか。

人間というものは、人生で色々と辛いことも楽しいことも体験しながら育ち、働き、行きていくくせに、

生まれた時と死ぬときについては、見ることができない。

正確には、生まれた時は、周りから祝福されたりしている記憶がうっすらと意識の中に残るのかもしれない。

お腹の中にいるときに聴いた音楽や母親がかけてくれた言葉が影響することもあるくらいなので。

詳しいことはまぁ、専門家の方にお任せするとして。

ただ、死ぬ時は見れないだろうなと思っている。そこで意識は存在していても、その先を書き記して記録して教えてくれる人もいないので、

正直わからない。

誰かに看取られる?人に囲まれる?それとも、一瞬の事故でさようなら?

意図的に死を選ばない限り、恐らく、わからない。

ただ、何れにせよ他人を巻き込むことは確か。誰かしら。知人でもそうでない人も。

この映画、老婆は、余命宣告を受けて、自分自身の死について「誰にも迷惑をかけたくない」という想いからお葬式の準備、つまりは終活を始める。

ただ、結局は自身の事情に対して、周りを巻き込んでいくことになるのは事実。

死亡証明書を発行するためにあれこれ試してみたり、お葬式のために親友たちが料理づくりを手伝ってくれたり。

なんだ。巻き込んでいるじゃん。そう。1人で終わらせることはなかなか難しい。

めちゃくちゃ短くまとめると、「真面目な考えを持った人が人に迷惑をかけたくなく終わりたい。主人の隣に埋葬されたい一心から周囲を巻き込む」だけの話。

周りからしたら・・・笑えない!

そこで考えてみる。この中では、本人と、巻き込まれた側の2つの意味を持つ「覚悟」が登場してくる。

本人は「決めた」のであれば、それは「どうぞどうぞどうぞ」となる。周りがどうこう言う話でもないな(極論だけど)と思う。

どうぞご自由に死んでください。と推奨するわけではなく。

ただ、問題は「見送る側」の覚悟について。ええまぁ複雑でしょう。

よほどのことがない限り、背負うことはしんどい。思い。超重い。

肉親でもきつい。頼まれたとしても、重すぎる。

つまり、死というのは、かなりの責任を伴う。自己責任では終わらないものなのですね。

そうなった時に、映画として成立するのは?

登場する息子と「鯉」の存在。

彼らの登場が意味合いを変えてくる。

息子は都会に出て成功し、アウディに乗り、5年に1度しか帰ってこない。いつもスマホ片手に仕事のことばかり。

すれ違いながら向き合えない。

「鯉」は不思議なもので、近所の男性が釣り上げて、食用に老婆にプレゼントして冷凍していたものが、解凍中に生き返り、

老婆の家で過ごすことになる。

周囲のことを考え、迷惑をかけたくない母親と、死までを全うしてほしい息子とのすれ違い。

どちらが正しいのか。

そのすれ違いを解決していく存在の生きている「鯉」。

とまぁ、生死感について考えだすとそれは人それぞれで、たとえ家族だろうが強要できいないセンシティブな問題なのでそこだけだと重くなる。

この映画は、あくまでコメディでヒューマンドラマ。

お葬式の準備で戸惑う周囲の人々の反応や、余命宣告を受けても力強く全うしながら自分よりも周りの気持ちを考える老婆。

仕事一本の息子が巻き込まれながらそこに集中できない事態が次々と起きていくハプニング。

昼間からお酒を飲むわわけのわからんバイクでラップを聴いている男性。

登場人物の個性が際立ちすぎているので、「家庭感」「死について」の重苦しそうなテーマを俯瞰できるきっかけにしてくれる。

ラストについては見てのお楽しみで、それぞれ思うことがあるでしょう。

そこでどう感じるかが、自分と家族の在り方、来るべき死についてを一回考え直す「立ち位置確認」になるのでしょうね。

とは思うのですが。

で、もう1つのテーマとして「親との関係性」が出てきます。

先に書いた通り、ここの親子、めちゃくちゃすれ違っている。

父親はすでに他界しているので、どのタイミングから母と息子の2人になったのかわからないのだけど、生真面目なしっかり者の母親の振る舞いで育ってきた息子。結果はビジネス的には成功しているのだけど、人付き合いがあんまり上手くない。

なので、お互いに感情が入り乱れて通じ合えないところもあるし、過去の出来事が影響しているのか、本音を言い合うこともできなかったりする。2人とも、自分の目的。母は終活。息子は仕事を全うするためにお互いをコントロールしようとする。

そこで、「鯉」がきっかけで繋がってきたりもするのですが、まぁ、親子といえど他人だよね。とも思うわけです。血縁はなかなか難しいなと自分もずーっと思っていて、別に血が繋がっているので、気があうわけでもなく、自立をしてからの時間の方が長くなればなるほど、それぞれの立場もできてくるのですね。程よい距離感がバランスを保つのは目に見えてわかるのですが・・・まぁ、「死」という人生劇場のラストシーンは、突然に訪れたりするので、そのパワーバランスを一気に崩されるのですよ。

これなー。自分にとってはどうなんだろうと正直考えてしまいました。

生まれることは選べるわけでもないので、無理に感謝しなさい!というのも少し違う気もしているのは本音です。ここについては各自考えがあっていいと思います。今の自分にとっては人生が楽しげなので、ありがたくラストシーンでも感謝いたします。産んでいただき。そこは各自で。何度でも言いますが。正解なんてないので。

しかし、この映画、特できてる。バランス感が抜群で。しかもこのテーマは世界共通になるので、欧米だろうが日本だろうがリメイクしたら、

多様な映画が生まれそうで各国版を見てみたいなぁと思ってしまった。

まぁ、いつかは死んでしまうので、笑えるうちに笑って、会えるうちに会っときましょうよ。ということ。

結局人間ですもの。どんな形であれ全てを全うし尽くすことは難しいでしょう。

生き急いでもしんどいし、めちゃくちゃ考えすぎても自分も他人も重いし、「これが最後のつもりで!」と思いつめても楽しそうな時間にならないので、

目の前の出来事をとりあえず楽しんでみますかね。それも人生ですよ。くらいに思っていましょうかね。とか考えていたら時間が経ってしまいました。

出棺時の音楽だけは決めておきます。

さて、今日も何が起きるかわかんないのですが楽しげに過ごせたらいいなと思いますー。スー。SUー。

そしていつもお相手してくださる周りの方々ありがとうございます。

ですね!


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増田ダイスケ
新しいzine作るか、旅行行きます。

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