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積読は未来への片道切符

明日の楽しみがあるから、なんとなく寝る前にワクワクしてしまう。
そんな時、きっと誰にでもあると思う。

僕は、レコードを買ったり、本を買ったり、だいぶ先まで落語を見たり、演劇の予約をしたり、スケジュールを埋めていくことが好きだ。
カレンダーの空白を不安に感じてしまうこととは、少し意味合いは違う。
そこは誤解のなきように。

本について、いつしか、「積読はなんだか悪いこと」。そんな空気が出来上がっている節がある。

それって少し違和感を感じていた。

なぜなら、大体は「その作品に触れること」が前提とされながら自分は買うからだ。

買うということは、何かしらその本が必要なのであって、やみくもにお金を浪費することではない。

時には、仕事のための資料だし、時には、なんか気が向いた時にパラパラと読みたいから買うし、なんか持っていたいから買うこともある。

では、なぜ読むことができないのか。

それは、純粋に、生きている限り、日々の生活の中で、「今やるべきこと」があるから。

もちろん、必要に駆られているので目を通す。

それでも時間は有限だ。

じゃなぜ買うかって?

僕は意識が向いている時に、まとめて必要そうなものを揃えておくことで安心感を得る癖がある。
さらには、1冊では収まらず、同じジャンルでも複数の本から、必要な部分を横断してみることで、自分の中の1つの軸を決めながら企画を作って行ったりする。

結果、本府が増える。

だから、その瞬間に感じたことは、「必要なこと」なのだ。

もう1つの癖。

「今の気分を何かしら残しておきたい」と思っている。そして、気分に応じて何冊かを持ち歩き、外で目にしたものや感じたことで、読み分けていきたいのだ。

小学生時代に「読書感想文」というものをコンクール的に発表する催しが毎年開かれていて、「どう感じたか?」を、評価されることがあった。

正直、苦手で、「なんで自分が感じたことに点数をつけられるのだろう」と思いながら登壇させられていた。

今、大事に思うことは「その瞬間に感じているならそれってOKじゃない?」と思うこと。

でも、明日には気分が変わってしまうかもしれない。

いつか読もうではなく、「ご縁があって出会うことができたんだから、たまに連絡したいよね」くらいの気分でいる。

そして、その積まれた本を読むことは、今よりも先に「感じる自分の感情への片道切符」を手にしたことと同じだと思っている。

つまりは、まずは「手に入れたい、触れたいと思った」という事実は、何も感じていないよりは遥かにマシなんだろうなと。

だから、未来への約束事として積読を選ぶ。

誤解しないで欲しいのは、割と読んでいる 笑。作者に失礼だから。

その考え方って人それぞれだと思うけど、僕は出会ったときの感情をどちらかというと大事にしたい。

そして、「もしかしたら長いお付き合いになるかもしれない」というご縁を大事にしながら、文化と出会いたい。

感情は人を動かすし、その理由を持つ頃ができる幸運を噛み締めて、ああ、今日も本棚が充実してしまったという気持ちと、
ライブラリからの選択肢が広がることを、大事にしているのです。

何もないよりは、明日もしかしたら大事な存在になるかもしれないものと出会うこと。

そういうご縁を大切に。


※これは友達と密かに行う「共感キャリブレーション 」の最新お題です。

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増田ダイスケ
新しいzine作るか、旅行行きます。