距離が遠く離れた分だけ君との距離は近くなることに気が付く春のある日の出来事。
もうすでに在宅勤務という言葉が何日目になったのか思い出せなくなった。
しばらく前ん、どうしても地元の緊急時に戻らなければいけないため、万が一の封鎖とか起きてしまったら、急な帰省時に(書いての事情です)戻れなくなるため、「アレ」の症状がなかった自分は、早々に早めに地元に戻ることになった。
普段との違う環境。いくら実家とはいえ、もう巣立って22年。
もう、僕の地元はすでに東京であって、地元は「生まれた場所」に変わっている。
お正月の帰省でさえ、1日と持たなくて、どうしても寄席に行きたくなって大晦日に紅白を見た後は、起きてすぐに東東京の自宅に帰ってしまった。
東京という街が素直に言えば大好きで、ある意味、自分を形作ってくれて、大体のことが少し出かければ実現して、時々暖かく自分を迎えてくれて、
時々「評価」という他人軸に振り回される。
飴と鞭のような都会。感情の両極端を味合わせてくれる容赦ない街。
実家に帰ってみて流石にこの状況で都内と行き来するわけにもいかず、実家のリビングに業務環境を整えて、すでに誰も出社していない職場の同僚、
お客様とは画面の中で「おはよう」という。
案外うまく行ってしまい、無駄が省かれていくことが少しだけ無駄な余白が好きな自分にとっては疎ましい。とても状況はシンプルに進むのに。
みんな自宅に疲れている。籠ってたくさんNetflixやAmazonプライムで映画を見れると意気込んでも、それはある意味非日常。
僕らにとっての日常は、書店で本を買い、レコード屋でいつもの馴染みと顔を合わせ、みんなで待ち合わせして食事に行って、帰り道に開いているお店を冷やかす。
そして自宅に帰り、その日の出来事に哀愁を感じながら誰かにお礼のLINEなんて送ってみる。
それが日常だ。慣れない時間や、特別にあしらえた場所はよそ行きのもの。
少しだけ悩んだ。実家のテラスでi podから流れるシティポップ的な音楽を聴きながらタバコを吸う。
慣れ親しんだ田園風景が高台から見える。もう飽きるくらい、これからいらないよというくらい見た空と田畑と、川と筑波山。
悔しいくらいあの日のままだ。自分がどんなに仕事をして、何かをやり切って、新しい人と出会っても悔しいくらいあの日のまま。
そんな中、僕の周りでは、オンライン会議システムを使用した「飲み」が流行り出した。
僕らの周りだけじゃないかもね。周囲が「今日は会社のZOOM飲みで」と言って、夜連絡が付かなくなることが増え始めた。
なんだよ、みんな求めてんじゃん。外側。当たり前か。急にこもれと言われても困る。僕も困る。
最初は半信半疑で参加してみた。まずは映画仲間。同じ映画を見ながら飲みましょう。という趣旨だった。
参加人数分だけ分割された画面の中で、大の大人がジブリのアニメを見ている姿だけがうつされる。タイムラグの中で、みんなのPCから音を拾う。
ディレイのような効果が映画の中のセリフをエコーのように聴こえさせる。カエルの歌かよ。と思うけど、それでもみんなは画面に夢中。
普段、知人が映画を見ている顔をじっと見ることなんてない。バリバリ働いている人もそんな顔、誰かに見せた?ってくらいの表情で。
ああ、だめ。映画が頭に入らない。
続きましては、夏フェス仲間と。普段は全国に散らばっていて、肝心な時に(それは本番当日な)集まったりたまにメッセンジャーのグループでやりとりをしたり、個別に遊んだりはするけれど、なんていうか、やってみた。
入れ替わり立ち替わり、僕たちの部室にみんなが集まる。その日聴いているレコードの話、さっきまで出かけていた仕事の話。夏のフェスのラインアップの話。
なんとなくの悩み。今の状況。画面共有をしながら最近気になる音楽やニュースをみんなで見て、笑って、思い出したようにみんな棚からCDを取り出して、トラックリストを並べながら(ちなみにNOWシリーズとAC/DCです)、みんなでそれぞれの曲の思い出を話し出して、気がついたら6時間も経っていて、「なんか始発の時間になったね」って解散して。
実際にみんなで並んでみると、今までフェスの現場だとか、ライブ会場ではわからなかった自宅にいる友達を客観的に感じることができて、
今までよりも少しだけ近くになったような気がして。
ミーティングルームから退室した後も、何だかメッセンジャーで言いたいこと送り合って、お前ら、寝ろ。とだけ言いたくて、でも、続いて欲しくて、
次に会うのは毎年、来年な!って別れるんだけど、もしかしたらすぐにアクセスしたら近くに感じることができるのかもしれなくて。
こんな先週末を過ごしたら、疲れてしまうのはわかってるのに、翌日まだ別件に。
今、参加している本好きのコミュニティーで集合。普段は、青山ブックセンター近くの「中西」というお店で買ってきた本を並べて語っているんだけど、この機会に、「本棚」を覗き見してみることに。
僕は、昔から誰かの本棚やレコード棚を見ることが大好きで、例え、直接話している時にいいことを言っても、棚は嘘をつかない。
どこか、隠しておきたいような心を裸にしてしまうような感じで。少し気恥ずかしい。
そこで、参加したみんなの本棚を紹介していき、おすすめ、影響を受けた本、捨てられない本についてのエピソードを話していく。
たった数時間の飲み会よりも、ほんの数十分で、今まで思い描いていたイメージとは異なる仲間の姿があった。
そこから僕は、みんなの本の並びから普段どんなことを考えて、どう生きていきたのかの一部分を垣間見ることができた。
んその流れでまた翌週開催。すでに本棚は見てしまったので、なんだか雑談というか、興味のあることやたわいもない話に変わっていった。
気がついたら、また6時間半も話していた。
放課後の部室か!
気がついたことがある。対面でなくても、相手のことがわかってくる。もちろん、1度の深さよりも、何回も触れ合うことが親交につながるのはこれまでの人生で学んできたはず。
でも、距離感がこんなに近くなれるなんて想像もしていなかった。
なんだろうね。自宅に籠るから人と話したいのかもしれないし、そんなきっかけから相手の背景を想像していけるのかもしれないし。
そうなんだよ。今、限られたスペース(画面内)の中で、相手と会話する。
そこで大切なのは、「他者への想像力」。気を使いすぎる必要はないけれど、気を回すことはできる。
これまで僕は「みんなが後1歩だけ、1日で想像して過ごすことができたら、世界は少しマシになるんじゃないか」って思っていた。
今、世の中は強制的にそうしないと生きていけない時代になってきた。
だったら心のすむまで想像力を働かせてみてやろうじゃん。
創造力よりも想像力。まぁ、親切にしろってわけではないんだけど、本当に理解できるきっかけをもらった感じがする。
「じゃ、来週設定するわ」。普段なら「次、いつ会う?」だったけれど、簡単に再会ができる。
またみんなと映画の前で、レコード棚の前で、本棚の前で再会したい。
「LINEが来ないから生存確認したよー」だとかは今多分違う。
「新しい好きなものの報告をしたい!」が生存確認。
その時までもっとみんなの日々を想像しておきたい。
多分ね、1歩だけ働かせてみると、次回はもっと楽しくなる。
本も、映画も、レコードも背景、考えるでしょ?
それはカルチャー対してはできて、身近な人にできないはずはないんだよ。きっと。
そんなことだけ思う4月8日の夜だった。