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きれいはうそをつかない - 2021/06/16

宮古島に行ってきた

唐突感があるけれど、実はそうでもなくて、ゴールデンウィーク少し後から企んでいた

そろそろ休暇が欲しいサインが頭の中を巡ってきていてなんとなく、予約した映画に行くのが面倒だなって近所のラーメン屋に行ってしまったり、原宿や下北沢にレコードを買いに行くのが面倒だなって欲しい新譜よりも近所の行動範囲で中古のレコードを買い始めたりしたらそれは休めのサインであって身体はうそをつかないので、わかりやすく昼間寝ていたくなったり、打ち合わせ以外に書類を進めたりするのが面倒になってきたら、素直に、
「そろそろ休暇のサインです」と同僚に打ち明ける

案外周りは慣れるもので、「ではどうぞ」と2週間程度の余裕を持っていれば引き継ぎができる

属人的な生き方をしていない証拠だ
多分、昼間は

そんなことをしているうちに、季節は桜の名残よりも、紫陽花の期待を懐かせるような6月になってしまった

相変わらず9時半に起きて、毎日の知った顔と朝会をして、打ち合わせが終わったら後輩とどうでもいい話をしながらお昼を食べて、大学生の悩みをひたすら聞いて、お客さんから電話がかかってきて、一緒に何かを考えて、近所の高校から、夕方5時の帰宅のベルが聞こえたらパソコンを閉じて仕事用のスマホの電源を切って、急いでスニーカーを履いて、山手線に飛び乗って、寄席か映画館に行く

相変わらず好きな落語家は面白くて、初めて見る単館映画は面白いし、映画の後にサウナに入った日の自律神経の整い方は異常で、シュッと身体が神経的に引き締まった感じがして、その夜は普段よりもよく眠れて、朝会ギリギリではない時間に自然に目が覚めて、朝会にみんなが集合する頃には午前中に返事をしなければいけないメールの処理は終わって午後の打ち合わせまで昼寝ができてしまう

そしてまた夕方になればスマホとパソコンを閉じて、近所でご飯を食べてまだ開いている書店とレコード店に行って新しい知識の出会いを期待して、家に帰る

そんなことをしているうちに、6月も中旬になってきてしまった

毎日に繰り返される出来事は楽しくて、満たされている気がしてならないのだけど、それは自分や周りの人たちの協力でいかようにも作り出せる時間であって、想像がついてしまうようになる
目測が建てられるようになると、そこには慣れてしまって、身体の感性というか、皮膚の感覚が鈍くなってくる

見えている景色が変わらなくなる

つまりはバリエーション

きっと、ぬるいと感じるあのサウナの水風呂も、初めて入った日はひんやりとしていて、氷のような感じ方をしていたはずだし、インディジョーンズはサブスクで見た昨夜よりも小学生の頃、父親に連れられて映画館で見たときの方が知らない場所に足を踏み入れていく期待があったはずで
全てに僕らは初心者だった頃があったんだろうと思ってしまったりする

そう感じたら、もうどっか行けと全てから言われているようなものなので、宮古島に行ってきた

なんで宮古島かっていうと、特に理由はなくって、小笠原諸島にいくことができるのであれば、父島に行きたいし、沖縄北部で好きな海辺のホテルがあるのだけど、そこに空きがあれば多分、そこに行っていたし、隔離なんかがなくってするっと台北に行くことができれば僕は心の友に会いに台北にDJをするためのレコードを持って行っていただろうと思う

それで、宮古島に行ってきた

水の中で何か浮かんでいたらふわっとした空気の中に閉じ込められるかのようになるんだろうかと思いながら、家を出るべき時間よりも3時間も早く目が覚めてしまってもう一回寝ると多分寝過ごしてしまうので、そのまま山手線に乗ろうって決めた

やたら急勾配なくせに、ポルシェやベンツばかり止まっている住宅地が続く坂を降りると、いつも朝から行列ができていて、1日の分が午前中とも呼ばないうちに売り切れてしまう「ポポー」というサンドイッチ屋さんがある

もちろん、そんな時間に駅に向かう用事なんて普段はないので、僕はこの街に5年以上住んでいて、2人の女性と交際し、2回転職しているのに、食べたことさえなかった

みんなが「ですよねー」って代名詞のように僕が住んでいる街を伝えると聞いてくるポポーのサンドイッチ

とりあえず、みんなが並んでいるので、僕も列の後についてみた
なぜなら、起きるべき時間よりも、3時間早く目が覚めたので、飛行機に乗るべき時間にはまだだいぶ余裕があってサンドイッチの列に並ぶことなど、わけがないからだ

僕には時間の余裕も、これから南の島に行くという気持ちの余裕もある

多分、それは勝ち組ってやつだ

ポポーのサンドイッチ、初めてショーウィンドウに並んでいるのを見たけれど、グラタンみたいなのだとかメンチカツやハムカツといった揚げ物が挟んでいるもののラインナップが多い

サンドイッチは揚げ物を挟むべき派閥に所属している身としては、これはこの街に引っ越してきてから5年も経つのに知らなかった嬉しいニュースで、ポーポーのサンドイッチには、美味しそうで魅力的な胃袋を掴んできかねない揚げ物が入ったものが多いことを知った

3つ買った

2つを朝ご飯に食べて、1つはそのままトートバックに入れた

空港では時間を持て余した

この間買った小説をなんなく読み切り、やることもないので、飛行機を高いところから見て、搭乗ゲートに向かって、飛行機の時間まで売店を見ながら、特に何もなく過ごしていたら、飛行機は離陸した

宮古島に行くのは、南西航空という飛行機で行ったことがある小学生以来だ

25年だか30年ぶりかに行く宮古島
小学生の頃、この島を気に入った僕の家族や親戚のおじさんたちは、毎年、春休みになると従姉妹たちを全員連れて、親戚一同で宮古島に行くことが通例だった
多分血が繋がっていない家族の人たちも時々一緒で、よくわからないけれど、うちの実家に関わる人たちはみんな、宮古島で集合して、お酒を飲んで、海に潜って、釣りをして美味しいお肉や魚を食べて過ごした

とか考えていたら僕は予定よりも3時間も早く起きてしまったので、眠くて仕方がなくて、飛行機が地面から離れたなと感じた瞬間寝ていたみたいで、起きたら着陸の姿勢に飛行機は入っていて、宮古空港が見えた

赤茶けた瓦でできている宮古空港が見えてくると、飛行機は着陸する

がたっと大きめな音と、振動で地面に着く

ホイップクリームを崩さないようないわゆるソフトタッチというやつで飛行機を着陸させることができる飛行士は多分、上手い

小さい頃の記憶で、父親は毎回「今回は上手いな」「今日は下手だな」ってタラップを降りるときに言っていたのを思い出す

そうか、上手い人はがたってならないのかと思った

今回は、多分不合格だ

でも、無事に宮古島に僕はついた

レンタカーで道路を適当に走る

見覚えのある港や畑や橋や島を眺めながら、とりあえず砂浜で海に足をつけることで本当の休みが始まった気がした
それはただいまと言っているようなものだって言えば感じがいいけれど、本当は僕は小学生の頃、実は、あまり海に潜っていない

家族が自然を満喫しようとしているときに、僕の中での興味は、次の週の週刊少年ジャンプの漫画の続きであって、春休みを丸ごと宮古島に行くともなると、
必然的に僕の漫画リテラシーは同級生と比べて遅れてしまう
離れた島には、週刊誌は1週間到着が遅れるからだ

小学生の頃、とりあえず海に入らない僕はタクシーと自転車で好きな場所に行ってこいと言われて、地元でもできる本屋に入り浸るということをしながら果樹園のベンチで1日を過ごしていた

海のレジャーの島で陸の人であることは特に思い出しても理由は見つからないまま、その日を思い出しながらホテルのそばの海岸で、東京にいる友達から連絡が入った演劇のチケットの件で話したりしていて、別に今、宮古でしなくていいだろうということをしながら、隣に座っている女性のグループが陽が沈む空を見ながらヨガをしている光景を眺めていた

初日、夕飯を食べ逃した僕はコンビニでささいなおにぎりを買い、隣のホテルに入った

少し物足りないけれど、身体は寝る気分なんだけど、少しだけお腹が空いているけれど、またコンビニに行くのは面倒だなと思いながら翌日のダイビングの着替えを用意していると、トートバッグのTシャツの隙間からサンドイッチが落ちてきた
ポポーのハムカツのサンドイッチだった
同じ日付の中だから、食べた

翌日、案外よく寝てしまい、気がついたら昼だった

ダイビングの予約は午後からだったけれど、遅刻したらまずそうな空気を前日の予約確認の電話の時点で先方の声から読み取っていた僕は素直に集合場所にいく

ダイビングはほとんど初めてと言っていいくらいだった
昔この島に来ていた頃にしていたのは、シュノーケリングだ

「はい、潜ってー」と教えられるがままにダイビングスポットに潜った僕は体験では少し難しいらしい、20mくらいの深さの海の中に包まれた

青かった

目に入ってくる光景が全て青かった

宮古島を選んだ理由は、どこかで、身体中を水に包まれたかったからだ

浮かんでみたかった

それも自然に

空に浮かぶには、きっと神経を尖らせて、僕は操作を見誤らないように必死に何かしらのバルーンに乗ったりするだろうと思うんだけど、
水の中なら、全てを任せていても呼吸さえできていれば、多分、ゆっくりと包み込まれるかのようになるだろうねって思った

それで、海の中に潜りたくて、宮古島にした

潜ってみて、思い出したのはあまりにも全てが青かったこと

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小学生の頃、僕はいたずら好きの宮古島のガイドさんに「今からこの海に飛び込んでごらん!すごいものが見えるから」と言われるがままに
その人がいい人だって信じ切ってた僕はそのまま海に飛び込んだ

そしたら、足なんて全くつかない30mもある深さの海の中に沈み込んでいってどこかに捕まることもできずに、あまりにも手足が自由になりすぎて、
怖くなって、その日から海に入らなくなっていた
そうだ
だから、僕はみんなが海に向かう中、果樹園のベンチに行って本を読んでいたんだ

どこかに手足がついていないと不安だから、30mの海の中には潜ることができなくなっているまま、時間だけが経過していて、もう、僕の親族は誰も宮古島に行っていない
それよりも温泉とかに行くようになっていた

あのとき、僕は真下に広がる得体の知れない青さに怖くなってしまい、そのまま遠ざかってしまった宮古島の海

ダイビングは、シュノーケリングとは違って、底まで行くことができて、全てを包み込まれるかのような感覚になった
天井を見上げるかのように水面をみたら、魚の群れが通り過ぎていて、キラキラとしていた

「誰も自分を知っている人がいない場所で休暇が欲しかった」と言ったら「暗いよ!」と言われて海に入れられたのだけど、それくらいがちょうどよくって、逆に自分だけになって、抵抗もせずに身を任せられる環境にいると、自然と脳裏には身近な人、大切な人が浮かんでくる

海から上がって、船で港に向かう途中、島の周囲を包んでいる崖の写真を撮影して親戚に送ってみたら「よく行ったよねそこ」って返事があって、
ああ、僕は同じ場所で時間を取り戻せたんだねと思いながら船は港についた

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次の日、僕はもう少し海に入りたくって、シュノーケリングをした
ウミガメもいた

島の道はなんとなく感覚をつかんでいたので、カーナビは使わずに地元のラジオを聴きながら車を気の向くままに運転していた
小さいカフェを見つけて、入って、なんとなくカレーを食べた

そこでポケットにzineが入っていたのだけど、友人たちと作っているこのzineを椅子に座って外の畑を眺めながら読んでいた

zineは、Tokyomixtapeというタイトルで、色々な人たちの東京に対する思い出や、率直な気持ちが綴られているショートストーリー集だ

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誰かが、思い出したかのように書いてくれた物語を読みながら、昨日のダイビングで僕は小学生の頃を思い出しながら、地元から東京に引越しして行った後の家族との関係を思い出していた

お世辞にも全てがいいとは思えない時間の中で、なんとかそれなりの年齢になり、生きていて、もし、僕が小さな頃に手の届かない海の深さを体験していなかったのであれば、自分が想像できて、手が届くだけの中で生きていなかったかなって考えてみると、それは一概にいいえとは言えないので、きっかけを作ってくれた両親や親戚のおじさんにはありがたいと心の中で感謝しながら、カレーを食べた

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夜、ナイトツアーに出かけた
森の中でヤシガニを探しに行くという催しに参加した

波の音しか聞こえない真っ暗な森の中を歩いていくと、急に木々がなくなり暗闇なりにも視界が開けていくと空が見えた

天の川も見えるらしいという夏になりかけの星座が散らばった電気に邪魔されない星空で、「あっ」という間に北斗七星を見つけることができた
僕は、小学生の頃、天体望遠鏡ブームがクラスであったときに、どうしても星の位置感覚というものを掴むことができなくて、1人、みんなに置いてかれて、見つけることができなかった

とりあえず、空のせいにしておいたけれど、そんなのは嘘で、その後見た獅子座流星群はびっくりするくらいに綺麗に実家の庭からは見えた

で、北斗七星を簡単に見つけられて少し興奮気味に写真をスマホで撮影してしまった
そこから慣れてくると、蠍座も、乙女座も、獅子座も北極星も簡単に見つけることができた

昔、船に乗る人たちは方角が分からなくなったら、北極星から位置を探したらしいけれど、案外それは納得いくことで、自分が「ここだ」って定めてしまえば、あとはいかようにでもなるなってことに今更気づいた
星を見て

いつかの海で迷った人も、北極星を見つけた時は、足が地面にぴたっと着いた時のように安心したかもしれないなと思っていたら、今、自分は海に潜れなくなった日のことを思い出していて、でも、今日、うつ伏せで海底に手を突きながら海面を見上げたらびっくりするくらい素直な青さで海がきれいだったことを思い出した

飛行機に乗る前に、zineについて書いてくれた記事を読んでから出かけたのだけど、宮古島で返事考えるとか言っておきながら離島レジャーを満喫してしまったがために、特に何もせず、さらにはパソコンさえ持っていかないで、スマホの電源を切って本を読んだりしていたものだから、特に何も書くことなどはせずに東京に戻ってきた


そのまま2日が過ぎて、僕は副店長をしているジャズ喫茶に友人を案内して、帰りに、ノエル・ギャラガーのベストアルバムを店の中で聴いていた

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難しいことをしないで、ストレートに自分が影響を受けたものを隠さない瞬間、この人は神様のようになる
神様見たことないんだけど、伝え聞いている神様と言うもののような存在になる

誰もが安心して熱狂できるかっこいい音楽を作り出す

その話をロックを聴かない店長に説明していたんだけど、簡単にまとめると、嘘を着いていない
好きなものはどれだけみんなが知っているものだろうと、素直に好きだって言いながら曲を作っている

通ぶらないその姿はそのまま僕らに響いてくる

急に変化球を投げようとすると、慣れていない身体って反応できないので、練習でしていないことは試合でも出ない
急に驚くようなことはできない

宮古島の海が青いのも、なんとなく気にかけて連絡してくれる母が昔から心配性なもの、ノエルの曲が伝わりやすいのも、そのまんまだからだ

と、考えていたら寝る時間になってきた

そう、編集室は、着飾らなくても一緒に何かを作ってくれる人たちが素敵で楽しい

だからいいことも悪いこともなんでも言ってくれる人たちばかりで嬉しい

そんなメンバーが作るものだから、書いてくれる人たちの物語もまっすぐに視界に飛び込んでくる

村上春樹が、ビーチボーイズを初めて聴いた日のことをエッセイで書いているのを宮古島で読んだ

「初めてビーチボーイズの音楽に出会ったのは、たしか1963年のことだ。僕は14歳で、曲はサーフィンUSAだった。机の上にあった小さなソニーのトランジスタラジオから流れてくるそのポップソングを初めて耳にしたとき、僕は文字通り言葉を失ってしまった。僕がずっと聴きたいと思っていたけれど、それがどんなかたちをしたものなのか、どんな感触を持ったものなのか、具体的に思い描くことができなかった特別なサウンドを、その曲はこともなげにそこに出現させていたからだ。」 - 意味がなければスイングはない より


そう

それ!

具体的に想像できないものを形にしてくれる感じ

そんな一冊になって届いたらいいなって作っていたら集まってきてくれたという

このメンバーとじゃないと作れないです

一応これです


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新しいzine作るか、旅行行きます。