ゲームの次の10年は「コミュニティ・ゲーム」の時代へ
積みあがるゲーム市場
ゲームの歴史を振り返ってみると、特異な点に気付く。それは、今までのゲーム市場が置き換わるのではなく、常に重なって新しい市場を作っているという点だ。
これは音楽市場と比べると良くわかる
上のグラフを見てもわかるとおり、音楽の場合、フィジカルの音楽市場が縮小してその代わりにストリーミング市場が出現しているのが良くわかる。ところがゲームの場合、コンソールゲーム、PCゲーム、モバイルゲームと、新しく出現したメディアが他のメディアを駆逐するのではなく、上に重なって新しい市場を作っていくことになる。
そして、今ゲーム会社各社もモバイルゲームの市場が踊り場に来ていることを感じているというのもあり、新しい市場はどこにあるかを探しているところだろう。
次のジャンルは本当にブロックチェーンゲーム?GameFi?
そんな状況のゲーム業界に出てきたのがブロックチェーンを使ったゲームだ。今回はこのブロックチェーンゲームを使ったゲームが新しいし以上を積み重ねるような市場になるための方向性について考えていきたい。
ブロックチェーンゲーム、BCG、GameFi、Web3ゲーム、NFTゲームと様々な呼ばれ方をしているこのジャンルだが、基本的にはブロックチェーンを使ったゲームのことを指す。
そして、なぜブロックチェーンを使ったゲームが他のゲームと違うのかというと、デジタルのアイテムが自分のアセットになる、ゲームで得たコインが実際のお金になるという点が今までと違うというのが良く言われる説明だ。
私は長く、この説明に違和感を感じていた。ゲームのアセットはアセットとしてちゃんとゲーム内で売買されるケースもあるし、自分の称号としてゲーム内で名声を勝ち得ていくことも今までもあったはずだ。しかも、日本では協会が禁止してきたというのもあるがゲーム内のお金が本物のお金になるというのはRMT、つまりリアルマネートレードとして古くから行われてきた。
だから、ブロックチェーンでデジタルアイテムが資産になるという1点だけをもって新しい市場を作るということではない何かがあるのでは?とずっと思っていた。
そして、様々なゲームプロジェクトにも関わらせていただき、内から外からこのブロックチェーンを活用したゲームというのを見ていると、根底にながれるある共通点があることに気付いてきた。
それは、ブロックチェーンをなぜ使うのかという意味についてだ。デジタルが資産化されるというのはあくまで一つの事象であって、本当は、この資産化されたデジタルアイテムがあることで何ができるのか?にフォーカスすべきではないかという点だ。
オークローンマーケティングの社長が著した本の中で、通販は商品を売るのではなく、その商品によって実現される未来を売るのだというのを強調されていたことを思い出した。
そして、私たちはこの共通点をテーマに、新しいジャンルを提唱していきたいと思う。それがコミュニティ・ゲームという考え方だ。
ブロックチェーンゲームの矛盾
ブロックチェーンゲームを考えた時に、一つの矛盾に突き当たる。それは、ゲームを優先するのか、ファイナンスを優先するのかという問題だ。
GameFiとして、ゲームとファイナンスがくっついたものだと定義すると、それは他の金融商品と競合することになる。人々の合理的な行動を考えると、そのゲームよりも利回りの良いプロダクトがあればそちらに移行してしまう未来が見えてしまう。ゲーム運営というコストがある以上、不利な闘いだ。
一方で、ここ数年は「ブロックチェーンゲームといっても面白さを重視すべきだ」という論調も多かった。私たちは稼げるゲームではなく、面白いゲームを作っているのだということなのだが、そうすると既存のコンソールゲームやPCゲームと真っ向から対抗することになる。
既存のメジャーゲームが50億、100億の投資をしている世界に、どのように対抗するのか。これも苦しい闘いが待っているようにみえる。
つまり、ユーザーが面白さを優先すれば、既存のゲームが有利だし、運用商品として見られれば他の金融商品が有利という状況に陥ってしまいがちなのだ。だからこそ、ブロックチェーンゲームというのは何を提供しているのかというのがますます分からなくなってしまう。そんな状況というのもあったのかもしれない。
私たちは、このような状況を打破するために「Why Blockchain Game」について向き合い、他のジャンルと競合しない新しい価値を提供するための考え方について考えていきたいと思っている。それが先に述べたコミュニティ・ゲームという方向性なのだ。
ゲームの進化
コンソールゲームはソフトウェア売り切りの時代が長く、それは各家庭や各個人がスタンドアローンで操作するゲームでもあった。つまり、Computer vs Personの時代だ。
そこから、インターネット通信の出現により、Person vs Personが実現することになる。2000年代初頭に韓国のLineageの爆発的人気など記憶に新しい人もいるだろう(いない)
ちなみにその当時の発売元NCソフトの売上高は99年6億円、2000年44億円、2001年95億円と、まさに破竹の勢いという言葉がそのまま当てはまるほどの快進撃を見せた。
また、MMORPGではメーカー側が提供するサーバ内に複数のプレイヤーが同時アクセスして参加するという特性上、そこにコミュニティが形成されていったのも特徴的である。
そして、2010年代になると、コンソールが持つコンピューティングパワー、インターネットが持つ双方向性、そしてモバイルが持つ携帯性を掛け合わせたモバイルゲームの時代が到来する。
PCという設備投資が必要ない点、隙間時間でも参加できる点などの利点をいかし、今までゲームに縁遠かった層も取り込み急成長していく。そして冒頭のグラフのようにゲーム人口、ゲームによる業界全体の市場規模を拡大させていくフェーズになる。
コンソールゲーム:コンピュータ処理によるゲームという原型ができた
PCゲーム:ネットワークによる双方向コミュニケーションができた
モバイルゲーム:携帯性に優れ、誰でも・どこでも参加できるようになった
これが今まで話をしてきた歴史のまとめになる。そして、特に日本ではモバイルゲームの人口が頭打ちになりつつある中、新しいフロンティアとして注目を集めているのがブロックチェーンを活用したゲームだ。
しかし、最初のブロックチェーンゲームが登場したのが2018年ごろだとすると、5年経過した2023年でもまだ他のジャンルの足元にも及ばない規模感にとどまっている。
ブロックチェーンというのはただの技術要素であるので、私たちはここで、そのブロックチェーンによって何を実現しているのかという点についてもう一度考え直す岐路に来ているのではないか。そう思い、今回記事を書いている。
コミュニティ・ゲームとして捉えなおすブロックチェーンゲーム
ブロックチェーンゲームでは、NFTを販売したり、ユーティリティトークンやガバナンストークンを発行する。これによって実際に何ができたか。
デジタルのアセットをユーザーが完全に所有している。それはつまり、例えば分譲地の土地を買うという行為に近い。これは既存の経済で考えるのが一番わかりやすい。
分譲地の土地を買うと、そこにコミュニティが形成される。そして良いコミュニティであることで、その分譲地の価値は上がっていく。またはそのコミュニティ活動を維持していくことが、イコール自身の持つ資産の価値を維持することにつながっていく。
もし、彼らがその土地に「何もステイクしていない(何も自分の何かを賭けていない)」状態だったらどうなるだろうか。それを考えてみよう。
もし気に入らなければ他のところへ行けばよい。コミュニティは与えられるものであり、自分たちはただ参加すればよい。そう考えるようになっても不思議ではない。
これは古くから実証された人間心理の話だと思うのである程度普遍的ではないだろうか。だからこそ、ゲームに対し、何らかの「ステイク」をする。つまり自分の資産の一部をそこに預けるという行為は、コミュニティを形成するために必要な要素の一つであると言える。
しかし、ブロックチェーンゲームは今まで「稼ぐ」という点にフォーカスを当てきすぎたのかもしれない。Play to Earnだ、トークンを稼げるのだといっても、なかなかそれは自分の資産を「ステイク」するという感覚には遠かったのかもしれない。
だからこそ、同じブロックチェーンを使ってトークンを稼ぐという行為を、別の視点から考えてみるのが必要ではないか。それがコミュニティ・ゲームという考え方だ。
ゲーム空間があなたにとっての第三の場所となる。そこである程度自分の持ち分をステイクしていくことによって、貢献に応じたリワードが得られる、そしてリワードだけでなく、コミュニティに所属して様々な交流を行うことができるという付加価値も得られることになる。
結果としてコミュニティが活発になって「入りたい」という人が増えれば自身がステイクしていた資産の資産価値が向上する、結果として稼ぐことができているという状態になる。稼ぐためにコミュニティに入るのではなく、コミュニティに入ることによって結果的に稼げるという、逆の順番だ。
今、リモートワークも増え、様々な仕事が自動化され、多くの人が直接的に交流する場面は減っている。スターバックスがサードプレイスというが、店員さんと自分というコミュニケーションは出来ても、他の顧客との交流はなかなか難しい。
かつて教会やお寺という宗教施設が担っていたような、所属できるコミュニティというのをもう一度ゲームによって再興できるのではないか。そしてNFTを買うというのは、お寺や神社、教会に寄進することに近い行為なのではないか。そう捉えなおしてみると、新しいジャンルとしてのコミュニティ・ゲームの姿が見えてくる。
事業としてのコミュニティ・ゲームはスケールできるのか
ただ、今までのブロックチェーンゲームが陥った罠もある。それは強固なコミュニティはそのままでスケールしないという問題だ。ダンバー数という考え方がある。ロビン・ダンバーさんによる研究で、人間が安定的な社会関係を維持できるとされる人数の認知的な上限というものだ。
このダンバーさんの研究によれば、人間が円滑して安定的な関係を維持できる関係は約150人であるとされる。これは彼自身が「もしあなたがバーで偶然出会って、その場で突然一緒に酒を飲むことになったとしても、気まずさを感じないような人たちのことだ」と説明している。
そう考えると、スケールが難しいように感じるかもしれない。しかし、ゲームは無限のスペースがある。だからこそ、一つのゲームの中に複数のコミュニティを内包させるということができるだろう。そしてコミュニティへの寄与度によっても濃淡がもちろんあるので、グラデーションでもう少し一つのコミュニティは広がっていく可能性もある。
そう考えると、150名くらいのコアコントリビューター(核となる貢献者)を中心として、その周りに300~500名くらいのコミュニティを形成し、流動的な層がその周りに1000~2000人くらい滞留している。という姿が見えてきそうだ。
その上で、このようなコミュニティを多く作るのだ。ちなみに日本全国の神社仏閣の数は約15万8000か所あると言われている。各コミュニティが500人と仮定すれば、それだけで7,900万人がこのコミュニティに属していることになる。こうなればもはや「マスアダプション」だろう。
ブロックチェーンゲームのスケールの問題は各社が様々に工夫している状況だと思うが、コミュニティ・ゲームとしてとらえなおし、そのコミュニティの数を増やしていくという戦略を取れば、第三の場所としてのコミュニティを維持しながら同時に事業としてスケールしていくという姿が見えてくるのではないだろうか。
だれがこのジャンルを作るのか
例えばコンソールゲームの人たちはPCゲームの人たちを批判してきたし、PCゲームの人たちはモバイルゲームの人たちを批判してきた。そして各ジャンルでリードしていくのは新しジャンルの開拓者であったという歴史がある。
だからこそ、今新しくブロックチェーンゲームに取り組んでいる既存のゲーム会社ではない企業にこそ新しいジャンルを切り開く力があると言えるかもしれない。彼らが道を切り開き、大きな市場が見えたところで、既存のプレイヤーもそこに参入していき市場がさらに大きくなるという形になるだろう。
ただ、かつての批判は、まだジャンルが確立されていない中、市場が無いからこそ起こった批判だと考えると、2024年も様々なプロジェクトが立ち上がると思うが既存のゲーム会社も、そうでない会社も、一緒になって、新しいジャンルを切り開くというのが新しい姿なのかもしれない。
今当社でも「コミュニティ・ゲーム」としての事業の在り方について考え方をまとめているので、ぜひ一緒にディスカッションさせてほしい。気になる方はご連絡お願いします。
ユーザーにとってのコミュニティ・ゲーム
今まで事業者目線でコミュニティ・ゲームを見てきたが、ユーザーにとって、なぜこれが必要なのだろうか。私が一ユーザーだとすると、ゲームには時間を浪費してしまうといううしろめたさのようなものが一方で潜んでいるように感じていた。おそらくタイパ・コスパを重視するような人にとってはそれは少々居心地が悪い。
しかし、コミュニティ・ゲームであれば、オンラインやオフラインで交流できて、新しい知見が得られ、世界が広がるかもしれない。(あと、資産が増えるかもしれないというのも重要)。つまり、より人生を豊かにするためのゲームとして再定義できるかもしれない。もちろん、今までのゲームも空き時間を有効に使うためのゲームとして存在し続ける前提だ。
ゲームジャンルは積みあがるという冒頭の説明の通り、今までのゲームジャンルも残り、そちらはそちらで盛り上がる可能性はあるが、今までそこを避けてきた人たちにとってもゲームというのが身近に感じられ、新しいユーザーとなる可能性を秘めていると思う。
天穂のサクナヒメがヒットし、米作りのノウハウが広く知れ渡ったように、既存の社会の仕組みをもっと知りたいという層は多い。そのような層に対し、自分の知識が増える、自分の経験が増える、交友関係が増えるといった新しい要素がゲームに加わることで新しい世界が開けるのかなと感じている。
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