私が鬱・パニック障害を克服するまでの道のり…ストレスクリアとの出会い
1、新しい生活の始まり
社宅から新居に移り、しばらくは平穏な日々を送っていた。鬱、パニック障害を治してくれた先生のもとで、引き続き自分改革のためにこカウンセリングに通っていた。おかげでグレそうになってた娘は自由にまっすぐ育ち、広汎性発達障害の次女も紆余曲折ありながら大学へ進学した。
ただ、主人は私に厳しく、言い返せない状態だった。それでも家族思いで、私がぎっくり腰やった時はおんぶしてお風呂場へ連れて行ったり(まっぱのまま😅)次女と喧嘩してオデコにたんこぶ出た時も、慌てて脳外科へ連れて行ってくれた。いつも怒られるけど、旦那さんと言うものはそうゆうもんだと思ってたし、これでいいと思ってた。
2、コロナ禍からの苦悩
そんなある日、コロナ禍がやってきた。1ヶ月近く不要不急の外出できず、世の中がオンラインになっていった。そして、三浦春馬の死。そこから生きるのが辛くなってきたのだ。ソワソワして何故か辛い。通っていたカウンセラーに助けを求めるも、コロナ禍だから来てほしくないと言われる。鬱は治ってるから大丈夫と言われる。
電話を何回かやって、なんとか落ち着いた。鬱じゃなかったのか?まぁ治ったからいっか、ぐらいだった。ただ、コロナ禍を理由にそのカウンセラーのもとで勉強ができなくなった。その頃の私は人の話しを聞くと「胸の内をスラスラ言いやすくて癒される」と言われるようになっていた。自分が辛いことを経験したからこそのセキュアベースだと思った。
3、人の役に立ちたい想い
それなら資格を取って人の役に立ちたい。これを一生の仕事にしようと思った。そんな時にゴスペル仲間の子供が登校拒否、旦那さんが再就職活動重なって辛い思いをしていて、彼女自身がストレスクリアセッション継続受けて子供が学校へ行くようになり、程なく旦那様も再就職先が見つかったと聞いた。
「ストレスクリア」名前が胡散臭い😅 ネット検索して迷いに迷ってなかなか決められなかった時に、ゴスペル仲間からの嫌がらせが激化して限界。え〜い!と入力してお茶会なるものから入ってみた。
…次回へ続く