ライブゲーム 第4話「Way to win」
第3話「水害の日」
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本編
ジメジメと湿った嫌な風が全身を駆け抜ける。まるで科学館の熱帯雨林エリアにいるかのように全身が湿り気を帯びる。今日は暑くないはずなのに。
街を覆う水は、豪雨災害のときに見られるような濁った泥水ではく、透明で澄み渡っている。雲の隙間からわずかに漏れ出る太陽光が水面に反射してキラキラ輝いていた。肌に伝わってくる嫌な感覚と、視界に入る美しい情景との差が気持ち悪い。
湖はじわじわと範囲を広げていく。やがて山の裾まで水がたどり着くと、端っこの方の水が、意思を持ったかのように形を変え始めた。何度かうねりながら、大蛇のような姿に変化すると、その"蛇”を山々へ一斉に伸ばし始める。うねりながら水は山を登っていく。
「これが"水害"か。高い位置に居て正解だったな」
「これはどうやってクリアするんですか」
「もうボスの位置は特定されている。近くにいる手練れが倒しに向かったはずだ。俺たちはあいつ」
そう言って、荒垣はこちらに向かってきている水蛇を指さす。
「がここに辿りつきそうになったら用意してあるヘリに乗り込み、そこからは空でクリアを待つ」
「分かりました」
一瞬、水蛇と目があった気がした。もちろん水蛇の方に目なんてないはずなのに。自分より圧倒的な力を持つ猛獣を前にして、生を諦めたかのように身体が端の方からだんだんと凍りついて動けなくなる感覚に襲われる。
反射的にぶるると身体を震わせ、固まった手足を振る。僕の今回の役割は生き延びることだ。アレと対峙する必要はない。逃げれればいい。そう口の中で唱え、怯えきった心を奮い立たせる。
水蛇は木を巻き込みながら山を登っていく。通った後から土煙が巻き起こり、その姿が霞んでいく。見失わないように水蛇の頭を目を凝らして追っていく。どんどんと登っていき、視界には大蛇と下の公園が同時に映る。芝生に豆粒のような大きさだが、多くの家族連れがいるのが見える。
「移動するぞ」
思いっきり肩を引っ張られ、よろけながら柵から離れる。
「人が亡くなるところまで見る必要はない」
柵に背を向け、歩き出す荒垣さんに付いていく。はっきりとした悲鳴が耳に入り思わず柵の方を振り返るが、柵の向こうの空に薄くふんわりとした雲が延々と広がっているのが見えるだけだった。公園の様子を見たければ、下の方を覗き込まないといけない。悲鳴が山にこだまする。つばを飲み込む。あれだけ水を飲んだはずなのに、喉がカラカラに乾いている。
結局、下を見ることはできなかった。
道路の脇にあった木の階段を登ると、フェンスで囲まれた区画に突き当たった。荒垣さんは持っていた鍵で南京錠を開けるとフェンスの扉を押し開ける。
「結構近くまで来ている音がする。転ばない程度に急ぐぞ」
僕の耳には何も聞こえない。さっきの悲鳴の残響が残り、麻痺しているかのような感覚だ。フェンスの中はところどころぬかるんでおり、とても歩きづらい。足元に気をつけながら小走りで後を追う。
やがて森の開けたところに急に一機のヘリが現れた。想像以上に大きく、結構な人数が乗れそうだ。荒垣さんは慣れた手つきでヘリのドアを開けると、僕の腰を持ち上げヘリに乗せる。ヘリのドアの向こう、僕達が走ってきたところから土煙が見える。そう言えばいつからか地鳴りのような音が響いていた。もう水蛇はすぐそこまで迫っている。
「荒垣さん!急がないと」
と言ってる間に扉の手前にいたはずの荒垣さんは操縦席に移動してる。瞬間移動だ。
「分かってるよ。扉開けっぱしで行くから、落ちないように、後ろの奥の座席に座ってシートベルトを締めとけな」
ヘリコプターが動き出す音がする。急いでシートベルトを締めようとするが、いつものと形が違うせいで締め方がわかんない。
「これ、どうやるの?締めらんない」
ヘリコプターの音が大きくなって、自然と大きな声が出る。半分パニックだ。
「分からないんだったら、その辺でも掴んでろ。飛ぶぞ」
突然、身体がふわっと浮き上がりそのまま大きく揺られる。慌てて座席横の掴めるところを必死につかんだ。身体が振られる勢いで、開いたままの入り口の方へ視線が移る。
土煙がすぐそこまで迫っていた。目の前の森の中から切り裂くように、水のかたまりが飛び出してくる。しかし、こちらはもう木よりも高い位置まで上昇し、水蛇にはここまで伸びる力はないようだ。しばらく首をもたげ、こちらの様子をうかがっているかのように動いていたが、やがて力なく横たわると、そのまま崩れ始め大量の水を周囲にまき散らしながら消えていった。
ヘリコプターはそのままグングンと高度を上げていく。やがて盆地全体を見渡せるようになったが、山々に囲まれた巨大な水たまりのようにしか見えない。というより、大洋に島々が浮いていると言った方が近いかもしれない。
「これから近くで戦闘訓練をやっている仲間のところに向かう。そこで2人ほど拾うから奥に詰めとけ」
ヘリコプターは西の方へ飛んでいく。しばらくなにもない水面が眼下に広がっていたが、水平線の端に穴みたいなのが出現していた。ヘリコプターはその穴にどんどん近づいていった。
「残りはおよそ1100万リットル。自然蒸発と合わせて200万リットル少々削れているね」
新菜がなんだか楽しそうなのがとても癪に障る。既に「戦闘訓練」を始めて30分が経過している。体感ではもう数時間なので体力よりも先に集中力が切れた。
「まだいける?そろそろ迎えが来るはずだからやめてもいいけど」
「続けますよ。この程度で戦えなければ話になりません」
「そう。どっちでもいいけど、死にそうになったら強制中断だからそこは頭に入れといてよ。私に助けられるのはさぞ惨めだろうね」
言いたいことは分かる。本来ならする必要がない「戦闘訓練」を無理を言ってさせてもらっている立場なのだ。16回生存の身では、身体能力は伸ばせて4.5倍が限度。ホバリングさえできないレベルだ。まだまだ戦えるレベルじゃない。
しかしいつまでもサポートに徹していても、生存回数が多い人間の下にいるまんまだ。この数ヶ月、現実で文字通り死ぬほどのトレーニングを積んだ。ちょっとは通用するはずだった。
もう一度敵を両目で捉える。水に囲まれた、深さ1000メートル、直径100メートルの円筒の底の方、不自然に完全な球体状の水が鎮座している。球体の半径は15メートル。いや、少し縮んだか。
意思を持ってか、反射的かは不明だが、触腕のような細い腕を鞭のように操る攻撃と、球体から圧力をかけた水を散弾のように飛ばす攻撃を使ってくる。鞭攻撃が球体から10メートルほどの短射程、散弾攻撃が威力減衰があるとはいえほぼ水壁まで到達する攻撃だ。
勝利条件は球体状の水を攻撃で吐き出させ切ることだろう。一度攻撃に使ってしまった水は球体内に戻っていかないのが大きなヒントだ。ここまでは散弾攻撃を誘発することでじわじわ水を吐き出せていたが、このペースでは埒が明かない。リスクを冒してでも、あの触腕を球体から切り離せれば、1万リットルくらいは削れるはずだ。散弾1回がせいぜい100リットル程度であることを考えると、効率はだいぶあがる。倒しきれないにしても無傷である程度削れれば一定の評価はもらえるだろう。
計画が立てばあとは覚悟を決めるだけ。あの無機質な球体の懐に潜り込んで散弾と触腕の両方を避けつつ触腕を切り離す。できるはずだ。
「考えはまとまった?」
新菜は俺の返答を聞く前に腰を掴んでいた腕を離す。自由落下で落ち始める。新菜に対する恨み節が何個も浮かんだが、数秒で地上だ。水球体の腕を狩るイメージをする。
「空気抵抗4.5倍、地表面との相対速度1/4.5倍、頑丈さ4.5倍、着地時の衝撃1/4.5倍」
唱えた直後に身体に衝撃が来る。重ね掛けは上手くいった。手をついた死体の山から水気を感じる。嫌な感触だ。この直径100メートルの穴ぼこのなかで一体何人が死んでいるのだろう。俺が戦い始めたころにはまだ息がありそうなものいたが、今は何も動きがない。その少し上空をうねうねと触腕が気持ち悪く動いている。この位置では当たらない。だったら相手は。
ガチョと間の抜けた音が鳴る。予想通り散弾を撃ってきた
「パターンが単調なんだよ」
死体の山に撃たれた散弾は着弾すると血しぶきに変わった。しかしそこにはもう俺はいない。こちらからは見えないが"銃口"には向きがある。俺が大きく動けば、銃口の向きを変えるのに数秒の隙が生まれるその間に触腕の射程に入り込み、切る。
「身体の硬さ4.5倍、腕の振りの速さ4.5倍」
武器など持っていない。手刀の要領だ。一本近いのが右わき腹を狙って襲い掛かってくる。本物の鞭よりは遅い動きとは言え、タイミングは恐らく一瞬外せば俺が真っ二つ。の前に新菜に抱きかかえられて救出される。そんなお粗末なことはしない。
「ここだ」
タイミングはばっちりのはずだった。腕は大きく弾かれ、がら空きの脇腹に触腕が襲い掛かる。
「させるか」
身体を捻り、すんでのところでかわす。頭上でガチョの音が鳴る。まずい、散弾がもう撃たれた。まだ空中ではわずかしか動けない。避けることができない。
「かかる重力4.5倍」
距離を取りさえすれば、威力も落ちるし当たる弾数も減る。着地時の詠唱は間に合わない。
死体の山にめり込む。バキバキと嫌な音が鳴るが、俺の骨が折れた音じゃない。被弾もほとんどしなかった。死体が壁となり散弾を防いでくれいる。それならばともっと潜り込む。最悪の気分だが考える時間が必要だ。問題点として、そもそも強化詠唱が間に合っていない。他の諸先輩方のように念じるだけ身体能力を変化させれれば良いのだが、なんど練習しても上手くいかない。こうやって余計なことをつらつら考えるからだろうか。それよりも、触腕切断作戦が失敗に終わった方が重大だ。水圧でもかかっているのか、それとも不思議な力か、触腕は液体とは思えないほどの硬さがあった。強化する身体能力を変えれば切れるのか、そもそも作戦を1から考え直した方がいいか。
早く作戦を決めて早くこの空間から出たい。ずっと水なんだか血なんだか分からない液体がしたたり落ちている。
本体ごと切るか。今まで避けていた考えを改めて掘り返す。巨大な形状と液体という点から切ってもすぐその切り口がつながるだろうと予想していたが試したわけではない。もう一度上まで戻って落下の力を使って本体を切る。切れないとしても、いくらか球体内の水を外に出せれば一気に削れるはずだ。さっきの触腕作戦よりさらにリスクのある作戦だが、もう他に代案もない。それに散弾との鬼ごっこは飽きた。死体の間を進み水壁が振れる位置まで移動する。
さっき登ったときと同じだ。水圧を低減し浮力を上げ、重力を下げる。せっかくだ無詠唱で能力変化も同時に習得してやる。
垂直の水の壁を泳ぎ登る。ある程度登ったら水壁を蹴り空中に身を投げ出す。ちょっと高すぎたか。でも狙いは悪くないはず、重力を上げ硬度と腕の振りの速さを上げる。相手の動きが関係ない分、切るタイミングは分かりやすい。
両腕を振り落とす。弾かれ……ない。いける。球体を通り抜け、死体の山にぶつかるそのまま振り返る。どうだ、やったか。
真っ二つとまではいけないが、わずかに修復しきれていない切り口から水がどばどばと零れ落ちている。その切り口もすぐに閉じたが、いままでより大量の水を吐き出させることができた。これを何度か繰り返せば。
そのとき、異変に気付いた。最初は水が零れ落ちる音が聞こえないという違和感だった。おかしいなと思い、耳をトントンと叩く。その瞬間激痛が走った。慌てて痛覚を軽減するもそれでも痛みは続く。手を見るとドロッと鮮血がついている。死体から流れる赤黒い血ではない。
鼓膜がやられれた。そう直感した。急降下による圧力変化で耳が耐えられなかったのか、いや高々100メートルくらいだ。それで鼓膜が破れるなら戦闘機パイロットは全員耳が聞こえなくなっていないとおかしい。
と、すれば残る可能性は1つ。球体内の水圧がものすごく大きいい。いやこの突っ込んだ感じだと、全体の圧力が大きいという感じではなかった。あの球体内に圧力の偏りがある。
ガチョ。銃口がいつの間にかこちらを向いていた。反射的に避けるがバランスが取れない。平衡感覚がめちゃくちゃになっている。それでもなんとか避け続ける。あいつ、死にそうになったら救出しに来るはずが全然来ないじゃん。逆説的に言えば、まだ大丈夫ということか。ならばこれを繰り返せば勝ち筋がある。目に闘志が戻るのを感じる。そのとき正面に新菜が現れた。ここまでかと思ったところで、なぜか新菜が手のひらを見せてきた。
「判定」という文字が手に直接刻まれ血がにじんでいる。
どういうことだ何を伝えたいんだ。新菜はもういない。再び放たれた散弾を避けようとしたとき不意に意味がストンと腑に落ちた。あれは確かなにかのゲームで、匍匐前進中はキャラクターの見た目よりも上の方にも当たり判定があって、キャラクターの上の一見なにもない場所を撃っても、相手にダメージが入るという仕様になっているという話だ。ゲームで当たり判定はキャラの見た目に沿って必ずしも存在しているわけではない。
「当たり判定を1/4.5倍に」
散弾が通り抜けていく……わけではなかった。次々と身体を熱いものが通り抜けていく感覚がした。
新菜さんが再びヘリコプターに戻ってきたときは血まみれの男性を抱えていた。
「死んだのか」
「まさか。死ぬ前に引き上げてきたよ。出血はひどいけど、失血死の前に堀田さんがクリアしてくれる」
「じゃあ僕のアイデアは上手くいかなかったんですね」
落ち込んだ声で尋ねる。
「ううん。多分こいつが誤解したんだよ。三島君のアイデアはばっちりだったと思うよ。それこそ君が対峙していても、それさえ思いついて入れば勝ってたくらいには」
なんかキザな動き付きでそうフォローしてくれる。初めて会ったときと比べてやっぱり様子が変だ。
「って言ってうちにクリアだね」
「そうなんですか。何もまだ聞こえていないんですけど」
「まあヘリの音がうるさいしね。次のお題も発表されたよ」
「次は何ですか」
「白線の日」
そこで意識は途切れた。