自尊心と他責思考について



こんにちは、たちばなです。今回は自尊心と他責思考について話したいと思います。




この記事を書くきっかけとしては私の心境の変化にあります。



編入試験を終えてからというもの、自分の中に譲れない軸、いわゆるプライドのようなものが出来ました。「プライド」なんて言葉を使うと大袈裟に聞こえますが



「やりたくない勉強に対して他の人よりも忍耐強く努力が出来るぞ」



とか



「試験本番にめちゃくちゃ強いぞ」



みたいなもので自分の強みを理解した感じです。実際、我慢強さや負けず嫌いな性格は他の人よりずば抜けていると思っています。



そこで私は、編入試験を受けたことでなぜそのような軸が現れたのかを考えた結果、「他責思考を捨てて自尊心が高まったからである」と結論づけました。一つずつ説明していきます。



【自尊心とは】


そもそも自尊心とは何なのでしょうか。定義は以下のようになっています。


自尊心(じそんしん)
一般的には、他人から干渉されず他者から受け入れられ、自分を高く評価しようとする感情ないし態度のことであるが、心理学ではself-esteemの訳語として用いられ、自己評価、自己価値、自己尊重、自尊感情などの訳語も使われている。たいていの人は、自分が他人から受け入れられ、また自分の存在を価値あるものとして肯定したい願望を意識的、無意識的にもっている。これが自尊心にほかならないが、その起源は、ほとんどの両親が自分の子供に与える好意的評価のうちにあるとみなされる。子供たちは、こうした価値づけを全面的あるいは部分的に受け入れ、それ以後の経験と評価をそれに一致させようとするわけである。したがって、幼少時に両親が子供に頻繁に否定的な評価を与えれば、子供は自分自身に対するこの見方をのちのちまで受け入れてしまい、自分をだめな人間と決め込んでしまう自尊心の低い者になる場合も生じる。
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)


長ったらしいので要約すると、「他人から承認されることで自己を自己たらしめる、人間の本能的な心理」であると言えます。



そしてこれは定義の通り、幼少期の環境に強く起因します。



具体的には

・文字が綺麗だと褒められて掲示物の作成を任される


・リーダーシップを見込まれて委員長に推薦される

・足が速いからリレーのアンカーに選ばれる



など、幼い時に自分では気付きにくい長所を家族や先生から指摘されることで、子供は自分の芯を自覚します。そしてその長所を損なわないようにさらに努力し、再び褒められるという好循環に入ります。



この記憶は大人になっても引き継がれ、褒められ続けた人は気概とやる気に満ち満ちた人格を持ちます。



反対に、褒められた経験が少ない人はそもそも自分がどういう人間なのか、他者からどのように見られているかという点が曖昧です。そのため自信の持ち方を理解していません。伸ばすべき長所が分からない上に努力もあまりしないので周りから必要とされず、自己肯定感の低下につながる悪循環に陥ります。



更に年を重ねると褒められる場面は減り、どちらかと言えばミスや短所を指摘されることが増えます。そうすると自尊心を育てることのできる環境は無くなり、最終的には幼少期の褒められた回数で成人以降の自尊心の強度がほぼ決定します。



【自尊心を高めるには】



そして自尊心の低い人は、自分を卑下し切ってしまうと今度は周囲の人を下げることで自己の尊厳を保つ傾向にあります。



・自分を認めてくれない周りが悪い

・あの人がミスした時はみんな支え合っているのに自分の時は誰も見向きしてくれない


・言いたいことを分かってくれないのは相手の理解力が無いからだ


といった具合です。その癖、自分の力不足は心の奥底で自覚しているので常に周りに助けを求めて頼ります。



その結果、自尊心の低い人は


「何かを成し遂げても周囲に頼りっぱなしなので自分の実績に加算出来ないし、失敗すれば自分の努力不足を棚に上げて他者のせいにすることで自己改善をしようとしない」



という責任放棄オツム赤ちゃんモンスターに変化します。



では大人になって褒められる機会が減った上でこのように幼少期に根付いた悪循環から抜け出せない人が胸を張って自己の存在を主張するためにはどうすれば良いのか。



これは他責思考をやめる、その一点に尽きます。


【他責思考とは】



他責思考は文字通り、結果の原因を全て他者に帰着させることで責任を逃れる幼稚な思考です。



この考えを持つ人の特徴としては、「自分が絶対的に正しい」と勘違いしているので話す時にいつも「だって〜」「でも〜」と相手の否定から話し始める点が挙げられます。皆さんも今までの人生でこういう人に会ったことがあるのではないでしょうか。



自尊心のために「なぜ他責思考を止めるべきか」と言うと、そもそも「なぜ幼少期は褒められるのか」を考えてみると分かります。



親目線で子供を褒める理由を考えると


「この子はまだ自分で責任を取ることが出来ないほど小さい。だから親である私が責任を肩代わりできる内に無償の愛を与え、褒めることで長所を自覚させるべきだ。そうすることで自尊心を高め、成人したときには自分で自分の進むべき道を決めることのできる人間になって欲しい」




という思いが漠然と存在しているような気がします。



つまり幼少期の間、親が責任を保証することで子供は無償の肯定を得ているのです。となれば大人になって自尊心を高めるためには自己責任で有償の肯定を獲得しなければならないのは至極当然です。大人なんだから自分のケツは自分で拭く、というやつです。




【編入との関連性】



そしてこの「有償の肯定」は編入試験にドンピシャに当てはまります。



大学受験はまだ高校生という立場から、「塾に通わせてもらう」「受験料を払ってもらう」「浪人させてもらう」「滑り止めの大学に行かせてもらう」と言った風にとにかく親に依存しています。勿論、試験自体は本人の努力次第であることは言うまでもないのですが環境面で親の支えがあります。




それに対して、編入試験はほとんどの人が自分でお金を工面し、大学生というモラトリアムの期間を捧げています。大学受験のようにお膳立てされた環境ではなく、独学であれば一人で孤独に参考書と向き合う日々です。そこには親の介在は無く、試験と自分だけの純粋な対峙があります。



私自身も編入試験の独学での受験は自分で決めたことであり、その目標に対して大学生活のいくらかとバイト代を投資するという責任を背負って試験に挑みました。そして無事に合格したという経験から


「他の人より忍耐強く勉強出来る特性と学歴を獲得した」


という、まさに有償の客観的肯定を得ることが出来ました。




【まとめ】


自尊心の低い人は他責思考に蝕まれています。大人になった今、無償で褒めてくれる人は少ないので自ら有償の肯定を得ることで自尊心を取り戻す必要があります。幼少期に褒められなかった過去を言い訳にするのはナンセンスです。編入という完全に自己責任の受験で合格を掴み、誰にも譲れない軸を見つけましょう。


以上で終わります。



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