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まだ言ってるの?「母親なら離乳食作れ」問題に物申す

▶︎ポテサラ問題に続く「母親なら」論争

最近タレントの加藤紗里さんのインスタが炎上してますね。

ストーリーに寄せられた「離乳食は手作りしているか?」との質問に対して「作るわけない」「紗里そんなに暇ぢゃない」などと断言したことで、「離乳食を手作りする母親を暇だというのか」と大きな反発があったようです。

まぁ、彼女は元々問題キャラを売りにしているようなところがあったので、果たしてこのコメントが心の底から本心で語っているかはわかりませんけどね。


しかし、ポテサラに続きまた離乳食でも同じようなことで意見が対立しているので、今日は僕なりに少し考えを書いてみたいと思います。


▶︎正しいことと、できること

結論から言うと、「そうあるべき」という理想はみんな共通してるが、「それができる人」は限られているということに尽きる思います。

まず今回の加藤紗里さんのケースを整理して考えてみると、

①加藤紗里は料理が苦手(できないと言えるレベル)
②シングルマザーで料理以外にもやる事がたくさんある(すべてのお母さんに共通)
③アンチコメントを寄せている人の大半が昭和世代(特に男性)

といった3つに分けられると思います。

①と②に関しては一緒に考えることができると思うのですが、彼女は料理が苦手なので、離乳食を作るとなると人一倍時間もかかるのだろうと推察されます。

そうなると食材を触る回数、放置している時間も長くなり、衛生的にも良くない。

おまけに他の家事育児、タレントとしての仕事も抱えているため料理に割ける時間も限られているのでしょう。

結果赤ちゃんのことを思うならばそこは買ってきた方が良いだろうという判断に至ったのだと思います。


これに対して昭和世代の人たち(特に男性)が、

「母親だったら愛情を込めて手作りするべきだ」

「時間がかかるなら早起きして作ればいいだけ」

「育児に得意も不得意もない」

といったコメントを寄せているわけです。


確かにこれは間違ったことは言っていませんし、事実その人たちのお母さんはそうしてきたのでしょう。

加藤さんもそれについては重々理解しているはずですし、1度はそこを目指したはずです。

ただ、そうあるべきとはわかっていも、それができる人というのは限られているが現実なのではないでしょうか。

▶︎言ってる人ほどやっていないという事実

理想をぶつける人ほど自分は何もしていないことって多々あると思います。

うちも奥さんとお互いの理想論をぶつけてケンカになることがたまにあります。

例えば家事。

実は割合で言えば僕の方が多かったりします。

「なんでオレがいつも〇〇やってるの?それって奥さんの仕事じゃないの?」

前はそんなことでよく揉めていました。


でも、そもそも家事をしてほしいから結婚したわけじゃないんですよね。

これは僕の勝手なイメージですが、「家事が完璧で料理がプロ並みに美味しいから結婚したい」っていうプロポーズをして喜ぶ女性っていますかね?

おそらくほとんどの女性に「はぁ?私あなたの家政婦じゃないんですけど!」といってフラれると思うんですよね。

みんな結婚する前は「家事は2人で分担しよう!」なんて調子の良いこと言って口説いていたはずなのにいつの間にかそれを忘れてしまってるんです。

相手のアラを探してつつくよりもお互いの良いところ見つけて褒めてあげる方が夫婦としてずっと健全なのは言うまでもありません。

それをよその奥さんと比べること自体が間違っているのです。


加藤さんに対しても同じです。

彼女はできないことが人より多いかもしれませんが、逆にその分他の人よりできることだって多いはずなんです。

でなきゃタレントとしてデビューできませんよ。

弱いところをつつくより優れているところを評価してあげませんか?

▶︎もう一度考えよう出産のこと

「女」が「台」になると書いて「始」

そう、全ては女性から始まるのです…


出産とは十月十日の苦行の末の命がけの大仕事です。

家族のため、自分のためとはいえ相当な覚悟とリスクと時間を要するこの一大イベントです。

無事出産を終えた暁には、本来であれば各種報奨金や1ヶ月のハワイ旅行でもプレゼントされて然るべき偉業です。

それにも関わらず無償、あげくその後は不眠不休の超ブラック育児が待っています。


そこへ来て肝心の旦那は子供を可愛がるばかりでなにも出来やしない。

家事は楽になるどころか役立たずの旦那のせいで一層ストレスが溜まる始末。

その上「離乳食を自分で作らないのは愛情がない証拠だ」なんて言われたらたまったもんじゃないですよね。

それこそ愛があるなら旦那が離乳食を作ったって良いはずじゃない?と、書いていて僕も思ってしまいます。

おっぱいがあげられないならせめて手を動かせ!

そう言いたくなるお母さんは相当いるでしょうね。


離乳食だけならまだマシで、家事はそれ以外にも掃除、洗濯もありますし、ゴミ出し、洗濯物を畳んだり、家族の毎食の献立を考えたり…もう数えたらキリがありません。

これだけのことをやらなくちゃいけないとわかっていてもあなたは主婦をやりますか?


全てを最後までちゃんとできますか?



▶︎そもそも昔と今では家族の形が違いすぎる

それでも「昔はどの母親もみんなやっていたことだ」いう人たちへ。

そういう人たちからすれば今のお母さんは甘えているように見えるでしょう。

でも本当にそうでしょうか?

昔は専業主婦ができて、家族にはお年寄りや兄弟など他にも赤ちゃんの面倒を見てくれる人が近くにいました。

ご近所さんも「1人見るのも2人見るのもおんなじだから。」と一緒になって面倒を見てくれました。

しかし今は核家族が主流で、お母さんしか見る人がいない家庭がほとんどです。

まだ旦那さんがいるところはマシな方で、シングルマザーのご家庭も珍しくありません。

生活のためにはお母さんがが働いて稼がなくてはいけません。

加藤さんもそうですね。

働ける仕事も時間も限られてくるでしょう。

当然1人で抱える負担も大きいはずです。

これでも昭和のお母さんたちと同じリングに上がっていると言えるのでしょうか。

もちろん昭和のお母さんたちにもその時々の大変さがあったことは間違いありません。

でも同じ苦労がわかる者同士として、シングルマザーのお母さんにとって離乳食を手作りすることが優先順位の1番になくても仕方ないという理解の声がもっとあっても良いのではないだろうかと思うのです。


▶︎まとめ

「母親だったら離乳食を手作りするべきだ」

これは理想として素晴らしいものです。

苦労が伴うほど愛情が増し、振り返った時の喜びも大きいことでしょう。

「昔はそうやってみんな育てて来たんだ。」

それもわかります。

でも紙オムツを使っている人にも「昔はみんな布オムツだった」とか「母親だったら布オムツを手で洗え」「赤ちゃんのお肌のためには布オムツにするべきだ」そう言いますか?


マイクタイソンの言葉にこんなものがあります。

オレがボクサーだった頃は、こうだった、ああだったって話ばかりする、過去の王者のような人間にはなりたくないんだ。ボクサーの王者になれた経験は素晴らしいものだったけれど、オレは過去の栄光にしがみつくことはしない。

どうでしょう?

本物のチャンピオンとはこういう人のことを言うのではないでしょうか?


できない人へ批判をぶつけたり、過去の育児や理想論を押し付けたりせず、アドバイスや手を差し伸べてあげた方が優しいのではないですか?

そういう先輩お父さんお母さんたちがいないというのはとても寂しいことだと思います。


経営者にとって会社は子供のようなものですし、ビジネスであれば外注は当たり前にあることですよね。

1人の人間ができることには限界があるから外注するわけです。

育児はビジネスではありませんが、目指すことはビジネスと変わりません。

どちらも成長すること。

それが目的です。

経営者は会社を成長させ、母親は子供を成長させる。

そのやり方は10人いれば10通りあっていいんです。

結果的に良い会社、良い子供になれば。


理想はあってもできるできないは人それぞれなんですから。

大事なことはその人のやり方を理解し、良いところは褒め、悪いところは教えてあげる優しさをまわりの人間が身につけることなのではないでしょうか?

僕はそんな風に思うのですがいかがでしょう。

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