その嗜好は、誰かの(戦略的)思考。
◼️脂肪は、過去の嗜好
『ミルキーは、ママの味』
みたいに言ってみた。
飢餓が頻発した時代をサバイブし、
現代まで遺伝子を繋いだのは、
脂肪の味を好んだ者だ。
飢餓がほとんどない、
飽食の時代を生きる現代人に、
脂肪という栄養素はあまり必要ではない。
にも関わらず、
脂肪を含んだ食品を大量に摂取
(したい!と嗜好)してしまうのは、
私達が飢餓をサバイブした者の生き残り、
つまり、「脂肪、超うまっ!」と感じる
遺伝子を引き継いだから、である。
◼️人が虫のようだ
まるで、
炎という光源に引き寄せられる虫のように、
破滅に繋がる欲望にも
どうしても抗えないように、
我々は、脂肪の味を求めて止まない。
「脂肪は美味しい」という味覚は、
今や大多数が疑わない、
確固たる価値観を形成した。
過去のある時期に発生し、
その好効果を存分に発揮したものには、
「正当性」という心理的保証が付き、
世間が無意識に信仰する「常識」となる。
その中でも、特に為政にマッチするものは
「正義」にまで格上げされる。
時代や環境の変化に伴い、
不要どころか有害な、
時代遅れの嗜好(思考)になった
としても、だ。
◼️それ、誰の嗜好(思考)?
「結婚する」
「子供を持つ」
「向上心を持つ」
「社会貢献をする」
「親孝行をする」
世の中で推奨されるこれらの行為を、
我々は果たして、本当に、自発的に、
求めているのだろうか。
「結婚したい」
「子供が欲しい」
とは全く思わない人達が、
ある一定数いること、
そして、その意思は正常なものであり、
尊重されるべきだ、ということは、
近年(やっと)認識されつつある。
また、
本人が興味がない環境において、
「向上心を持つ」ことは大変困難で、
経済的成功を欲する者は、
手段としての「社会貢献」は掲げるが、
純粋な意味と内容での「社会貢献」は、
決して志向しない。
毒親の下で育った子供に
「親孝行」を求めるのは鬼畜の思考だ。
◼️それ、誰トク?
「結婚する」
「子供を持つ」
「向上心を持つ」
「社会貢献をする」
「親孝行をする」
これらの行為が、
私達個人に求められるのは、
これらの行為の先に
私達個人の「幸福」があるから、
ではなく、
現社会を構成する
特定多数(強者)に恩恵があるから、だ。
「結婚」して「子供を持ち」、
「向上心を持って」「社会貢献をする」、
「親孝行」な人間を、誰でもない、
社会が求めて止まないのだ。
◼️戦略的嗜好(思考)からの卒業
「結婚する」
「子供を持つ」
という社会的価値観は、
うまくあしらえるようになった。
時代の変化という加護を受け、
精神的に解放された、と表現してもいい。
「私の人生には、結婚も子供も不要です」
という意思に、違和感や疑問を持たれても、
その根拠の説明を求められなくなった。
「社会貢献をする」
「親孝行をする」
という社会的価値観に、
私は元より重きを置いていない。
それは、私自身が判断できるものではなく、
「社会」や「両親」が判断すべきもの、
と考えるからだ。
だが、
「向上心を持つ」
という価値観には、
まだ、足を絡め取られたままだ。
社会的な次元における「向上心」
(=金銭、地位、名誉、承認欲求)
に関心はないが、
個人的な次元における「向上心」
(=好奇心)に興味がある。
人生の幸福(のひとつ)とは、
好奇心の先に存在する、と思う。
純粋な好奇心に満ちた毎日は、
とても幸せで、楽しそうだ。