スポーツも恋愛も、応援観戦のみではダメですか?

◼️観てるだけ

スポーツはしない(したくはない)が、
スポーツ観戦は好きだ。

という人に、

スポーツは実際にプレーしないと、
その本質は理解できない。

スポーツ観戦などというものは、
運動神経が欠如した者の邪道な趣味だ。

と、
その行為や楽しみを否定し、
スポーツ参加を強く勧めるだろうか。


同様に、

恋愛はしない(したくはない)が、
恋愛ドラマや漫画は大好きだ。

という人には、
その恋愛観戦的な趣味を嘲笑い
マッチングアプリにでも
登録させるのだろうか。


スポーツ観戦を、
健全な趣味として認めるのであれば、

実際に恋愛はしないが、
他人の恋愛感情に心から共感し、
涙を流すほど感動する人
がいて、
その行為を生き甲斐としていたとしても、
特に何の問題も、違和感もないはずだ。

◼️煽っているだけ

とか、何とか言って、
恋愛したいけど出来ないから、
そう言っているだけでしょ?
非モテ・コミュ障の遠吠えだよね??

という意見は、

スポーツ観戦が趣味の人や、
夢を実現できず、
夢見たものに携わる職業を選択した、
全ての人に当てはまる。

恋愛観戦の趣味だけに
集中砲火するのは悪趣味だ。

ピアニストを目指したピアノ講師や、
小説家を志望した編集者など、
夢と現実に健全な折り合いをつけ、
前を向く人達を
揶揄する姿勢は下劣だ。

◼️特定の者だけ

スポーツをする(したい)人や、
恋愛をする(したい)人は、
相応の能力を持っている。

人並み(以上)の
運動神経や、コミュニケーション能力だ。

しかし、
スポーツで生計を立てられるほど
運動神経や、
恋愛(結婚)に最適なコミュ力を、
全ての人が持っているとは限らない。
(持ってなければならない、わけでもない)

仮に、持っていたとしても、
スポーツで生計を立てたい。
恋愛(結婚)したい。

と、全ての人が望むとは限らない。

つまり、
スポーツも恋愛(結婚)も
したい人だけがすべきで、
そうではない人に
執拗に勧めるものではない。

スポーツではなく、
一般的な運動で健康が維持できるように、
恋愛(結婚)以外の人間関係を築き、
豊かで幸せな人生を送ることは十分可能だ。

人間関係の最高峰を、
恋愛結婚(血縁による家族形成)のみ
に限定する発想は、あまりにも貧し過ぎる。

◼️私だけ?

(個人的な話で恐縮なのだが)

恋人が傍にいた私の人生は、
とても幸せだった。

が、

恋人との関係が終わった途端、
私の日常からは色彩が消え、
世界の全てものから価値が消失した、

のは、ほんの一瞬だった。
(一瞬は、本当に落ち込んだ)


恋人と別れ、
独りで過ごす私の人生が
どうなったかと言うと、

髭を生やし、
赤い帽子をかぶった配管工が
☆を得た(ような精神)状態になった。

楽しくて楽しくて、仕方がなかった。

週末の天気予報が良ければ、
金曜の夜に長距離バスとホテルを予約し、
翌日から一泊旅行に出掛けた。

事前の予定を立てていても、
気分が乗らなかったり、
他に心が惹かれるもの(予感)があれば、
躊躇なく予定を変更した。

どこへ行くにも、何をするにも、
恋人に相談(報告)しなくていい。

何より、
ちょっとした失敗や、
誤算の結果に対して、
申し訳ない気持ちにならなくていい。

説明、言い訳、謝罪がフリーな毎日が、
ただただ、最高に楽しかった。

◼️今現在だけ

結婚を、人生の必修科目とする方々は、
結婚制度を堅持し、出生率を高め、
現状基盤の安定を図りたいのであろう。

もし、そうであれば、
「恋愛や結婚はいいや」と考える者を、
わざわざ取り込もうとする必要はない。

後世に生き残る大半は、
「子供が欲しい」と嗜好した遺伝子だ。

現在の日本において(大多数は)、
「子供が欲しい」=「結婚したい」なので、
「恋愛や結婚はいいや」と考える者は、
一代限りであり、時間の経過と共に、
その数は減少する(はずだ)。


有限で貴重な金と時間を割き、
あれがダメなら、これはどうだ?
と、あれこれ知恵を絞り、
全ての人に(恋愛を経た)結婚を勧める
その必要性は全くない。

社会が、
健全で、豊かで、
正常であれば、

「恋愛や結婚はいいや」
と考える者を含む、全ての人が、
多様性に富んだ今現在を造り、
「子供が欲しい」
嗜好した遺伝子が、未来を創る。

…はず、だからだ。

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