限りなく、社会に不適合な者

人生は、騙しだまし

世間一般から「?!」と思われないよう
(^-^)  という表情で、

世の中の定番には
「だよね!」と返しながら
生きてきた。

しかし、

みんなと同じことをやってるだけなのに、
(若い時は)何故かイライラした。
(年を取ると)精神的にやたら疲れる

認めよう。

私はこの社会に適合できない。
というか、
適合しよう、とする気が起きない。

おそらく、社会不適合者に適合

とは言え、果たして自分が社不と名乗って良いのか、悩むところではある。社会不適合者
の定義
がバリエーションに富むからだ(多様性の波は、社会不適合者をも飲み込む)。

WHO的な機関が定める、正式な定義は(まだ)ないようなので、私自身が社不っぽいな、とする特徴を書き出してみる。

●朝起きるのがツラい
眠りから覚める瞬間がひたすら苦痛だ。
夜型で、日光を浴びると死にたくなる
ちなみに、ゴキブリが活発になる時間帯は、日没後と日の出前。私と被る…。私の前世は、ゴキブリかもしれない。

●計画を立てるのが苦手
というか、極力、計画は立てたくない。
私はセレンディピティに重きを置く!
と、高らかに宣言してはみたが、本音の半分は「未来のことを考えると、なぜか絶望的な気持ちになる」からだ。人生を計画的に考えていたら、多分、私は今この世にいない。

セレンディピティとは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。

wikipedia より

●検索能力が致命的にない
スマホやAIという文明の利器の下でも、調べることが苦手だ(社不の定義を把握していない段階で、お分かりいただけるだろう)。情報量が多すぎても詰むし、少なかったら更に(短時間で)詰む。

●最低限のことさえ面倒くさい
私にとって、食事は楽しみではない。トイレと同様で、生理現象だから仕方なく済ます程度の行為だ。
入浴は、ただ人としての尊厳を守るために。休日は洗顔をスキップ、乳液で拭いて完了だ(しずかちゃんを尊敬する反面、入浴せずとも気高く美しいネコが羨ましくて仕方がない)。

●向上心が微塵もない
おそらく、私が社不になれた一番の要因だ。「向上心が欲しい」と思える意思が欲しいまったく欲しくもない「向上心」を、心の底から本気で求めている。自分でも訳が分からない。「向上心あれ」と煽るこの世の中で、それを持たずに(持てずに)生きることは容易ではない。


「普通」になりたかった

世間一般に紛れ、「普通」に生きることが
何よりの願いだった。それが叶わないと知ると、普通へ「擬態」してやり過ごしてきた。

どうやら、それも限界だ。

限りなく、社会に不適合な者は、
どうすれば(何に擬態すれば)
この社会で生きていけるだろう。


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