男か女か、それ以外か、そのすべてか
性別を越えるもの
───ありがとうございました。
お釣りに添えられた手に魅入ってしまう。
綺麗にスクエアカットされた爪は、漆黒に近い紫だ。お釣りを受け取り、顔を上げると、淡い紫色の髪(サラサラ)が目に入った。
ドラックストアで、レジ対応してくれた若い男性は、〈紫の人〉だった。
(彼の氏は速水、もしくは名が真澄、なのかどうか、私には知る由もない。)
私個人は、マッチョな人も魅力的だと感じるし、細身で繊細なラインも好みだ。そこに男女の区別は存在しない。そもそも私は、中性的な魅力にこそ、大いに惹かれる。
美は、あらゆる属性、無限の形態を持つ。
(少なくとも私にとっては)
性別を問うもの
「男らしさ、女らしさ」という表現は時代錯誤だ。「男らしさ、女らしさ」とは一体何なのか、と考えてみれば分かる。それらは過去の(とても限定的な)価値観を前提にしなければ、成り立たない表現だからだ。
一家の大黒柱、育児、筋肉、化粧、決断力、包容力、これらの言葉は、今や「男らしさ、女らしさ」とは結び付けようがない。むしろ、結び付けようとする思考は、「偏見」や「差別」として認識される。
「男らしさ、女らしさ」を頑なに求める態度は、新しい価値観の拒絶というよりは、(自分に都合の良い)過去の価値観への拘泥だ。
化粧を「両性的で、個人の自由な行為」と定義した場合に起こる、化粧をしない女性と、化粧をする男性への否定的な見解は、まさにそれである。一見、正当な意見を述べているように見せかけて語るその内容は、超個人的偏見かつ前時代的なヒステリーだ。
化粧をしない女性が「女性らしさ」を、
化粧をする男性が「男性らしさ」を、
貶めているわけではない。
過去の価値観にすがる者が
化粧をしない女性に「女性らしさ」を、
化粧をする男性に「男性らしさ」を、
貶められたと錯覚し、
被害妄想に陥っているだけだ。
性別を名乗るもの
「母性」や「父性」といった、名称に性別を含む言葉がある。少なくとも、この一対の言葉は、今の時代にそぐわないだけでなく、現実的な事実を不適切にねじ曲げている。
母性:保護本能
父性:自立を促すもの
という意味で認識、使用され、
それぞれの性ごとに役割を求められる。
(もしくは、役割を免除される。)
女性(母)にも父性は存在し
男性(父)にも母性は存在する
にも関わらず、だ。
性別を冠したこの言葉は、今や言葉と意味の解離(による好ましくない結果)を生んでいる。
日本遺伝学会は、優性と劣性 ⇒ 顕性と潜性
へと名称を変更した。「遺伝子に優劣があるとの偏見や不安を払拭する」ためだ。
母性と父性にも同様の対応が必要だ。「子育てに必要とされる能力は、性別ごとに異なり、それに依存する」という偏見や不安を払拭するために。
(個人的には、「保護本能」と「自立促進本能」くらいでいいのでは?と思う。)
性別を分けるもの
女性性とは? 男性性とは?
つまり、「女らしさ、男らしさ」とは?
という問いの答えに窮してしまう。
女性性への答えを「妊娠・出産する」性とすると、生物学的に妊娠・出産できない女性が女性性から排除される(そして、それは私が求める答えではない)。
男性性への答えを「筋力と判断力に優れ、秩序ある集団を創造する」性とは、(気が狂わない限り)思えない。
敢えて言うならば、己の美学や面子ために、自滅することさえ厭わない性だろうか…。
どれも私の偏見で、誤った答えだ。
(特に、男性性に関しては…、きっと。)
性別をたずねるもの
「あなたはどんな人間ですか?」
という問いに、簡単に答えられないように、
「あなたの性は?」
という問いの答えにも悩む時代だ。
生物学的には○○で、
性自認は○○で、
恋愛対象は○○で…、
「男か女で答えてよ」
そう思った貴方は多数派だ。
回答を二者択一で迫るのは強者だ。
性別を求めるもの
質問にYesかNoでは決して答えない日本人が、曖昧さと忖度を愛して止まない国民が、
なぜか性別を二者択一で求める。
男性か、女性か、
「他人がそれを問う必要があるのか、
あるとすれば、その意味は?」
多数派の強者は、どう答えるのだろう。