無礼講プレイ中に、お世辞プレイを嗜む
◼️無礼講は地雷
「無礼講」を口にする者は、おそらく、
権力というものを理解していない。
まず、無礼講を発動することにより、
無礼講をONにするという権力を
行使・アピールしている。
(もうその時点で、無礼講ではない)
立場が下の者は、「今夜は無礼講!」
などとは決して言えないのだ。
また、無礼講のルールとは、
礼儀作法を無効化するのではなく、
礼儀作法を有効化したままに、
ただそれを不可視化するだけである。
無礼講だったとはいえ、
あの時、あいつはこうだった!
などと、
無礼講言い出しっぺが口にしない
という保証は、ない。
というか、
そんなことを口にしない奴は、
そもそも「無礼講!」とは言い出さない。
◼️無礼講プレイは、イタイ
礼儀作法の悪質な隠蔽という
無礼講のリスクを本能的に理解する者は、
決して無礼講にはならない。
無礼講の体を装いながらも、
フランクに権力者を持ち上げる。
だが、権力者にとっては、
そのフランクさが堪らない。
権力者のみに適用される
「上下関係のない対等な関係性」
というイリュージョン設定が、
お世辞や気遣いの
価値と純度を爆発的に高める。
他人から感じる好意(優しさ)が、
平常時と風邪をひいた時で圧倒的に異なる
ようなものである。
無礼講を求めることとは、
立場が弱い者を強制的に巻き込み、
「我をチート級に持ち上げよ!」
とあからさまに要求する行為である。
(少なくとも私はそう思っている)
無礼講発動者は気付いていないようだが、
無礼講プレイはかなり見苦しい。
◼️お世辞プレイを嗜む
無礼講プレイフィールド内にいた場合、
脱出はほぼ不可能で、拒否権はない。
そんな時は素直に諦めて、
ひたすらお世辞を言いまくる
お世辞プレイで対抗しよう。
お世辞という範囲内であれば、
言動を咎められる心配は、まずない。
また、嘘をつくのは気が引けるが、
お世辞は本心である必要がない。
堂々とテンプレのお世辞を口にしよう。
お世辞という体を装うことで、
誰に後ろ指を指されることなく、
気兼ね(罪悪感)なく嘘をつける。
無礼講プレイをお世辞プレイで返せば、
お互い(の立場)が傷付かずに済む。
Win-Winだ。
客観性や理性、節度がない者は、
一体どこまで自惚れられるものなのか、
この際、検証してみるのも一興。
過度で不自然なお世辞プレイに気付き、
交じりっ気なし純度100%のお世辞だと
理解してもらえたなら、結果オーライだ。
「お世辞を言う体で小馬鹿にしている」
というこちらの真意がスマートに伝わり、
無礼講プレイ終了の確率が上がる。
分かる…。
ツラいのも、うんざりするのも、
やるせない気持ちになるのも、
よく分かる。
誰もスキ好んでやっているわけではない。
みんな、同じ気持ちだ。
だから、仕方なく、嗜む程度で十分だ。
お世辞プレイをしてみよう。