正解は「越後製菓!」ではなく「ない」?(カワイイに正解はあるか)
「カワイイに正解なんてない」?
いや、知っているし…。
「美」の基準は千差万別で、
「カワイイ」とは結局、
個人の「好み」に依る。
むしろ、
美容に通じる業界から、
「カワイイに正解なんてない」
と今さら声高らかに言われても、
「私は決してあやしい者ではありません」
と連呼する人と対面したときのような
違和感しか残らない。
「カワイイに正解なんてない」
その心は?
統一基準を造り上げ、
それに沿った消費者の言動を
効率的に企業利益に変える
それを目的とする広告で、
「カワイイに正解なんてない」とは、
「我々は一体何を期待されているのだ?」
と純粋に疑問が沸く。
「カワイイに正解なんてない」
なら、カワイくなくてもよくね?
自分の見た目を(そこそこ)好きになる
=自己肯定感を高める
それを最終目標と定めるのであれぱ、
「カワイイ」に拘るのは何故なのか。
おそらく、
「カワイイ」以外の魅力を差し置いて、
「カワイイ」に唯一無二の絶対的価値を
置いて譲れないからだ。
「カワイイに正解なんてない」
というルッキズムで完全包囲!
どんな類いの「美」であろうとも、
「美」が自己肯定感の一要素である限り、
ルッキズムからは逃れられない。
「カワイイに正解なんてない」とは、
ルッキズムの中の、
「カワイイ」部門の範囲内で、
「もっと自由な感性を持とう!」
と謳っているに過ぎないのだ。
「カワイイに正解なんてない」?
いや、あるだろ??
この言葉を口にする企業がリリースした、
全ての商品を通じて目指した理想(※)
それこそが「正解」だ。
少なくとも「正解の範囲」だと
名指しした要素だ。
「カワイイに正解なんてない」
「美」に関わる者がそう喧伝する時点で、
その言葉やそれに付随する思考が、
限りなく薄っぺらくなる。
謙虚も度が過ぎると嫌みに聞こえ、
その上から目線で「美」を語る姿勢に、
イラっとするのだ。
「カワイイに正解なんてない」
それに対する私の感想は、
いやいやいや、
今まで散々「美」を煽ってきた
お前らが言うな!
その一言に尽きるのだ。