マスクしたい時~(イーロンでない方の)マスクのポテンシャル~

◼️マスク、現る。

彼の台頭により、
我々の世界は大きく変わった。

第一印象やコミュニケーション、
時の為政者に多大な影響を与え、
社会の分断さえも、もたした。

彼と、彼の存在の余波は、
今後の日本社会を
どのように変えるのだろう。


◼️彼を求める時

まず、いつもここから(※)を知らない世代への配慮欠如に対し(私が何の遺憾も持てないことに)心からお詫び申し上げる。

※ワタナベエンターテインメントに所属する山田一成と菊地秀規からなる日本のお笑いコンビ。略称は「いつここ」。

wikipediaより

マスクしたい時~!
マスクしたい時~!(復唱は以下略)
嫌いな奴と対面で話す時~。

マスクしたい時~!
(主に接客業で)働いている時~。

マスクしたい時~!
微妙な距離感の友達と会う時~。

マスクしたい時~!
誰の目にも、留まりたくない時~。


マスクをしたい時とは、

本音と建前を
使い分けなければならない時であり、

相手との絶対的な距離感を
確保したい時であり、

素直な感情に起因する、
無用なトラブルを避けたい時であり、

匿名性を保ちたい時である。

つまり、
マスク着用とは、
心理的安全性を
自ら高めようと試みる行為

に他ならない。


◼️彼を否定する者

随分前の話になるが、

マスク着用により、
児童・生徒の心情を把握しにくくなった、
という学校教師の懸念を新聞記事で読んだ。

そして、
少年の心を失わない私は、
反射的に思った。

いや、児童・生徒側からすれば、
教師に感情を隠蔽できる安心感、
半端ないわ…
、と。

上長の目が届かない空間で、
自由と解放感を覚える感覚に、
年齢制限はない。

マスク着用による
思考や感情発露の(部分的)隠蔽は、
その空間を擬似的に再現すると同時に、
弱者側の身の安全にも寄与する。

「何だ、その態度は!」
と些細な言動に因縁を付けられる
可能性を確実に減らせるのだ。

相互理解がもたらすメリットは、
主に強者側に偏る。

相互理解の結果として伝わった
弱みにつけ込まれた場合、
それは弱者側にとって、
(強者側以上の)致命傷となるからだ。

強者による弱者理解(相互理解)は、
人心掌握、管理(支配)に容易に直結する。

弱者側にとっては、
自己開示(相互理解)以上に、
自己隠蔽の方がメリットとなるのだ。


◼️彼を過大評価する者

マスク着用により、
児童・生徒の変化に気づきにくくなる、
という学校教師の懸念に、
ある一定の理解は示せる。

しかし、
顔下半分(口元)の情報を失っただけで、
相手への理解度が著しく低下する、
という見解には疑問が残る。

まず、感情が最も露骨に出る
目元
は見えている。

笑顔を作る際、最も偽装が容易なのは、
口角を上げるだけで事足りる口元であり、
最も難しいのは、目元である。

わざと目尻を下げてみても、
自然な笑顔には程遠いのだ。

口でも、鼻でも、笑うことはできるが、
目で笑うことは、感情が伴わない限り
非常に難しいのである。

加えて、

相手の思考や感情は、
表情以外にも著しく現れる。

声の大きさ、トーン、
身体の動かし方、etc

それらの情報から、
落ち込んでいるのか、
怒っているのか(機嫌が悪いのか)、
好意(悪意)を示しているのか、
判断することは十分可能だろう。

というか、

私はマスク越しでも、
相手の思考や感情を
何となくだが判断はできる。
それは、マスク未着用時と大差ない

体系的な学問として、
未成年の成長過程や精神変遷を学ぶ
育成のプロである学校教師は、
そうではないのだろうか。


◼️彼を深く愛する者

「どうしてもマスクを外したくない」
という学生を問題視する記事も読んだ。

こちらも教師の懸念同様、
何をそんなに大きな問題として捉えるのか、
私には全く理解できない。

マスクをして、
普通に生活できるのであれば、
何の問題もないだろう、
と思うのだ。

思春期特有の
前髪をやたら気にする症状と、
同じような問題であり、

ノーメイクで人前に出るのは絶対ムリ!
と譲らない人と一緒である。

それとも、
ノーメイクで外出できない人も、
何か精神的な問題がある、と
世の中は見なしているのだろうか。

そういえば、
ノーメイクで仕事をする女性を
問題視した時期もあったような…。


◼️彼の限界

マスクを好んで着用する者は、
他者の目から思考や感情の隠蔽を図り、
心理的安全性を高めようとする。

だが、

マスクで隠せるものは、ごく限られており、
現実にはマスクごしでも
思考や感情は十分伝わっている。

つまり、
マスク着用者が感じている
心理的なものとは、
着用者のみが一方的に得る
自己満足的なもの
に過ぎない。

そもそも、

心理的安全性とは、
複数の合意に基づく
意識的な働きかけによって
初めて実現可能となるものだ。

よって、
マスクの影響力とは、
世間が懸念するほど大きく、
そして、否定的なものではない

と私は考える。

イーロン・マスクの影響力ならともかく、
それは、ただのマスクに過ぎないのだ。

ノンバーバルコミュニケーションを
主な意思伝達手段とする
乳幼児期におけるマスクの影響力
を懸念する声も聞く。

マスク着用が日常となった世代と、
そうでなかった従来の世代との差異は、
これから徐々に明らかになるものであり、
現段階で一概には言えない。

だが、宗教上の理由により、
マスク着用以上に露出を控える地域でも、
人や経済が発展していることを踏まえると、
マスク=「社会的な瑕疵をもたらすもの」
として扱う意識に、大きな違和感を感じる。


◼️彼のポテンシャル

だが、その事実を理解しても尚、
私は彼を愛し、着用する者である。

彼がもたらすのが
例え、似非心理的安全性だとしても、
その存在感(効果)は、
決して揺るがないからだ。

生理的にも、物理的にも、
人間的にも受け付けない講師による、
退屈で苦痛で、耐え難い講義を、
最前列のど真ん中の席で受けるか、
後方の席で受けるか、

その位の違いはある。


死刑執行の際、
処刑される人にする〈目隠し〉とは、

その執行により負う
死刑執行人の心理的負担を
軽減するもの(配慮)である。

〈目隠し〉は、
処刑される人と死刑執行人の間の
物理的な距離に匹敵する、
精神的な距離を確保する効果がある。

おそらく、
その〈目隠し〉と
同等のポテンシャルが
マスクにはあるのだ。


◼️彼の(現在の)立ち位置

食事や入浴、運動時などを除く、
常識の範囲内でマスクを着用する人に、
「マスクは不適切だ!」と
やたら声高に叫ぶ人は、

スカートを履きたくない人に
スカートを、

フリルに全く興味のない人に
超フリッフリの服を、

身体のラインを出したくない人に、
無駄にタイトな服を、

肌を露出したくない人に、
異様に面積少なめの水着を、

異常なテンションで勧める人と
同レベルである。

少なくとも私は、そう感じる。


「顔パンツ」と
評される時期もあったが、

今や彼は、
個人の自由な感覚による選択が可能で、
一部の熱狂的なファンを持つ
ファッションアイテム程度のもの
ではないか。

そして、

マスク一枚で危うくなる関係性
露見する問題とは、
マスク以外のものに起因しており、
マスク着用の有無で
その問題解決を図ろうとする行為は、
根本的に間違っている。

そう思うのは、私だけだろうか。



そもそも皆さん、
そんなに彼(マスク)のことが、
気になります?


あ、

アベの方のマスク(一世帯2枚)、
どこに置いただろう??

(まだ、どこかにあるハズ…)

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