普通(以下)の人は、働きながら本は読めない。

働いていると
余裕(時間)がないので、
本は読めなくなる。

歴史や社会背景を
どんなに丁寧に紐解いたとしても、
結局はこの一言に尽きる。


だから、
「半身で働く」ことが可能な社会が理想。

あなたが半身で働こうとすれば、
現代に半身社会は広がっていく。

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』
の著者/三宅香帆氏は
本書の中でそう述べる。


◼️「半身で働こう」?

「半身で働く」ことができるのは、

都内出身で、
親はオリンピック事業にも関わった
広告代理店に勤め、

「実家」という強力な
セイフティーネットを背景に、

残業の少ない職場で
自分の趣味を楽しめる

『花束みたいな恋をした』の〈絹〉
のようなポジションにいる者に限られる。


その気になれば
労働時間を自ら制御可能な〈絹〉視点で、
「労働と読書の両立」を語る作者の言葉は、
私にはどこか白々しく響く。

それは、
エールと見せかけた女性への「呪い」

就職して、結婚して、子供を産んで、
育児しながらキャリアを積んで、
自分らしく輝こう!

を私に想起させるのだ。


◼️「半身で働ける」?

「働いていると本が読めない」者の大半は、

地方の花火職人の息子で
仕送りが止められた過去があり、

営業マンとして夜遅くまで働く

『花束みたいな恋をした』の〈麦〉
のようなポジションにいる。


そのような者は、
例えその気になれたとしても
生活(生存)に支障が出るので、
易々と労働時間は削れない。

にも関わらず、

全身全霊で働くと身体も壊すし、
本を読む文化的な生活も送れない。
だから「半身」で働こうよ。

精神論で締めるこの本に、
頭の芯がスッと冷え、
肺や胃に異物が溜まるような
違和感を感じたのは私だけだろうか…。

ネットのレビューをざっと読んだところ、
そんな違和感を感じているのは
私だけのようだ…。


◼️「半身で働ける」社会へ

あなたが全身の姿勢を称賛しないことが、
社会の風潮を変える。

わけではない。

「半身で働ける」社会へと
風潮を変えるには、

まず、

「半身で働いて」も、
一般の人が普通に思い描く程度の経済環境で
生活や子育てができ、

老後の生活水準維持が可能となる社会
必要となる。

人間の意識や価値観が変化しても、
社会(経済、政治、制度)が
「半身労働」仕様にならなければ、

全身全霊で働く者と、
「半身で働く」者との
格差が広がるだけで終わる。

格差(現実)を考慮せず語れる著者は、
〈絹〉同様、社会的強者なのだろう。


◼️問題は意識?

「半身で働ける」労働環境の実現には、
意識の変化が先だろうか、
社会の変化が先だろうか。

私は間違いなく後者だと考える。

社会を変えることが可能となる程の
意識の変化とは、
社会(経済、制度)の変化によって
もたらさせる。

その逆の、
意識が社会の変化を促した場合、
問題は往々にして拗れに拗れ、分断を生み、
解決の見通しが無限に不透明となる。
(例:多様性の問題)


◼️働きながら本を読むコツ?

特別なスキルや資本を持たない
普通の人の多くは、
労働を半分にすれば、
収入は半分以下になる


その事実を踏まえると、
作者は表向きに

労働(や貧困)になど
決して削り取られることのない
純粋な興味関心を、

と高い精神性を求めつつも、

その理想を実現する手段として、
半身の労働でも成果に結び付く
コスパやスキルの有用性
暗に(無意識に)再確認してはいまいか。

つまり、
ある程度の生活を維持しながら
働きながら本を読むコツとは、

それなりに遊びながらも
成績を下げずに学生時代を楽しめた人
や、
マルチタスクを難なくこなすことが可能な
現代社会に適応できる人
にしか
使えない【手】である、

と私には思えてならない。



だから、
フルタイム労働を通じて社会に参加すると、
生存目的以外の気力、体力、意欲の維持が
非常に困難だった私は、

「普通」に対して
憧れることをやめられない、
故に「普通」以下の私は、

働きながら本など
読めないのである。



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