自信を持って「自信がない」と言える!

本当に自慢ではないのだが、
私は本当に「自信がない」。

「本当はみんな、自信なんてない!」
という合いの手ならマジ不要だ。


「自信」とは
不断の努力によって
自ら獲得するもの。

だから、
「自信がない」など口にする前に、
行動しろ、努力しろ。

という正論を、
優しく柔らかく表現すれば、

できることからやってみて、
小さな成功体験を積み重ねよう。

なのだろう。


◼️「成功体験」の前に

上記の理屈は、
誰もが理解し納得できる。

では何故、それ以降、
「自信がない問題」を解決できず
拗らせる一方なのか。

失敗しても大丈夫。
ゆっくりでいいよ。
繰り返しやっていくうちに
自然とできるようになるから。

そう言ってくれる人や環境に
恵まれなかったから、

ではないだろうか。


こんなことも
できないようじゃwww

そう言われ、
不安と焦燥感を
羞恥心へと強制変換させられる
環境にいるから

ではないだろうか。

羞恥心や屈辱という負の感情
正統なモチベーションに変換できる人とは、
かなり特殊な感性の持ち主だ。

また、その特殊な感性を他人に求めるのは
非常に有害なので、本当にやめてほしい。



◼️効果的な不意打ち

体調を崩しかけているとき、
疲れ果てているとき、
寝起きで思考が無防備なとき、
私はよくネガティブな過去に襲われる。

私のネガティブな過去とは、
自身の人間性がないがしろにされた
記憶であり、私自身に非はない。

にも関わらず、
ネガティブな過去は、

悪いのは、すべて、
うまく立ち振る舞えなかった
能力不足のお前にある。

と私に語りかけてくる。


◼️ネガティブ無双

ネガティブな過去に
グルーミングされると、
言語的思考客観性を失う。

そのときの感情を
正直に感覚的な言葉に置き換えれば、
「それは仕方ない。貴方にも問題が…」と
周囲から非難される可能性が高まり、

自分の中の客観性を総動員すると、
「それは私の能力不足なのでは?」と
現状への容認思考が働き始める。

どちらにしても、
自己否定のチャンネルに繋がるのだ。

だから、
本当にどうしようもない苦境に陥ったとき、
心境を打ち明ける相手を
慎重に選ばざるを得ない当事者の気持ちが
私には痛いほどよく分かる。

足場が非常に不安定な
絶望の崖っぷちにいる時、
下手な刺激は命取りに成り兼ねない。

そして、
そのことをまったく理解できない人の
優しさや正しさを装った適当な言動に
(殺人に匹敵する)恐怖と怒りを感じる。


◼️ポジティブ思考の条件

これらのネガティブ思考発動経緯は、
「自信に満ち溢れた」方には
到底理解できないのだろう。

どんなに自分の正当性を自負しようが、
「それは間違っている!」
「それは明らかに不当だ!」
丸腰で表明することは非常に困難だ。

攻撃力や数で劣る敵対集団、
圧倒的な権力を持つ個人に、
正論を説く状況を想定してみればよい。

自らの言動により、
決定的な窮地に追い込まれることはない、

という保証=
物理的かつ精神的安全性を確信できる
確固たる環境と根拠
がなければ、
異議申し立てや反論など
現実的にはほぼ不可能なのだ。


◼️自信を「攻撃力」とする者

以上のことを踏まえると、

「自信を持つ」ということは、
意志や成功体験以前に
「境遇」の問題である、と私は考える。

その私見に呼応する
自信とは不断の努力で獲得すべし
自信獲得の境遇整備など「ただの甘え」

という自立精神に溢れた意見を
私はどうしても肯定的に捉えられない。

その「自信を持て」という声に、
励まし以外の恐喝的なニュアンス
豊かな人間関係や
恵まれた環境に対する「歪んだ羨望」を、
感じずにはいられないからだ。


◼️自信を「包容力」へ

歯を食い縛り、努力を重ね、
苦難を乗り越えた方々の経験を
軽んじるつもりは微塵もない。

だが、
今、貴方が持つその自信とは、
成功体験を通じて誰か(何か)から
(間接的に)与えられたものである
ことも事実だ。

何を言っても、何をしても、
どんな結果を伴っても、ダメ出しをして、
特定の誰かや何かを「絶対に認めない」
感情的で非論理的な言動を、
人は合理的に主張することも可能なのだ。


この自信は、
純粋に自分の努力のみで
獲得したものだ。

という自信が
少しでも揺らぐのであれば、


こんなことも
できないようじゃwww

と嘲笑うのではなく、


失敗した?どこで??
あぁ、そうしたらそうなるから、
次からはこうして。

ゆる~く、
そう言っていただけないだろうか。

失敗の原因を解明・指摘し、
対応策(と合わせてその根拠)を
示してもらえれば、この上ない。


そうすれば、いつの間にか
相手に微量の自信が発生し、

貴方の苛立ちや煩わしさや手間が
徐々に緩和されるはずである。


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