安楽死を押し留めるもの【出生主義者が掲げる正義】
私は、安楽死の制度化を求める者である。
しかし、
安楽死の制度化は大変難しい、と考える。
(ちなみに、私は、「大変難しい」という表現を「不可能」と同義で使う者でもある)
その理由は単純である。
強者(多数派)が
安楽死を望まないから、だ。
ここでいう強者(多数派)とは、
政治家(支配者層)と
出生主義者である。
◼️安楽死を阻む者①【政治家】
政治家が安楽死を望まない理由は、
納税者の絶対数が下がるから
(出生数を求める理由も同)
ただ一言、それに尽きる。
政治家は、
納税者のQOLや知能の高低に(実は)
全く興味がない(と私は思っている)。
政治家が
我々納税者に望むことは、ただひとつ。
何の疑問も持たず、
黙っておとなしく納税すること、だ。
納税者のQOLを維持することは、
反乱を抑制する手段であり、
納税者にある程度の知能を求めるのは、
納税額を増やす手段として、だ。
納税者が優秀すぎると、
脱税や、政権転覆の危機に繋がるため、
政治家は、我々に聡明さを求めはしない。
永遠に、絶対的に、無抵抗に、
納税を約束できる者であれば、
国籍、人種、宗教、民族、その他、
政治家(支配者層)が、
我々に問うものは、何もない。
生きているだけで、
金を生み出す(納税する)存在を、
政治家は、どんな手を使っても、
生かし続けたいのだ。
しかし、
納税者>納税額となり、
納税コスパが悪くなれば、
政治家が安楽死を
前向きに検討する可能性は十分にある。
その際、
安楽死の制度創設に断固反対するのが、
出生主義者である。
◼️安楽死を阻む者②【出生主義者】
彼らは、生きることが
楽しくて、楽しくて、楽しくて、
楽しくて、楽しくて、楽しくて、
楽しくて、楽しくて、楽しくて、
どうしようもなく楽しくて、
仕方がない集団だ。
もしくは、
生きること=絶対善という信念を持ち、
それを微塵も疑わない集団だ。
安楽死の制度創設は、
その絶対的信念を揺るがすため、
出生主義者は
安楽死に強力な拒絶反応を示す。
◼️安楽死を拒むもの①【強者思想】
出生主義者は、政治家ほどではないが、
強者(多数派)であるため、
他の集団(少数派)への
想像力(共感力、理解力)が異様に乏しい。
多数派も少数派も、集団という意味では、
同じ位、排他的で盲目的ではあるものの、
少数派が、
多数派の思考や視線や態度を
意識せずには生きられないのに対し、
多数派は、
少数派(の存在自体)をガン無視して、
(伸び伸びと)生きることが可能だ。
その点において、
多数派である出生主義者は、
相反する価値観への対応力が弱く、
「結論は既に出した」という体で、
正々堂々、思考停止(放棄)しがちである。
この強者(多数派)に由来する
独断的な価値観が、頑な姿勢が、
安楽死に関する健全な議論を妨げる。
◼️安楽死を拒むもの②【正義】
私は、正義を疑う者である。
正義とは、強者が主張する概念であり、
ただの概念(のひとつ)である以上、
無条件に正統性(正当性)が
付随するものではない、
と考えるからだ。
また、正義は、
「金になること」と
「心地良さを与えるもの」との
相性が抜群である。
破壊と創造、需要と供給、金が移動し、
勝者が莫大な利権を手にする戦争は、
各陣営が主張する正義と、常に一心同体だ。
「社会が求めるもの」と、
「自らが求めるもの(したいこと)」が
部分的にでも一致した場合、人は、
快感と共に、良いこと(正義)を行った、
と感じる傾向が強い。
非難され、不快感を伴う
「正しい行為」も存在するが、
世間は果たしてそれを
正義と認定するだろうか。
つまり、
人口と共に納税額が減少し、
出生主義者の不快感を煽る、
(金も快ももたらさない)安楽死が、
正義と見なされることは、絶対にないのだ。
よって、
「安楽死は絶対に制度化されない」
と私は考える。