あ、お気遣いなく。ゴハンは一人で食べても十分美味しいです。

皆さん、

素直ですか~?


素直であれば、
何でも(納得)できる?


素直であろうと(長年)努めたものの、
どうしても納得できないことがあり、
したためた次第である。


◼️みんなで食べると美味しい。

⇒いや(完全に)、食事の相手による。

どうでもいい奴と食べる三ツ星ホテルの高級フレンチより、気の合う友人と食べるファストフードの方が断然うまい。相手によっては、自宅の愛犬と一緒にドッグフードを食べていた方がいい!とさえ本気で思う。



◼️結婚=幸せ2倍/悲しみ半分。

⇒いや、結婚相手との相性による。

いくら好意を持つ者同士であろうとも、感性の違いはある。幸せは1.25倍~くらいで見積っていた方が、「価値観の違い」をうまく乗り越えられそうな気がする。

また、自分の負担は、相手の負担にもなり得ると想定すると、悲しみ自体が減るとは到底思えない。むしろ、想定外(期待外れ)の反応をされ、悲しみこそ2倍(以上)になる可能性を排除できない。


◼️人の役に立ちたい。

⇒いや、自分の好きなことをしたい。

厳密には、「自分がしたいこと」を通じて、人の役に立ちたい、というのが(私を含め)一般的な本音だろう。

コロナ渦の我々は、エッセンシャルワーカーに感謝こそすれ、それらの求人に応募などしなかった。

また、次世代の未来を本気で憂慮する高齢者から、年金額を削ってでも少子化対策を!などという声を(私は一度も)聞いたことがない。

どんなに人の役に立とうが、どんなに世の中から求められようが、我々は「自分がしたくないことは、決してしない」のだ。



◼️自己肯定【増幅装置】の発動


「異論は無い」前提で話が進む
上記三つの言説は、

自分の願望や体裁を
都合よく補強・増強している。

(と私には映る)


誰かの賛同や理解や祝福は、
あるに越したことはない。

だが、

他人を巻き込まないと
成立しない幸せ

しか持ち得ない方は危うい。

無自覚に、自由意思を放棄し、
他人に依存した人間は、
本当の幸せ(感情)を見失うからだ。


というのは建前で、


上記三つの言説に
異論がある」者(私)には、
一方的な共感を強いられる上、

丁寧に辞退や訂正を試みると、
「え?」「またまたぁ」と返され
更にこじれる

非常に迷惑な話なのだ。


素直にそう感じるようになった、
今日この頃である。




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