悩みを相談するには「コミュ障を治す」必要がある世界で、相談なんてムリ!

「悩みがあったら相談して」

ネガティブワードで検索をかけただけで、
スマホ画面からも気遣われる時代になった。

〈深刻な悩み〉こそ特に、と。

だが、私は〈深刻な悩み〉こそ相談しない。
というか、できない。
というか、したくない。


〈深刻な悩み〉は共感されヅラい

ある〈深刻な悩み〉が、全人類共通の悩みだとしたら、人類の叡知をもってして、何らかの解決策(か、それに準じるもの)が提示されているハズである。

それが存在していない、ということは、その〈深刻な悩み〉は世間一般の大多数の人(=マジョリティ)には無関係(無関心)な悩みである可能性が高い。

自身が無関係で無関心なことに、共感(理解)するのは結構難しい。「共感(理解)する必要なんてある?」という心理的ハードルは、どんな合理的な理由を前にしても決して揺るがない。

だから、相手が無関係で無関心なことから、
共感(理解)を得るのは、ほぼ不可能だ。

はなから共感(理解)を得られないと分かりきっている〈深刻な悩み〉を、わざわざ他人に話そうとは思わない。


〈深刻な悩み〉は言語化が超困難

悩める者は、〈深刻な悩み〉に悩み疲れながら、日常生活を何とか送っている。

hardモードの日常生活をこなしながら、〈深刻な悩み〉を理路整然と、説得力のある、適切な表現に置き換える。そんな労力を割く贅沢な余裕はない。

そもそも、〈深刻な悩み〉は個人的なものであるがゆえに、世間に漂う使い古された言葉の中から、自分にマッチする適切な表現を見出だす(造り出す)ことが困難だ。

自分の置かれている状況と心境を、正確に言語化するには、非常に高い言語コミュニケーション能力が必要となる。そして、それができる人は(深刻な悩みを抱えている人の中では)極めて希な存在であろう。

そして、その希な者のみ、
相談という土俵に相手を招待できる。

相談という土俵に相手を招待し、自分もそこに上がるためには、適切な表現を駆使する=コミュ障の克服が必須となる。

悩める者にとって相談するハードルとは、
己のアイデンティティにも関わってくる。


〈深刻な悩み〉相談は命がけ

〈深刻な悩み〉=命に関わる問題、と言っているのではない。〈深刻な悩み〉を相談する=命に関わる、と言っている。

例えば、お金がない、としよう。

今話題のスイーツを食べるお金ではなく、生命維持に必要なものを買うお金がないのだ。

「私は今、お金がありません」
と自己(悩み)開示するとどうなるか。

健全な仕事を斡旋して経済的な安定に繋がるルートへ導いてくれる人、だけでなく、後がない(選べる選択肢が限られている)ことにつけ込んで、ローンの勧誘や低賃金労働の斡旋など、明らかな搾取を目的とした人も寄ってくる(しかも天使のような顔をして)。

後者は、あらゆる方法を駆使し、命と同じくらい大切なものを合法的に奪っていく。

相談する、される、という関係性は、決して対等でない。〈深刻な悩み〉を相談することとは、致命傷を負うリスクを取る行為でもあるのだ。


〈深刻な悩み〉は相談相手を選ぶ

「何で言ってくれなかったの?」
「一言、言ってもらえれば…」

相手に寄り添う体で、自己を正当化し、
悩める者を(暗に)非難する表現だ。

相談しなかった(できなかった)理由は、相互の関係性に伴う遠慮などではなく、相談することに伴うリスクが解消されなかったことにある。

具体的に言えば、こうなる。

貴方は理解、というか、
共感さえもしてくれそうにないし…。

あ、ゴメン。
今、メンタルがマジヤバくて、
どう話せばいいのか分かんない…。

っていうか、
ちょっと強い言い方とか、
雑な対応されただけで
自我が崩壊しそうなくらい
超崖っぷちな状態にいるから、
誰かに本音を言うなんて無理!

下手な相手に悩みを打ち明けたため、精神的に打ちのめされて、再起不能になる。悩める者は、そんな最悪な可能性にも怯えている。


悩み相談はすべてが強者視点

共感されヅラい悩みを、適切に言語化する能力や手段を確保し、自分の弱みを晒すリスクを冒しつつ、その弱みにつけ込まれず、且つ、悩みを一蹴しない相手を探し出す。

悩みを相談するには、越えなければならないハードルが高く、その行程も決して少なくない。

何やかんや言いながらも、日々のマルチタスクをこなし、社会である程度の結果を出している人間には、難なく実行可能なことなのかもしれない。

だが、生きることと悩むことで精一杯の人間に、これらの行程をこなし、相談まで辿り着くのは、明らかに無理ゲーなのだ。

「悩みがあったら相談して」と言われているのに「なぜ相談しないのか」とは、あんまりだ。「なぜ相談できないのか」という視点が抜け落ちている。

「悩みがあるなら相談すればいいのに」は、「パンがなければケーキを食べればいいのに」と同じ次元の発想だ。

また、言わなければ、主張しなければ、「分からない」。そう言い切ることに何の疑問も感じないのは、強者が〈難なく声を出せる〉特権を所持していることに無自覚だからだ。

「悩みがあったら相談して」という世界は、

どこまでも、何もかもが、
強者視点に満ち溢れている。


私は〈深刻な悩み〉を相談しない

というか、悩みをうまく言語化できないので、共感や理解を得られないだろうし、その結果、孤独感自分のコミュ力の無さに直面して、更に絶望したり傷付きたくないので、相談なんてしたくない、のだ。

悩みや心が、少しでも建設的に楽になる、なんて保証がないなら、特に

多分、私は〈深刻な悩み〉ほど、
誰にも言わない。言いたくないのだ。


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