If I must die…,それでも世界は変わらない。
「目は口ほどにものを言う」
まさにその通りだと思う。
視線以上に感情を物語るものは、ない。
そう思うからこそ私は、マスク着用時でも
コミュニケーションに全く支障を感じない。
◼️共通性のある目
何の報道番組かは忘れてしまったのだが、
その番組のVTRで見た
ユダヤ人男性二人の目を忘れられない。
目を見開き、迷いなき一点を見つめながら、
パレスチナ攻撃の正当性を語るその眼光を、
私は以前どこかで見たことがあった。
己の主張に対する反論(の可能性)、
客観性や妥当性など
全ての検証を一切拒絶するその目は、
ゲッベルスのポートレイト、
「憎しみの目」そのものだ。
◼️「憎しみの目」との違い
そのVTRで語るユダヤ人男性二人には、
ゲッベルスの目に宿る「憎悪」に加え、
現在までユダヤ人が受けてきた
全ての暴力を拠り所とする
「攻撃の正当性」を、
パレスチナに対する「優越性」に
変換したかのような印象を受けた。
ゲッベルスの視線は、
下からねめつけるようなものなのに対し、
ユダヤ人の彼らの視線は、
(顎を上げ)相手を見下している
ように見えたからだ。
◼️連鎖の連鎖
どんな愚行を繰り返す息子であれ、
母性を盾に「肯定」と「助長」しか
選択しない母親のように、
ホロコーストの負い目から、
イスラエルを無条件で擁護する
ドイツのように、
経過時間さえ想像できない未来、
イスラエルはパレスチナの
どんな後ろ楯になるのだろう。
そして、
パレスチナ人は、
どの集団に、
どんな表情を
向けるのだろう。
◼️世界を動かすもの
『If I must die』
誰がどんな死に方をしようが、
世の中のどんなに多くの人の心が動こうが、
たった数名の言動を
変えられないのであれば、
世界は動かない。
世界を動かす
たった数名の心に響くもの、
それは、
(言葉の)美しさでも正義でも、ない。
涙を流すほどの感動でも
血を伴う民意でもなければ、
世界中からの非難でも制裁でもない。
それは、おそらく「利益」だ。
誰かが、特定のたった数名の耳元で、
そっと囁く「甘い言葉」が、
静かに世界を動かすのだ。
だが、
その「甘い言葉」を
誰も思い付けない。
きっと、
それが問題なのである。