資本主義(金)との相性が最悪な、我が人生
noteを始めるかどうか、迷っていた時期に読んだ記事によると、noteでは、ネガティブな話題とお金に関する話題は、あまり好まれないらしい。
だが、私は今、noteにてネガティブな話題を(生き生きと)書いている。
ネガティブな話題も、お金に関する話題も、
好まれないだけで、禁止されてはいない事を
確認できたので、この際、お金に関する記事も書こうと思う。
お金に関する記事といっても、
金になる話ではない(申し訳ない)。
法律に触れない、何らかの方法で、読んだ人の金を巻き上げようとする(結論を出し渋り、煽り文句を永遠と書き綴った)広告記事でもない。
誰にとっても、まったく金にならない、
私とお金についての話である。
◼️金と夢を理解したい(が不可)
金になる生き方(職業)を考え始めると、
非常に混乱する。
生存に密着する職業(医師)が
高収入なのは納得できる。
だが、
生存とはかけ離れ過ぎている職業
(スポーツ選手やエンターテイナー)
の(一部の方の)収入が、
莫大すぎることに納得できない。
スポーツ技術や演技が、
国宝級に素晴らしいからといって、
インフラを維持継続させる職業より
(収入面でも社会的にも)評価される点が、
個人的にどうしても腑に落ちない。
生存と無関係な(高収入の)職業が
存在する社会は豊かだ、
ということは、理解できる。
「夢では食っていけない」一方、
(異常な高値で)夢を売る職業がある、
という現実が、理解し難い。
◼️社会か己を信じたい(が不信)
金が無いなりの生き方は、
きっと可能だろう。
だが、
ほとんどすべての社会制度が、
金があることを前提としているため、
金が無いなりの生き方は、
非常に不安定であり、
その持続性が疑わしい。
「金が無いから、死にたい」
は(厳密に言うと)、
金が無いことに
絶望しているのではなく、
金が無いことに起因する不測の事態が、
明日、または、次の瞬間、起こるのでは?
と怯える日々に疲弊した人間が、
最終的にたどり着く結論なのではないか。
不測の事態は、
まぁ、何とかなるだろう。
と思える程度には社会への信頼がある、
もしくは、己の能力に自信がある、
という人でなければ、
金が無いなりの生き方は、
非常に困難を極める。
◼️労働を愛したい(が無理)
金になること=「労働」が嫌いである。
経済を回す行為も苦手である。
金を稼ぐ(動かす)ことで
豊かな人生を送るように、
労働時間を減らすことで、
人生を豊かにしたい、と私は考える。
世の中には、
「労働以外で金になること」が
確かに存在するらしいのだが、
私の手と認識の届く範囲に、それはない。
金が物を言う、この資本主義社会で、
私は、見事に完璧な敗者である。
◼️金に愛されたい(が片思い)
金を生み出すことが好きで、
金を生み出す行為も大好きで、
金を生み出す行為に何の抵抗もなく、
むしろ、こんな楽しい(金を生み出す)
行為を忌避するのか、理解に苦しむ、
そんな勝者に、私はなりたい。