四丁目の神様 第二話〜君のためにホームランを打つよ、的なアレ〜【約6,200字】
「だるぅっ。だっるるるるぅぅぅっ」
東京は豊島区西巣鴨四丁目にある安アパートの一室で、六畳一間の畳に横たわりながら、今日もまた面倒くさそうに、一人の中年男が叫んでいる。
「ったく、なんでまた前日に言うわけ」
田中が不服そうに、お目付け猫のイナリに申し立てる。
「そんニャことワタシに言われても知りませんよ」
部屋の隅っこで、純白のぽっちゃりボディを小さく丸めているイナリが言う。
長の指令はいつも唐突に、イナリを通して知らされる。イナリはイナリで伝言を伝えているだけなので、不満をぶつけられる筋合いなどないのである。
「まーたバイト休まなきゃいけないじゃんよ。この間も登録制のバイトドタキャンして、「もう仕事回せないですよ」って怒られたばっかだぜ。このままじゃ来月の家賃払えないっつの。あ、あとお前のニャンちゅーるも買えない」
「ちょっと、それはダメですニャ。アレなしではイナリは生きていけません」
「おい、ホームレス神様の方がよっぽど問題だろ。物価の高騰とかでペヤングも値上がりしちまったしよ、世知辛いねぇ。っつかよ、なんで神様なのに腹減るんだよ、死なねーのに。なんで家賃なんか気にしなきゃならねーんだ。豪邸住ませろこんちくしょー」
興奮した田中の声が、ボロアパートの外まで轟く。
「…で、今回の指令ですけどね」
「おっ、おう。ちょっと取り乱しちまった」
「一発ホームランを打ってこい、だそうです」
「はぁ?それが誰かの役に立つのかよ。草野球か何かの雇われ代打とか?」
「いえ、プロ野球ですよ」
「プロ?ますますわからねーな」
「とりあえず最後まで聞いてくださいよ。プロ野球のぺリーグ、東京シャクレタスズメーズの浦神選手は知ってますよね」
「おう、勿論だ。日本球界きってのスラッガーだからな。浦神様なんて言われてよ。ただ、どうにもメンタル弱くて、最近はなかなか成績奮わないんだよな」
「はい、それです正に」
「それ?それって何だよ」
「浦神選手、今日の試合でホームラン打つって、病気で入院中のカズヤ君という少年と約束しているんですが…」
「お前てんてんてんってことは、打てないってことかよ」
「勝手に人のてんてんてんを読まニャいでください。まぁ、でもその通りなんですけど。その約束がプレッシャーにニャって、全打席三振します」
「うーわ、最悪じゃん」
「で、入院中のカズヤ君の病状は悪化して…」
「いーよ、それ以上聞きたくねーわ。んで、誰からの願いなんだい。浦神?お母さん?」
「両方ですニャ。明日手術の予定なんですが、お母さんと浦神選手がそれぞれに御百度参りしていて。これで全打席三振して病状悪化とか、さすがに浮かばれないということで、長からの指令が来ました」
「御百度参りしてる暇あったら練習しろよな」
「ちなみにその御百度参りが原因で、風邪を引いて明日は絶不調の予定です」
「なんじゃそりゃ。んで、代わりにホームラン打って来りゃ良いってことね。しようがないねぇ。じゃあちょっくら御百度参り中の浦神の様子でも見てくるかな」
そう言うと、田中は部屋着のTシャツ短パン姿のまま、サンダルを履いて外に出た。
イナリをカゴに乗せ、夜風を切るようにママチャリをビュンビュン飛ばす。普通に漕いでも間に合わないから、少しばかり神の力を使ってショートカットした。5分程で辿り着くと、深夜の明治神宮にその姿はあった。サングラスやキャップなどで変装はしているが、体格を見ればすぐに浦神だとわかる。
「こりゃ必死だね」
境内の入口からダッシュで本堂に向かい、参拝をしてまたダッシュで入口に戻る。それを100回終わるまで繰り返すのだ。
「これじゃただのトレーニングですニャ。ちなみに浦神選手、途中で何度も回数忘れて、結局123周して、疲れと風邪で明日打てません」
「アホなの?…まぁでもよ、一生懸命さは伝わってくるよな。めちゃくちゃ汗だくで息切らしてさ。なんとかカズヤ君の為に打ちたいって、その一心なんだろうな」
「だから長も助けてあげたいと思ったんでしょうね」
「どれだけ練習したって打てない時は打てないし、それを素人にあーだこーだ言われてよ。誰よりも本人が一番打ちたいに決まってんだ。プロとは言え、スポーツ選手は大変だよなぁ。よっしゃ、いっちよ助けてやるかぁ」
そう言うと、田中はまたママチャリを自宅に走らせ、帰路に就いた。
「田中さーん、そろそろ起きてくださいよ。もうお昼ですニャ」
翌日、外はすっかりお天道様がてっぺんに登っているが、田中はまだ煎餅布団の上で大いびきをかいて寝ていた。
「う、うーん、もうちょい寝ちゃダメ?」
「ダメですニャ。そろそろ浦神選手がカズヤ君の病院に行く時間です」
「ったくだるいねぇ。せっかく仕事休みだってのによ」
如何にもめんどくさそうに吐き捨てた。
「早く行けバカ」
突然通神を使って長が怒鳴りつけた。
※通神:神同士の会話は特別な周波数で行われ、人間には決して聞こえない。
「ひっ。へっ、へい。行きます行きます、行きますってば」
田中は飛び起きそそくさと準備を始める。
「全部見えてるし聞こえてんぞコノヤロー」
「すみませんって。つつしみますって」
「ちゃんとしろボケェッ」
最後にひとこと言って、通神は途切れた。
「さすがに長には従順ですね」
長の声にビックリして棚の上に登ったイナリが、田中を見下ろして言った。
「そりゃそうだろ、クビにされたら何されっかわかんねーんだから」
神に『死』という概念は存在しないが、神律に反するとクビにされる。クビになった神は元々いなかったかのように扱われるのだが、その後どうなったのかは、エリア神を束ねる長(おさ)しか知らないのである。エリア担当の神々たちは、死ぬこともないのに、やれ針地獄だやれ血の池地獄だのと互いに恐怖心を煽っている為、長の怒声を聞くと皆ビビってチビリそうになるのだ。
「さて、じゃあいっちょ仕事してくるかねぇ。おちおち飯も食えねーや」
「そう思うならちゃんと起きてくださいニャ」
「へいへい」
不服そうに返事をしつつ、ヨレヨレのTシャツとダメージジーンズに着替えた田中は、ママチャリを飛ばしてカズヤ君の入院している病院へと向かった。
こめかみの辺りに左手の人差し指を置き、目を瞑り、白衣へと着替えた。さすがに元の格好のままじゃあ怪しまれてしまう。そのままカズヤ君がいる病棟に行くと、ちょうど病室に入ろうとしている浦神を見つけた。
入室した浦神とカズヤ君の会話を、田中は神の耳を用いて盗み聞きする。
「僕も手術頑張るから、浦神選手も約束通りホームラン打ってね」
カズヤ君が言った。手術に対する不安より、浦神のホームランを楽しみにしている気持ちの方が強いようだ。
「あぁ、必ず打つよ。神に誓って打つ。だから、カズヤ君も頑張るんだよ」
浦神の言葉は真剣そのものだが、少なからず不安が入り混じっていることが、神の耳を持つ田中には伝わってきた。
「神に誓ってだってさ。神に祈っての間違いじゃないのかねぇ」
病室の外で、田中は独りごちる。
「まぁ良いか。とりあえず試合前に腹ごしらえしとこうかね」
病棟を後にし、一度自宅に帰ることにした。
「ちょっと田中さん、いい加減起きてくださいニャ」
アパートに戻った後、エースコックのわかめラーメンで腹ごしらえをしつつ発泡酒を飲み、横になった田中はそのまま眠ってしまっていた。
「お、やべぇやべぇ。今何時だい」
「もう8時ですよ。試合始まって、5回まで進んでます」
「浦神は?」
「今のところ2打席連続三振です。まぁ、予定通りですが」
「そりゃそうだよな。急ぐとするかね」
「急ぎましょう」
寝癖もヨダレもそのままに、田中はイナリをカゴに乗せ、ママチャリを神宮球場へと全力で走らせた。時間がないので途中途中神の力を使い、ショートカットをかませて。
「よっしゃ着いたぞ。今何時だイナリ」
イナリはカゴの中で、スマホのリアルタイム速報を見ていた。球場周辺はライトで明るいが、空を見上げればすでに真っ暗で、ぽつぽつと遠慮がちに星が見えるぐらいである。
「もう8時半ですよ。今6回表で得点は0対0、完全な投手戦ですね」
「なるほどね、じゃあ一発出ればそっちの勝ちってわけかい」
「そうなりますニャ。6回裏に浦神に打席が回ってきますから、急ぎましょう」
「おうよ」
球場の関係者に怪しまれないよう都度都度姿を変えながら、浦神のいるベンチに走る。そして、守備から戻ってきた浦神をベンチ裏で見つけた。
ここまで2三振の浦神は、表情にこそ出してはいないが、心中はやはり穏やかではなかった。6回裏のツバメーズの攻撃は、2番バッターから始まり、4番の浦神まで打席が回ってくる。元より0対0のまま延長になり、規定の最終延長12回に他の選手のホームランで勝利する予定の試合ではある。その前に浦神が打てば、9回で試合は終了する。ヒーローはもちろん浦神というのが田中の算段だ。
どこか悲壮感を漂わせながら素振りをする浦神に、コーチになりすまして近づき声をかける。
「浦神」
「はい」
「調子はどうだ」
「大丈夫です」
「よし。じゃあ、ちょっと体を借りるぞ」
「え?」
状況をつかめない浦神の額に田中は左手をかざし、スゥッと体に入り込み、やがて同化した。体を馴染ませる為、二度三度と素振りをする。
「すごい体だねぇ」
浦神の体が持つパワーを全身で感じ、田中は感心していた。
「打席回ってきちゃいますよ」
球場の外で待つイナリが通神でメッセージを送る。
「浦神、どうした」
ベンチに戻らない浦神に、コーチが声をかけに来た。
「あ、すんません。すぐ行きます」
返事をし、そのまま田中はネクストバッターズサークルに向かう。
「こりゃすっげーな」
ネクストバッターズサークルで素振りをしつつ、対戦相手の投球を見る。田中は歓声の凄さを体で感じ、身震いしていた。
「こんな環境で野球やってんのかよ。プレッシャーが半端じゃないぜ。鳥肌立ってきた」
対戦相手は媚売サイザンスのエース、管野。150km超えのストレートとキレのある変化球で、浦神の前の2人を三振に切ってとった。そして、田中の出番である。
しかし田中はバッターボックスの前で立ち止まったまま、大歓声の中でしばらくの間思案を巡らせていた。
「浦神選手」球審に声をかけられ、ようやくバッターボックスに入った。
一球目のストレートを豪快に空振りすると、球場が沸き立つ。ホームランしか狙っていないと言わんばかりのスイングに、ツバメーズの応援席はより大きな歓声を上げ、サイザンス側のファンは息を飲む。その後は二球続けてボール、そして四球目のカーブを田中が全力で振り抜く。大きな当たりが外野席に飛び込んだが、惜しくもポールの外、ファウルの判定だ。球場全体に安堵と溜息に包まれた。カウントはツースリーとなり、田中は「行くぞーっ」と声を張り上げ、気合を漲らせる。
その頃、カズヤ君の手術が始まった。「心配いらないからね」と医師が言うと、「うん、大丈夫」とカズヤ君は返事をした。心の中で、浦神との約束に想いを馳せながら。
フルカウントから管野が選択したのはストレート。内角低めを狙ったが、若干浮いて甘く入った。田中が気合いもろとも全力でバットを振り抜くと、スパーンッと乾いた音がした。空振り三振、キャッチャーミットにボールが収まった。球場内は立場が入れ替わったように、また歓声と溜息に包まれた。
驚いたのはイナリだ。
「ちょっ、ちょっと、田中さんニャんで三振してるんですか。打たニャいとダメじゃないですか」
「いや、なんかよ…、この歓声って全部ファンの祈りみたいなもんだろ。全身で体に浴びてる内に、これで俺が打っちまうのはなんか違うんじゃねーか?って思ってな」
「でも、指令は遂行しないとまずいですよ」
「まぁ、なんつーか、元人間としての良心の呵責とでも言うかさ。この何万人ってファンを裏切るのはよ、…俺は嫌だね」
そう言うと、またベンチ裏に出た田中は浦神の体を抜け、コーチに姿を変えた。
そして「後はお前が頑張れよ」と言って、状況がつかめていない浦神の背中を叩き、守備へと送り出した。
球場の外に出た田中は、イナリを乗せたママチャリの元へと戻る。
「どうするんですかぁ」
不満と言うよりは、寂しさからの言葉だった。イナリも監視役という立場ではあるが、一緒に生活を共にしている田中がクビになるのは嫌なのだ。
「まぁ心配すんなって。大丈夫だ」
そう言って、戻るついでに買ってきたビールをグイッと一気に飲み干した。
試合は0対0のまま9回裏を迎えていた。ツーアウト、ランナー無しの場面で浦神に打席が回ってきた。一発出れば、勝負が決まる。
「さ、帰るかね」
田中がママチャリにまたがると、その刹那、球場からその日一番の歓声が上がった。管野のストレートを浦神が捉え、サヨナラホームランを放ったのだ。
「ふーん、田中さんも粋なことをしますニャあ」
事態を察したイナリが田中に言った。
「さーね、浦神の実力だろ」
「またぁ、とぼけっちゃって。神通力を宿してきたんですね、浦神選手に」
「んなことしなくたって、アイツはすげぇバッターだよ。俺はちょっと背中を押してやっただけだ。今日は浦神様様々ってとこだね」
「まー、クビにならずに済んだんで、イナリも一安心ですニャ」
「ニャんでお前が安心すんだよ」
田中もたまに猫語が移る。
「なんでも良いからさっさと帰りましょう」
猫らしいツンデレである。
「そうだな、明日もバイトあるし、帰って飯食ってクソして寝るかぁ」
興奮冷めやらぬ球場の歓声を背に受けながら、田中は自宅に向けてママチャリを漕ぎ出した。
試合終了後、ヒーローインタビューやメディア対応を終わらせた浦神は、すぐにカズヤ君の母親へと電話をかけた。面会時間は既に終わっているが、一刻も早く手術の結果を知りたかった。
「浦神です。試合、終わりました。カズヤ君の手術はどうですか」
「わざわざお電話までありがとうございます。手術は成功しました。カズヤは疲れて寝てしまいましたけど、浦神選手がホームランを打ったよと声をかけたら笑顔になった気がします。本当にありがとうございました」
「いえ、今日のホームランは…なんて言うか、自分で打った気がしなくて。きっとカズヤ君が打たせてくれたホームランなんだと思います。じゃあまた明日、カズヤ君が起きている時間にお伺いします」
「ありがとうございます。きっと喜ぶと思います」
そして翌日、浦神はホームランを打ったバットをカズヤ君にプレゼントし、手術の成功を祝ったのだった。
「良かったですねぇ、カズヤ君の手術も無事成功しましたよ」
仕事を終えて帰宅し、田中はペヤングを、イナリはニャンちゅーるを食べていた。
「まぁ長には「余計なことすんな」って叱られちまったけどよ。でもまぁ結果は予定通りだったし、お咎め無しで良かったよ」
「そうですね。予定以上だったと思いますニャ」
自分で打って終わりにすることもできたのに、そうしなかった田中のことを、イナリは誇らしく感じていた。
「さて、明日こそちゃんとバイト行かないとよ、マジで家賃払えなくなっちまうからな」
「はい、頑張ってくださいニャ」
「おう」
「あ…、田中さん、長から新しい指令が…」
「だるぅっ。だっるるるるぅぅぅっ」
たぶんつづく
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