冬の色は… 【短編小説】
「冬の色が損なわれちまった」
通りすがる人々が口々に言っている。辺りを見渡すと、確かに冬の色が損なわれ、グレーともセピアともつかない、色とは言えない色に染まってる。
「こりゃ一体どういうこったい」中学校に行きケンちゃんに問うが「どうもこうもない、見たまんまだよ」とにべもない。「しかし学校だって冬の色がなけりゃ困んだろ」とこっちが言っても「何かが欠けても何かで補えるものだよ」とケンちゃんニヤリと笑う。なるほど相変わらずクールだねぇとも思うが、やっぱりこのまま放っちゃおけねぇ。
ウチに帰ってカレンダーを見ると、やはり挿絵から冬の色が損なわれていた。一体全体どういうこった。
借りっぱなしのチャリンコ飛ばして図書館へ向かう。道すがら周りを見渡すが、やはり冬の色は見つからない。
図書館に着き「なぁ兄ちゃん…」と言いかけたところで「自転車」と受付の黒縁眼鏡の兄ちゃんに言われる。三文字。「わかってらい、ちゃんと置いて帰る…」言いかけたところで「嘘」と一文字。今日こそはちゃんと返すって。
「ところで色の本ってのはあるかい」
「美術はあっち」
兄ちゃんそう言って指をさす。
言われた棚に行くと、確かに色に関する本が幾つか並んでいた。しかしながら、そもそも何を調べりゃ良いのかわからねぇし、冬の色っつうのが元々何色だったか思い出せない。
「兄ちゃんさ、冬の色ってなぁ何色だい」
「冬色」
二文字。…答えになってねぇって。
「その冬色ってのは何色だい」
「人による」
…。何の答えにもなってないような気もするし、的を射ている気もするねぃ。
「兄ちゃんにとっては」
「白ら」
『ら』が気になるし、ベタだね。ベタだが間違いない。でも、それだけじゃあねぇんだ。もっと多くの色が損なわれちまってる。
しかし腹が減っちまったな。相談がてら、肉屋で腹ごしらえしようかね。
肉屋に着くと、肉屋はいつも通りに肉屋だった。どうやら肉屋は冬の色とは無縁らしい。
「よう大将、冬の色っつうのは消えちまったりするもんかね」
熱々のメンチを齧りながら問う。
「そらアンタ、地球が生まれてからずいぶん長いからな。そういうこともあるかも知れねえな」
「そういうもんかね」
「万事そういうもんだ」
「肉屋には影響ないかい」
「肉屋にはねぇが、絵描きのクロさんがスランプだって嘆いてら。思うように描けねぇってさ。派手な色遣いがクロさんの十八番なんだがな」
「絵描きが絵を描けねぇんじゃ困っちまうね」とこっちが言うと「俺が揚げ物揚げられねぇようなもんだ」と大将ガハハと笑う。あってるような、違うような。土産のコロッケ二つ買い、店を後にした。
大将に聞いた住所に行くと、殺風景な打ちっぱなしの一戸建ての表札に『黒田』と書いてある。黒田だからクロさんってこったな。
ドアをノックし「黒田さんいるかい」と呼びかけると、間も無くドアが開いた。出てきたのは初老の痩せた男。白のカッターシャツに黒いパンツ、白いエプロンには黒や灰色で汚れていて、伸びっぱなしの髪のも白髪混じりだ。挨拶するでもなく「大将から聞いてる」と言って中に招き入れられた。
家の中も殺風景そのもので、ほとんど物が置いていない。廊下を進み、アトリエに入って驚いた。たくさん絵が置いて有るが、ほとんど白と黒、あとは薄ぼけた色ばかりで描かれている。
「街から冬の色が消えちまったんだ」とこっちが言うと、クロさんフフッと笑って「色なんていらねぇだろう」と吐き捨てた。こっちは訳がわからねぇ。
「色は無いと困るだろう」
「色なんて無くてもどうにでもなるさ。アンタは冬色ってどんな色だかわかるかい」
「冬の色ってのは…、白だろう」
「そりゃあ雪の色だろ」
「じゃあ赤とか緑とか金とかかい」
「そりゃあクリスマスだ。実際みんなそんなもんさ。その季節が何色かなんてわかっちゃいない。だからさ、なくなったって構いやしないんだ。わかりもしない色を見てるだけで、元々無いようなもんだからな」
返す言葉が見つからねぇな。確かにこっちは普段そこまで色のことなんざ考えちゃいない。季節の色なんざなおのことわからねぇ。
「そっちだって、この間までは冬は冬の色で描いてたんじゃあないのかい」
大将が言うにゃ、スランプって話だ。好き好んでこんな絵ばかり描いてるわけじゃあねぇはずだ。
「なぁ、なんか理由があんだろ」
よくよく見ると、クロさんの瞳には色がねぇよえに見える。
「少し前に車で事故ってさ、そっから色がわからなくなってる」
しばらく間を置いた後、何もない天井を見上げながらクロさんが言った。やっぱりな。
「でもな、さっきアンタに言った通り、色って気にしてるようで気にしてないんだ。そりゃ対象物がハッキリしてりゃあわかるが、冬の色がわからなかった。事故ったあとにさ、どれだけ考えたって思い出せなかったんだ。画家として終わってんなと思ったよ」
なんだか小難しくてこっちにゃわかりゃしねぇ。そもそも季節ってのは概念だから、概念に色なんざ存在しないんじゃあねぇのか。それに…
「ちょっと見せたいもんがある」
そう言って、クロさん乗せてチャリンコをこっちの今まで連れて来た。
「これ見てくれや」
クロさんの目の前に一枚の絵を置いた。雪舟の『秋冬山水図』だ。
「これは…」
「なぁ、アンタの得意とは違うかも知れねぇが、しっかり冬が伝わってくるだろ」
「あぁ、墨の濃淡だけで冬の色が伝わってくる。私にとって絵は色彩が全てだったから…水墨画なんて興味の外だったが、これはすごいな」
見えなくなることで見えるものもある、そういうこったろ。
「こっちゃ医者じゃねぇから眼のことはわからねぇ。でも、ちゃんとお医者で見てもらった方が良いとは思うぜ。だがな、アンタのは心の問題だよ。事故って目ぇ見えなくなって、ショックで固定観念の殻に閉じこもっちまっただけだろう。違うかい」
「あぁ、そうかも知れないな。アンタの言う通りだ。考え方を変えないとならんな。眼の方も診てもらうよ。手術なんかしたらいよいよ何も見えなくなるんじゃないかと躊躇ってたんだ」
「もう一回、自分の描きたい絵を描いてくれよ」
こっちがそう言うと無言で頷いて、クロさん右手を差し出してきた。握り返すと「ありがとう」と言って、そのままさっさと帰っちまった。ただ、その瞳には色が戻っているように思えた。
翌朝カレンダーを開いてみると、挿絵に色彩が戻ってる。きっとクロさんの心の霧が晴れたんだろうな。
外に出ると、景色はすっかり元に戻ってて通りすがる人々も「冬だねぇ」と肩をすくめて歩いてら。いつも通りの自然な冬だ。冬色はやっぱり冬色でしかねぇや、説明しようがねぇ。改めてそう感じたよ。
「大将やっぱり冬は熱々のメンチが美味いな」
「アンタ来る度にそう言ってるぜ」
「そりゃこっちもいい歳だ。思ったことは何回だって言うぜ」
出来立ては本当に格別だからよ。
「そういやクロさんすっかり元通りに描けるようになったてよ、たいそう喜んでたぜ。元の作風と違う水墨画も始めたらしくてな、そこ見てみろよ」
店の壁には繊細さと力強さの共存した、見事に冬を描いた水墨画が飾られていた。
「墨だけで冬だってしっかり伝わってくるんだよ。こりゃすげぇよなぁ」大将ガハハと笑って言う。
「大将のメンチだってよ、こっちにゃ冬を感じさせてくれるぜ」
同じ味でも感じ方が違うんだ。冬色が人によるってなぁそういうこったろ。
「次はきっとよ、またド派手な絵を描くに違いねぇぜ」こっちが言うと、「そうだな、水墨画も良いが、明るい方が断然クロさんには似合ってるからな」こっちも明るい方のクロさんの絵も見てみてぇ。
土産のコロッケをカゴに入れ、チャリンコに座ると尻が冷やっとした。
なるほど、冬はいろんなとこに転がってんだなぁ。