
四丁目の神様 第三話〜巣鴨のとげぬき地蔵で愛を叫ぶ…?〜
「うっぜぇ、マジうっぜぇぇぇぇぇっ」
東京は豊島区西巣鴨四丁目にある安アパートの一室で、六畳一間の畳に横たわりながら、今日もまた面倒くさそうに、一人の中年男が叫んでいる。
「ニャンニャンですか、新年早々」
お目付け猫のイナリが、こちらも面倒くさそうに問う。
「ったく正月ってのはうるさくてしようがねぇ」
スウェットの上下を着たままダラダラと寝正月に勤しんでいるが、田中は神様である。担当エリアの神頼みの声は否が応でも、全て神の耳に入ってくるのだ。
「普段は神様なんか信じちゃいねぇくせによ、正月になると、さも「私は神の子です」っちゅう顔で、自分の願いを叶えてくれって神社に大集合しやがる」
田中が不服そうに吐き捨てる。
「神の子まではわからニャいですけど、まぁ今の日本人はそういう感じですニャ」
イナリもこれには同意した。
「志望校に合格したいって?祈る暇があったら勉強しなさいっての」
「勉強もきっとちゃんとしてますニャ」
「幸せになれますようにって?漠然とし過ぎてて、何すりゃ良いかわからん。そもそもアンタにとって何が幸せなのかもわからん」
「それはそうかも知れませんニャ」
「恋人ができますように?結婚できますように?そんなもんお前らの行動次第だっつの」
「個人的な憎しみが混ざってますニャ」
「安産できますように…。これは良いよ、うん。まぁ、言うて個々の健康管理まで神様にはできないけどね。医者やヘルパーじゃねーもんな」
「我々も安産できるよう祈るしかないですニャ…。で、田中さん、新年早々ですが、長からのご司令です」
「へいへい。こんだけ祈られてりゃ何かしら司令も来るだろうよ」
「面倒くさそうに言うんじゃねぇバカヤロー!クビにされたいんかゴルアァァァ!!」
長にはエリア神の言葉は全て聞こえていて、迂闊な発言をすると通神(特殊な周波数でされる神同士の会話)でドヤされる。
「はぅっ!…すみませんって。やりますやります、何でもやらせていただきますって」
神に『死』という概念は存在しない。だが、神律に反するとクビにされるのである。クビになった神は元々いなかったかのように扱われるのだが、その後どうなったのかは、エリア神を束ねる長(おさ)しか知らない。エリア担当の神々たちは、死ぬこともないのに、やれ針地獄だ、やれ血の池地獄だのと互いに恐怖心を煽っている為、長の怒声を聞くと皆ビビってチビリそうになるのだ。
「で、今回はなんだいイナリちゃんよ」
「はい。今日の大量の祈りの内の一つなんですけど…」
「多過ぎてわからんわ」
「まぁまぁ。えっとですね、三丁目のデイサービスに通ってる稲村留造さん御年82歳、素人童貞ニャんですが…」
「その最後の情報いる?」
「はい、まぁ。で、施設で働いている工藤りりさん26歳に恋をしてまして…」
「ま、まぁ何歳が何歳に恋をしようと、それ自体は自由だからなぁ」
「今日のデイサービスの帰りにですね、りりさんに告白をしようニャどと企てており…」
「おっ、おぅ…。」
「昔観たドラマの真似をして、道路に飛び出て「僕は死にましぇん」ってやろうとするんですが…」
「オチが見えてきたな」
「車に普通にはねられて死にますニャ」
「………、なんかもう、むしろ死んだ方が良くねーか、そのジジイ。留造助けるの?俺。嫌なんだけど」
「いえ。留造さんはどうでも良いんです」
「はぁ。どうでも良いっつーのもアレだけどな」
「助けるのは留造さんを轢いてしまう男性の方ですニャ」
「なるほどね。そんな素人童貞好色ジジイでも、轢いちまったら大事故だもんなぁ」
「そうニャんです。相手が素人童貞好色ジジイでも問答無用に警察沙汰ですニャ。その男性はりりさんの恋人で、留造さんのショートステイ終わったら、とげぬき地蔵で一緒に初詣をして、その場でプロポーズをする予定でいたんです」
「あらま、こりゃとんだ素人童貞好色迷惑ジジイだな」
「はい、とんだ素人童貞好色迷惑ジジイですニャ。恋人の男性は渡辺悠太さん28歳、親御さんの家業を手伝いつつボランティアにも精を出す好青年です。こんな日に事故に巻き込まれて、プロポーズできないというのはあまりにいたたまれないと、それで長からの指令という感じですニャ」
「おうよ。新年早々働きたかねぇけどよ、そういう事情ならしゃーねぇや」
そう言うと田中は着ていたスウェットの上下から、ダメージジーンズとヨレヨレのTシャツに着替え、飲みかけの御神酒をグイッとあおり、黒のダウンジャケットを羽織りってイナリを連れて外へ出た。
「寒っ、やっぱ行くのやめっかな…」
「ざけんなアホボケカスゥッ!さっさと行きさらせバカヤローがぁ」
油断すると、長に恫喝叱責される。
「行きます、行きますってばよぉ…」
ちょっとチビリながら、ママチャリにまたがり、目的地に向かう。
「さすが正月だねぇ」
目的のデイサービスセンター『天国の扉』に向かう道すがら、とげぬき地蔵の様子を見に寄ってみた。
「人だらけですニャ。痛みや病気を治すという御利益があるって言われてるせいか、年齢層もだいぶ高めですニャ」
「治しちゃやれねぇけどな。俺も持病の腰痛、御利益でなんとかしてもらいたいね」
「神様とは思えない発言ですニャ」
「本当だよな。神様ってのはもうちょい全知全能なイメージだったのによ、なってみたら全然思ってたのと違うのな」
「まぁ、人間が勝手にイメージしてる神様像とはかけ離れてますニャ」
近くの団子屋で買った醤油味の焼き団子を頬張りながら、2人は目的地まで歩いて行くことにした。
「おー、ここか」
とげぬき地蔵から10分ほど歩くと、『天国の扉』の建物に辿り着いた。
「しかし嫌なネーミングだね」
「本当ですニャ」
「で、俺はどうすりゃ良いんだい」
「えっと、田中さんにはですね、りりさんと一緒にいる毒舌&剛力お局ヘルパーの金剛寺さんの体に入っていただいて、留造さんが飛び出そうとしたら止めてもらいたいんですニャ」
「なんかその金剛寺さんが止めてくれそうじゃねえか?」
「いえ、予定だとちょうどそのタイミングで電話がかかってきてしまって気づかないのです」
「なるほどね。まぁ、電話鳴っても出るなとも言えねーもんな。あい、わかったよ」
「もう間もニャく留造さんが自宅に帰る時間です。急ぎましょう」
「おうよ」
イナリをその場に残し、壁をすり抜けて施設の中へ。「とりあえず金剛寺さんの体を拝借しないとな」ブツブツと独り言をつぶやきながら、金剛寺のいる部屋へと走る。
「ったくあの留造のジジイったら油断も隙もありゃしないね。りりのお尻触ろうとしてたから延髄にチョップしといてやったよ」
金剛寺はスタッフルームで男性スタッフと話をしている。
「やっぱり死んだ方が良いんじゃねーのかな、あのジジイは」
田中は物陰で独りごちる。
「ほどほどにお願いしますよ。ご家族からクレーム来たらたまらないですからね」
そう言ったのは所長の戸山だ。
「大丈夫、ちゃんと死角から手刀を打ち込んでるからバレませんって」
「死んじゃうのが一番困りますよぉ」
金剛寺の軽口に、戸山は心配そうだ。
「それじゃアタシ、りりと一緒に留造のジジイ送ってきますね」
金剛寺がスタッフルームのドアを開け、通路に出ると、待っていた田中がトントンと背中を叩いた。
「えっ?」と振り向いた金剛寺の額に田中は左の掌をかざし、「ちょいと体を借りるぜ」と言って体に入り込み、そのまま同化した。
「さて急ごうかね」
施設の出口に向かうと、そこには留造と迎えに来た娘、そして付き添いのりりがいた。
「じゃあアタシ、車を正面に回します。おじいちゃん、ちょっと待っててね」
留造の娘が車を取りに外へ出た。
「あんな素人童貞好色ジジイでも、あの娘さんにとっちゃ大切な親なんだよな」
金剛寺の姿をした田中が、なんとなしにつぶやく。
「あ、金剛寺さん、お願いします」
気づいたりりが声をかけた。
「ちぇっ、しぇっかくりりさんと2人きりになれたのにのぅ」
金剛寺に気づいた留造が、不服そうに顔を顰める。
「やっぱりこのまま殺したろかな…」
「えっ、なんですか?」
田中のこぼした独り言が、りりの耳に届いてしまったようだ。
「いーえ、何でもないわよ。さぁ、道路まで行きましょう留造さん」田中が言うと、「あいよぉ」と言って、杖をついた留造がゆっくり歩く。支えているりりに必要以上に密着しようとする留造の姿を見て、ますます田中は呆れ、嘆息した。
「次に信号が青に変わったら、悠太さんの乗っているホンダの白いワンボックスカーが来ます」
イナリが通神で知らせてくれた。
「おうよ」
田中が返す。目の前では留造がどこかソワソワしているのが見て取れる。
「お、来るぞ」
信号が青に変わり、悠太の運転する車が近づいて来た。
「りりしゃぁん、見ててくれぇい」
留造がそう叫び、走り出そうとした。が、サッと動いた田中が前に肩を入れ、進路を防ぐ。そもそも杖をついて歩いているくらいだから、留造を止めること自体は容易だ。
「なぁにをするんじゃあ」
それでもまだ動こうとする留造を、抱きしめるような形で田中が止める。
「こっ、金剛寺しゃん…」
留造の全身の力が抜け、もがくのをやめた。
悠太の運転する車は無事施設に隣接する駐車場に入り、停車した。そして留造の娘が運転する車が施設の前に着き、留造は家に送り帰された。
「お疲れ様でしたー」
天国の扉は三が日は17時まで、ショートステイのみの対応で終了となる。勤務を終えたりりは悠太と共に、初詣の為にとげぬき地蔵へと手を繋ぎ、歩き始めた。
とげぬき地蔵尊、正確には高岩寺という。
300年ほど前、針を誤飲した女性に本尊の延命地蔵菩薩尊像を印じた紙札「御影」を飲ませたら、針が「御影」を貫いて出てきたというのが「とげぬき地蔵」の由来と言われる。
本殿に向かった2人は賽銭を投げ、二礼二拍手一礼で祈りを捧げた。
田中とイナリも様子を伺っているが、田中が首を傾げている。
「どうかしたんですか」
「あ、うん…まぁな」
悠太がりりに「こっち向いてくれる」と声をかけ、ポケットから指輪を取り出した。
そして、「りりちゃん、俺と結婚してください」とプロポーズをした。返事は…、「悠太くん、ごめんなさい。アタシ、悠太くんと結婚できない」。
悠太は事態が掴めず、呆気に取られている。
「あっ、ごめん、まだ早かったかな」
取り繕うように悠太が言う。
「うんうん、違うの。あの、アタシね、悠太くんは何人かいる恋人の1人なの…」
「えっ?えっ?」
ますます悠太は混乱している。
「な?」
田中が言う。田中は神の耳で、2人が何を祈っているか聞こえていたのだ。
「はい…、ですニャ」
イナリも困惑している。
「悠太はプロポーズの成功を祈ってたけどよ、りりって女は自分が金持ちになりたいってことしか祈ってなかったんだよ」
「こりゃ一体どういうことだよオヤジ」
田中が通神で長に語りかけた。
「んー、いや、ワシも運命に修正かけた後どうなるかまでは知らんよ。なんかゴメン」
長が無責任に言う。
「とりあえず留造を車で轢かずに、プロポーズさせるってとこまでが仕事ってわけか」
「まぁ、そういうことじゃい。変わった運命がその後どう動くかまでは、神様とてすぐには予見できないんだわ、申し訳ないけど」
「でも、りりがどういう女かぐらいわかってたんじゃニャいんですか?」
イナリが長に問うた。
「それはまぁ…、リサーチ不足じゃの」
長がまた無責任に言う。
「なんだよそりゃ」
田中とイナリが顔を見合わせた。
混乱したまま立ち尽くす悠太を尻目に、りりはスタスタとその場を立ち去る。結局のところ、りりにとって悠太は、何人かいる金づるの1人でしかなかったということらしい。
「人間って本当に面倒くせーな」
田中は自宅に戻り、こたつに足を突っ込み横になったまま、テレビを観てダラついている。
「まぁ、それが人間らしさとも言えますけどニャ」
「猫のお前に言われちゃしようがないね」
田中が呆れて苦笑いを浮かべる。
「で、この後どうなるかは見えてきたんすか?」
田中が長に問う。
「あぁ、少し見えてきたぞい。あのりりという女、留造の財布から金抜いてるのがバレて、逮捕されることになっとるわい」
「ん?それって、元々無かった流れですニャ?」
「まーな」
相変わらず長は他人事のように言う。
「犯罪者1人増やしてんじゃねーか」田中が言うと、「うるさい!因果応報じゃ!」と長は逆ギレし始めた。
「ろくな女じゃねーし、まぁ良いけどよ」
田中が諦めたように言った。
「ちなみにな、お前のせいで留造は今度は金剛寺に惚れたようだぞ」
「はぁ?なんで俺のせい?」
「お前、留造止める時に抱きしめたろ。アレでイカれちまったらしい。お前のせいで」
嫌味たっぷりに長が言う。
「ちょっ待てよ。俺のせいってこたねーだろ。俺は言われたことやっただけだぞ」
「誰もあんな止め方しろなんて指示はしとらん」
「はぁ?何言ってんだこのクソオヤジ!」
「なんだと貴様、クビにすんぞゴルァッ」
「テメェはヤクザかよ!やってみやがれコンチクショー」
「ちょっとー、まぁまぁ、新年早々神様同士が小競り合いしないでくださいニャ。売り言葉に買い言葉を返すと、ロクな結果になりませんニャ」
呆れたイナリがなだめに入る。
「フンッ」と長が言い、同じように田中も「フンッ」と返した。まるで子どもの喧嘩のようだ。
「まぁ良いや、せっかくの正月だ。雑煮でも食うか、イナリ」
「さすがにお餅は食べられませんニャ」
「じゃあ、お前はニャンちゅーるだな」
「それが一番ですニャ」
「あー、今年は良い年になると良いねぇ」
そう言って田中は小瓶に入った安物の御神酒を、そのままグイッとあおるのだった。
もしかしたら神様は、今もアナタの街にいて、アナタのすぐ側に住み、アナタと同じように暮らしているのかも知れない。
おしまい
▼第一話
▼第二話