マリリンと僕27 〜戸惑いの季節〜
「おはようございます」
僕は結局眠るのを諦め、6時過ぎにはベッドを抜け出し、萱森さんが仕事に行く前に簡単に食べれるよう、サンドウィッチを作っておいた。具は茹で卵をほぐしてマヨネーズで和えた物とツナサラダ。冷蔵庫にあった、有り合わせの具材だ。
7時を知らせるアラームが鳴る頃には、外もすっかり明るくなっていた。無防備な寝顔は小動物を見ているようで飽きなかったが、仕事があると言っていたから、このまま起こさないわけにもいかない。
「おはようございます」
一回では全く反応が無かったから、少し大きめの声でもう一回。が、相変わらず反応は得られない。
「おはようございまーす!」
仕方がないので大声に加えて、肩口をトントンと軽く叩いた。何度かそれを繰り返すと、ほとんど目をつむったまま萱森さんがムクっと上半身だけを起こした。
「おはっ…、おぁっ」
言い掛けた僕に、萱森さんが抱きつくような形で引き寄せ、またそのままベッドに倒れ込んだ。
「ちょっ、萱森さん、寝ぼけてますか!?もう7時ですよ」
口ではそう言ったものの、萱森さんのやさしい甘い匂いに、もうしばらくこのままでも良いかも、なんて思ってしまった。
「猫のモフモフもたまらないですけど、寝起きのイケメンモフモフは女の夢なんです」
「はぁ」
なんですって言われてもな。
「あー、良い匂いだー」
そうなんだ。それはちょっと見た目を褒められるよりも嬉しいかも知れない。でも、普段なら自然とキスをする流れなのに、萱森さんが相手だと不思議とそうはならない。彼女がどういう感情で、今の状態なのかもわからないのだ。
「朝食…サンドウィッチ作ってありますよ」
「陽太さん、イケメンなくせに優しいなんて…、そうやって何人もの女をこのベッドで抱いて来たんですね」
冗談のつもりだろうが、あながち間違ってもないから、と言うより完全に芯を食ってるから、リアクションが取りづらい。
「それなのにぃ、アタシには何もしないんだもんなぁ。自信無くすわー」
そう言いながら、抱きついていた腕を離した。これが本音なのかどうか、全くわからないのだ。
「仕事、あるんですよね。時間大丈夫なんですか?」
話題を変えることにした。
「大丈夫ですー。どうせ天龍寺さん、ほぼ毎回遅刻して来るんで」
天龍寺さんは同じ事務所のベテランのお笑い芸人だ。僕はまだ会ったことは無いけれど、帯番組の司会を務める事務所の顔の一人である。
「でも、そろそろ準備しましょうかねー」
ベッドから出た寝起きの萱森さんは、僕のTシャツと短パンに、ショートカットの髪はボサボサで、まるで泊まりに来た親戚の子どものようでもあった。
「可愛い…」
僕は思わず口に出してしまった。
「そうやって可愛いとか言ってー。アタシはそんなに簡単な女じゃありませんからねー」
うん、簡単じゃない。と言うか難し過ぎるよ。
二人でサンドウィッチを食べ、インスタントのホットコーヒーを飲んだ。そして萱森さんは髪を整え、服を着替えると「行ってきます!」と言って部屋を飛び出した。化粧はタクシーの中で済ませるから良いのだそうだ。部屋にはまだ、萱森さんの余韻が残っていた。
結局朝まで何も無かった。抱きつかれたり一緒のベッドで寝たのだから、何も無いと言って良いのかはわからないけれど、一線を越えることは無かった。今までの僕はいつも相手の想いに合わせて、自然な流れの中で手を繋ぎ、キスをして、セックスをした。明確な意思は無かったと思う。良くも悪くも相手任せで、そこに自分の意思は無かった。
だけど、仮に萱森さんとそういう関係になるとしたら…、いや、なりたいと僕が思うなら、そこには僕の意思が必要になるのだろう。物理的な距離感はどんどん詰めて来るのに、心が何処に在るのかが全くつかめない。そんな女性は初めてだった。
ベッドに座ってボーッとそんなことを考えていたら、急に睡魔に襲われた。そう言えば僕は、結局一睡もしていないのだった。
ずいぶんと長い一日だったなぁと振り返りながら、僕はそのまま眠りについた。
つづく
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