街クジラ狂騒曲
「街クジラを見たんだ」
学校から帰って来た小学5年生の息子、樹が、興奮気味に言った。
「ふうん、どこで見たの」
父の昭雄は冗談か何かだろうと思い、軽い気持ちで聞いてみた。
樹が言うには、通学路の途中にある公園にいたのだそうだ。ツルッとした黒い体に2本の足が生えた、小さなクジラ。気づいてすぐに駆け寄ってみたが、その時にはもういなかったらしい。それでも間違いなく見たのだと、樹は言い張った。
街クジラは彼らが住む白鯨町に、大正時代から伝わる幻の生物である。ツチノコやイエティなようなUMAと同じように扱われることも多いが、白鯨町では守り神として扱われ、神社には石像を造り祀られているし、街のイメージゆるキャラ「くじりん」なんてのもいるくらい、長い間大切にされてきた。
昔から目撃談は何度も聞いたけれど、物的証拠は無く、勿論捕獲されたこともない。
「ねぇパパ、ちょっとこれ見てみてよ」
二人の話を横で聞いていた妻の遥香がそう言って、スマートフォンの画面を差し出した。
映っていたのはTwitterである。そして、「子どもが街クジラを見た」という保護者の書き込みだった。しかも1件ではなく何件も、同じ公園で街クジラを目撃したという書き込みがされているのだ。
白鯨町はそれほど大きな街ではない。複数の目撃者(の保護者)はあっという間にSNSで繋がり、情報を共有し合った。それぞれの話には共通点が多く、知れば知るほど子どもたちが嘘をついているとは思えなくなっていった。
かくして結成された「街クジラ捕獲隊」は、総勢12名の大人である。いつの間にか本気になっていたのは大人たちの方だった。子どもの方はと言うと、数日で騒ぎに飽き、逆に大人の本気さに呆れていた。それも当たり前のことだろう。何せ、騒いでいる大人たちの誰一人として目撃してはいないのだから。
しかし、そんな子どもたちの思いとは無関係に、大人たちの街クジラ熱は高まるばかり。地元新聞には、さも大人が目撃したかのような記事が掲載され、ローカル番組では特集が組まれ、終いには自治体を巻き込み捜索隊はどんどん拡大していった。
「街クジラを捕まえるぞー」と市長が叫び、集まった100人を超える大人が「オーッ」と呼応する異様な光景。目撃されたのは公園なのに、少し離れた山林まで入って探し始めた。「あっちに気配があったぞ」とか「この足跡、街クジラじゃないか」とか、誰かが言う度に一様に興奮し、騒いでいる。もはや一大事である。
「なんだか大変なことになったね」と昭雄が樹に言うと、樹は「うん」と言って、どこか困ったような表情を浮かべた。
「なんでこんなことになってんの?」
「そんなの知らないよ俺だって」
「ちょっとマジで笑えないよね」
「うん、マジ笑えない」
「これ、バレたらどうする?」
「それこそ笑えない」
「そうだよな」
「大人たちが子ども過ぎるんだよ」
「本当だよな」
「こんな馬鹿みたいに騒いでさ」
「本当本当」
「とりあえず、黙っとこうぜ」
「ああ、絶対みんな言うなよ」
大人たちの狂乱を他所に、樹の通う進学塾のグループLINEでは、こんなやり取りがされていた。
そう、街クジラ目撃の話は、子どもたちの悪ふざけだったのである。みんなで一斉に街クジラを見たと言ってみる…、深い意味など有りはしない、ただの思いつきだ。だから、どれだけ大人が大勢で騒いだとて、見つかるわけがない。なんとも間の抜けた話である。
それでも一度騒ぎ始めたら、もう簡単には止まりはしない。いや、止まりたくても止まれないのだ。だってもう、やめ時がわからないのだ。
しかしながら、半年もするとさすがに街クジラ騒動も沈静化し始め、捜索隊も自然消滅した。一部を除いては、大人たちも、いつまでも幻を追っているほど暇ではないのだ。子どもたちもひと安心である。
だが、あの日から3年が過ぎても、樹は街クジラ騒動の呪縛から逃れることが出来ていない。
なぜなら、祖父の昭正は孫の言ったことを信じて、今でも数名のお供を連れて街クジラを捜し続けているからだ。
「世界中のUMAって、もしかしたら全部子どもの嘘なのかな…」
「うん?何か言ったかい、樹」
「あ、何でもないよ、じいちゃん」
「よし、明日こそ見つけるぞー。首を洗って待ってろよ、街クジラめー」
定年退職して暇そうにしていたじいちゃんの生き甲斐になっているようだし、このまま黙っておくことにしよう、と心に決める樹だった。
↓シロクマ文芸部に初めて参加させて頂きました。
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