靴職人と小さなタモリたち 〜聖夜の奇跡〜 第8054回タモリスト文学大賞#小説部門応募
それは何年か前のクリスマスイブのことでした。
街はクリスマスムード一色。色鮮やかな装飾やイルミネーションが施され、家族やカップルたちは笑顔で買い物を楽しんでいました。
テレビを点ければサンタクロースの格好をしたタレントさんがCMに出ておりますし、新旧のクリスマスソングが流れてくる。例年通りの祝祭ムードに世の中は満ち溢れていたのです。
しかし私はと言えば、そういう訳にはいきません。
私はオーダーメイドの靴職人ですので、クリスマスのプレゼントにしたいと、12月の納品を希望するご注文がとても多く入るのです。昨年もやはり、クリスマス時期の納品希望でたくさんのご注文をいただきました。
私は全ての作業を一人で行なっております。オーダーメイドですから、一人一人のお客様に合う靴を仕立てなくてはなりません。足のサイズを細かく測り、歩き方の癖を見させていただき、お客様の要望も可能な限りお聞きします。雑談などもしながら、その人の人柄なども気にします。それから作業に取り掛かり、数ヶ月かけてそのお客様だけの、世界に一つだけの靴をお造りするのです。足を入れ、歩いてみた時のお客様の笑顔。その瞬間の為に、一足一足、心を込めてお造りして参りました。
ですが、その年の春先のある日、困ったお客様がいらっしゃったのです。
歳の頃は70歳を過ぎた辺りだったでしょうか。小綺麗にめかし込んだ、笑顔が印象的な白髪の女性でした。
私はいつものようにご希望をお伺いしようとしました。しかし、その方はこのように言うのです。「全てあなたにお任せします」と。もちろん、ある程度の部分をお任せいただくことは珍しくありません。明確にご自身のイメージをお持ちのお客様がいれば、なかなかご自身では決め切れないお客様もいます。そういった方にはこちらから提案したり、悪く言えば誘導をすることだってあります。しかしながら、全てを任されるというのは、この仕事を始めて以来30年以上が経ちますが、初めての経験でございました。
サイズだけは測らせていただきましたが、後は何を聞いても「お任せします」としか申されない。ただ単純に、そのお客様に似合いそうな靴を造ることなら簡単なのですが、私にも職人としてのプライドがございます。なんとなくで造り上げて、それでお代をいただくというのはどうにも気持ちが悪い。何よりお客様の笑顔が想像できません。市販の大量生産の物とは値段も全く異なりますから、なんとかお客様の想いを引き出そうと試みました。
しかし、まるでダメでした。
靴と関係のない雑談には応じてくださるのですが、靴の話をしようとすると「お任せします」としか申されないのです。まるで禅問答でもしているような気分でした。
そういった時間の中でお伺いできたのは、そのお客様にはご主人がいたが、何年か前に癌を患って亡くなったこと。一人娘がいて、別に住んではいるが定期的に連絡をくれるし、娘さんは結婚していてお子様もおり、夏には一緒に家族旅行に行ったこと。一人暮らしではあるが、友人と出かけたり、絵を描いたり手芸も好きで、毎日楽しいということ。等々、一人暮らしであることを除けば、体もまだまだお元気そうですし、幸せそうだなと感じるばかりでした。
とは言いましても、靴を造る参考にはなり得ません。何度コミュニケーションをとらせていただいても前に進むことは無く、ほとほと困り果てました。
それでも時間は容赦なく過ぎて参ります。焦燥感を募らせながらも、話してくださった内容の断片から、なんとか少しずつ造り進めました。試行錯誤を繰り返して、素材や色味、デザインなどある程度の形は見えてきました。それでも最後の最後、これだ、というゴールが見えず、そのまま12月23日になりました。
翌日の24日の午後に、お客様にお渡しするお約束です。しかし、どうしても最後の仕上げができないまま夜を迎え、一度諦めて仮眠を取ることにいたしました。
真夜中の2時頃だったかと思います。熟睡することもできず目を開けると、作業場の方からカタカタと物音が聞こえるのです。
私は一人者で、もちろん子どももおりませんし、まさか私のような初老の男のもとにサンタクロースが来るとは思えません。泥棒かと考えまして、バットを持って作業場の方に向かいました。
作業場のドアの向こうからは、やはり物音が聞こえてくる。まずは中の様子を伺おうと、ゆっくりと慎重に、音を立てないようにドアを少しだけ開け、覗いてみました。
私は驚いて、腰を抜かしそうになりました。そこにはたくさんの、小さなタモリがいたのです。ええそうです、あのタモリです。森田一義です。
「笑っていいとも」のタモリ、「タモリ倶楽部」のタモリ、「音楽は世界だ」のタモリ、「Mステ」のタモリ、「ブラタモリ」のタモリ、「世にも奇妙な物語」のタモリ…、眼帯をしているタモリがいれば、イグアナのモノマネをしているタモリもいます。四ヶ国語麻雀をするタモリもいれば、白紙の弔辞を読み上げるタモリもいます。そこにいる全員がタモリでした。ええ、タモリはタモリであって、タモリ以外の何者でもありません。小さいながらも、確実に、疑う余地のない、完全なるタモリたちでした。
小さなタモリたちが、あの造りかけの靴を囲んでおりました。夢や幻の類かも知れないとは思いましたが、もう靴のことで悩んでも仕方がないのかも知れないと、タモリたちを見てそのように思いました。後はもうタモリたちに委ね、私は一度眠りにつくことにいたしました。
クリスマスイブの朝、私は朝陽の光によってとても気持ち良く目覚めることができました。
そして、他に何をするでもなく、まず寝巻きのまま作業場に向かいました。ええ、もちろんあの靴がどうなっているのかを確かめる為にです。
もしかしたら、まだ小さなタモリたちがいるかも知れません。私はまた、音を立てないようゆっくりと慎重にドアを開け、部屋の中を覗き込みました。そこにはもう、小さなタモリたちは見当たりませんでした。少し残念に思いましたが、それは仕方のないことです。
革靴がどうなっているのか。私は期待に胸躍らせながら、靴の置いてある作業台に駆け寄りました。タモリたちによって、何がなされたのか。私はワクワクしておりました。
しかし、靴は昨日から何も変わってはいませんでした。なんとも表現のしようの無い気持ちになりました。ええ、もちろんタモリが悪いわけではないのです。他力本願な私が全て悪い。わかってはいるのですが、だとしてタモリは何をしに現れたのか。タモリは私に何を示唆しているのか。それがわからなくて、感情のやり場が無かったのです。
夢だった?いえ、そんなことはありません。間違いなく、タモリはそこに在りました。だってその証拠に、革靴の横には小さな小さなサングラスが落ちていたのですから。
一寸ばかり途方に暮れましたが、そうしている内に、靴の仕上げのイメージが湧いて参りました。いえ、降りて来たと言って良いと思います。私の心の中に、タモリが降りて来たのです。私は最後の仕上げに取り掛かり、午前中の内に完成されることができました。私としては、満足の行く、過去最高と言っても過言ではない仕上がりでした。
お客様はお昼過ぎに見えられました。そして開口一番「髪、切りました?」と仰いました。確かに私は少し前に、伸びきった髪を理容室で整髪したばかりでした。その後も「最近どう?」といった雑談を交わし、頃合いを見て靴をお出ししました。その時のお客様の笑顔は生涯忘れることはないでしょう。元より笑顔の似合う方でしたが、その日の笑顔は格別でしたから。
それもこれも、タモリのおかげなのだと思います。タモリは私に「適当」であることの大切さを教えてくれたのです。タモリのおかげで肩の力が抜けた。職人としての経験によって凝り固まった、無駄なプライドを捨て去ることができた。きっとタモリなしでは、あの靴を完成させることはできなかったでしょう。
お客様が帰られた後、作業場に戻った私は一人、このように思ったものです。
「明日も来てくれるかな」と。
fin.
山根あきらさんの企画に参加させていただきました。作品が主旨に合っているかわかりませんが…、お納めください。