ある集落の物語 ♯シロクマ文芸部
「食べる夜かぁ」
娘が言った。
「あぁ、今夜だな」
父親も頷く。
「嫌だなぁ。やめれば良いのになぁ」
俯き加減の娘が物憂げに言う。
「そう言うな。昔からの仕来たりなんだ」
父親は諭すように伝えた。この話をこれ以上続けることは不毛だからだ。
「はぁ」という娘の嘆息で会話が途切れた。
十四になったばかりの娘も、疑問は感じつつソレを受け入れ始めているのだ。
Y県の山奥にひっそりと佇む小さな集落。そこが彼らの居住地だ。航空写真には写らず、地図にも載っていない。集落の存在を知る者も、住民の他に居はしない。
そこでは神代(コウジロ)と呼ばれる長が絶対の存在だった。言い換えるなら、教祖という表現が最も近いだろう。神の代わりであり、この集落の法律である。
「食べる夜」は別名「食葬」と言われる古から伝わる儀式だった。
社会から取り残された集落を護る為に、侵入者を捕獲し、食す。何も皆が食す訳ではない。貪る訳でもない。神代が住民を代表し、侵入者の脳を少量、ペースト状にした物を食すのだ。
集落のある山の麓に、代々番人を務める番頭(バンドウ)と呼ばれる民が居て、侵入者を罠にかけ、捕える。
「今回はテレビの取材が何とか言うておった。テレビなんぞは人間の堕落の象徴じゃ。俗な情報を垂れ流し、人の心を蝕み、腐らせる。知らなくても良い事を、知らぬ方が良い事を、洪水のように垂れ流してな」
神代は食葬の前に、必ず民に向けて説教をする。
「人の命を奪うことは罪深い。だが、それをしてでも皆を護る使命がワシにはある」
食べる夜が訪れる度、涙を流しながらそう話す。そして、如何にも不味そうに、脳のペーストを食すのだ。その姿を見続けていると、神代のその非人道的とも言える儀式への疑問は、歳を重ねる毎に消失して行くのだった。
それぐらい神代の言葉には説得力があった。
集落の民は50人程いるが、皆を家族として愛し、平等に接した。食事は全て時給自足だが、どうしても不足した時だけ番頭に物資を仕入れてもらった。そして、年齢が低い民から優先的に施した。「子は宝じゃ」と言い、自分の分まであげてしまう。怒っている姿を見た者は無い。憐れむ事は有っても、怒ることは無い。現在数え歳で九十二。先代から神代を受け継いで三十年以上もの間、ただの一度もである。
勿論、食葬について議論になったこともしばしばあったが、結局神代の言葉の重さには遠く及ばなかった。
しかしそうは言っても、未だ慣れぬ若者にとっては気持ちの良い儀式では無い。娘の嘆息は父親にも理解出来ないではなかった。
事件が起きたのは、それからしばらく後の事だった。
「食べる夜」を終えた翌日に、神代の体調が急変し、そのまま息を引き取った。死因は不明だが、妻の真世(マヨ)と過ごしていた時に苦しみ始めたと言うから、事件などではなく、寿命を全うしたのだろうと考えられた。
後継者は神代の一人息子、光(コウ)である。代々血族が受け継ぐ習わしであり、集会でも満場一致の結論だった。
しかしながらこの息子、集落の在り方に誰よりも疑問を持ち、先代に対して意見をすることも多かった。私たち村の大人衆にも「このままじゃ村が時代から取り残される」とよく話していた。実際のところ、同じように考えている者もいない訳ではなかった。
その一人が番頭の中にいた。名を亞人(アト)という、二十一の女だ。
番頭は集落と社会を繋ぐ、唯一の存在である。望まざるとも世間の情報に触れる瞬間があった。神代への深い尊敬の念とは別に、進みゆく社会の変化との乖離に、悩みを抱えていたのである。
亞人は特に、綺麗に着飾った女性に憧れを抱いた。自分もやってみたい、新しい文化に触れたいと思う好奇心は、年々強まっていった。
そしてその日は訪れた。
住民たちが畑で収穫作業をしていると、何人もの警察官が、集落に踏み入れて来たのである。
「えっ、お父さん、あれ誰」
娘が怯えて言った。
「大丈夫だ」
父親はそれだけを言い、妻と娘を抱き寄せた。
彼らは直接罪を犯してはいない。だが、日本の法律を理解しているわけでもない。だから、これからどうなるのかは想像が及ばなかった。
その日を境に、警察による捜査が始まった。容疑は誘拐、殺人、遺体損壊、その他多岐に渡ったが、捜査はひどく難航した。
「どうなってんだ、一体」
年配の刑事が憎々しげに愚痴を吐き捨てた。
「いくら探しても、何一つ物的証拠が出て来ないようです。住民からは「食べる夜」に行われる儀式の話を口々に聞くのですが、よくよく話を精査すると、人を殺すところも遺体を処分するところも、結局誰も見ていないようで。あくまで亡くなった長の話を鵜呑みにしていた…、ある種の洗脳状態だったようですね」
若手の刑事はそう説明した。
「そんじゃあ長の奥さんの説明通り、探すだけ無駄ってことかよ」
「そうなりますね」
真世は警察に対し、「先代の行いは全て芝居だった」と話していた。実際過去には「食葬」が本当に行われていたようだが、先代の神代は「人を殺めてまで護るべき者など、本当は有る訳がないのだ。だが、やはり薄汚れた情報や思想からは、民を護らなければならない」と言い、番頭衆をも説き伏せた。
代々侵入者から集落を護ってきた番頭らも、罪無き人々を罠にかけ殺めることに、抵抗を感じるようになっていた。戦争が終わって数十年が経ち、世の中は大きく変わった。狭間の存在である彼らは、神代の提案を喜んで受け入れた。
「引き上げるぞ」
年配の刑事がそう言うと、
「そうしましょう」
と若手の刑事が言った。
「俺らが口出ししなくても、連中は勝手に動き始めるさ」
そして彼らは集落を立ち去った。
警察を集落に招き入れたのは、光と亞人だった。先代が亡くなり、今しかないと想いが一致した。他の番頭衆も警察の侵入を止めようとはせず、それを受け入れた。二人の想いと、変わりゆく時代を受け入れたのだ。
光と亞人、そして真世と他数名が代表し、最寄りの役場に今後のことを相談に行った。Y県としても世間に騒がれることを嫌い、集落の住民の意見を聞きながら、自然な形で社会に馴染めるよう取り計らった。
そして集落に「食べる夜」が訪れることは、もう二度となくなったのだ。
「もしかしたらあのままの方が、連中幸せだったのかも知れねぇけどな。何も知らない方がよ。知らぬが仏ってのは、よく出来た言葉だぜ」
Y県警の空気の澱んだ喫煙室。金物の灰皿に煙草を押し付けながら、年配の刑事が虚しげな表情で言ったその言葉に、若手の刑事は「そうかも知れないですね」とただ頷くのだった。
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