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There is nothing you can do that can’t be done, Imagine .

 いやはや、はや一週間。半年ぶり十二時間肉体労働。いやようやる、タフでありがたい。タフでなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格ないゆうたんはフィリップやったか、ロンググッドバイやったか。いや、グッドバイちゃうねん、ずっと働くんや、また来る明日には立ち上がるのだ。職場の仲間もみんな無事、いまはとてつもなく忙しいレストラン昼と夜。

 引きこもっていたので季節は秋、いきなりの肌寒さに紅葉の心寂しさ。なんというか、毎年繰り返すこの寄る辺ないさみしさ。さみしいのは日本に帰ってきてから料理について話したりその話が面白かったりすることあまりない。みなさん料理のお仕事のお話なさいます、だんどりの話し、人間関係とか、お話なさいます。しかしねえ、ぼくの友だちのひとりと赤キャベツの付け合わせの調理について二時間くらい話したことあったけどな。話は尽きんかった。

 心寂しく感じて、身体も重く感じられたら、ヨガじゃないけど鷺の格好をして息を深く深く吸ったり吐いたりしてみる。最初は一本足で立つから、寄りかかるわけじゃないけど杖代わりにジョンレノンの歌声を思い出す。ダブルネガティブがポジティブに最後に、うっちゃりかまして甦るのだ。そしていつも心の中から自分のダメなこととかやってしまったことの後悔やらまやかしの自責について、やさしくかつ辛辣に言葉を渡してくれる茨木のりこさんのちからを借りよう、自分自身の自立のバランスを取り戻すまで。


知命    茨木のり子

ほかのひとがやってきて
この小包の紐 どうしたら
ほどけるかしらと言う

ほかのひとがやってきては
こんがらがった糸の束
なんとかしてよ と言う

鋏で切れいと進言するが
肯じえない
仕方なく手伝う もそもそと

生きてるよしみに
こういうのが生きてるってことの
おおよそか それにしてもあんまりな

まきこまれ
ふりまわされ
くたびれはてて

ある日 卒然と悟らされる
もしかしたら たぶんそう
たくさんのやさしい手が添えられたのだ

一人で処理してきたと思っている
わたくしの幾つかの結節点にも
今日までそれと気づかせぬほどのさりげなさで

茨木のりこ おんなのことば より


おれに寄りかってばっかりなん分かってるか

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