心に余裕を持つために「あえて」始めたこと【嫌だったことからの学び】
「5分前には着くように動きなさい。」
母親にはそうやって育てられた。
待ち合わせには遅れないように。
お店の予約にも遅れないように。
必ず早めに家を出て、遅刻しないようにする習慣がついた。
自分にとってはそれが当たり前なのだと思っていた。
高校生になって、部活や遊びの待ち合わせに遅れてくる友達がたくさんいた。
「ごめーん、電車乗り遅れて!」
このひとことを何度も聞いた。
最初はまあいっかと思っていたが、どの友達も、どの待ち合わせでも、遅れてくる人は必ず1人はいた。
間に合うように早めに出発して、結局10分くらい追加で待っている。
一生懸命早く着いて、待ちぼうけている自分の方がなんとなく馬鹿らしくなった。
世間的には正しいことをしているはずなのに、でも世界に目を向けると待ち合わせにかっちり時間を合わせるのは日本人くらいで.....
会社でも、ミーティングに遅れてくる方がたくさんいる。
特に上層部に意外と多い気がする。
1日みっちりたくさんミーティングを組まれ、長引けばそれは遅れるのも当然だ。
だが、そこで遅れるという連絡がないのも、遅れることが良くないことだと教えられ、意識してきた自分には違和感しかない。
意外と間に合わなくても許してもらえるのでは...?
ずっと5分前行動をしてきた私が、最近は友人の待ち合わせにはギリギリに着くこともある。
誰も何も言わない。
遅れても
「大丈夫だよ〜👍」
と優しく返してくれる。
まだ私には「あえて」そうしないとなかなか難しい。
でも「間に合わなくても許してもらえる」んだと、「間に合うことだけが正解じゃない」んだと気付くことができた。
そう感じるだけで、心にも時間にも余裕が生まれる。
日本人の感覚としては非常識かもしれないが、
「あえて」ギリギリに着く
「あえて」1分くらい遅れてみる
そうすることで、心にも時間にも余裕を持って